④偽物
***
(side 雪吹)
「……あいつが、青山紫希?」
訪れた沈黙を破ったのは白兎だった。その言葉に紫希は気味の悪い笑みをさらに深くする。
「うん、そう。ボクの名前は青山紫希。よろしくね、おちびちゃん」
「っ……誰がチビだ!
白兎は背が低いことを気にしているらしく声を荒げて不機嫌丸出しに叫んだ。
その様子を面白そうに笑う奴の姿は不快だった。
────露華の言う通り、奴が被害者であってもこんな様子では露華の案を認める訳にはいかない。
そう思って、俺は武器を出そうとした。が、
「…………お前、それで紫希の真似をしたつもりか?」
響いた冷淡な声音に、思わず手を止めた。その声の主は信じられないことに露華だった。
今まで聞いたことのないくらいに酷く冷たい声。
いつも何かしらの感情が宿っている彼の瞳には、今は何も感じることが出来なくて──俺は本当に驚愕した。
「……君、何を言っているの?」
紫希の顔は一変して、眉間に皺が寄っている。
「露華、説明しろ」
黒波は何処か楽しそうに言い、露華はそれに少し嫌そうな表情を浮かべて一瞬、黒波を見てから紫希に視線をやり、彼を睨む。
「……オレは幻影魔法には自信がある。あいつは見た感じは完璧に紫希だ。──だけど、気配が違う。……あいつからは幻影からよく感じる少し独特な雰囲気が出てる。それに、さっき少しだけど幻影の“揺らぎ”も見えたし。そこそこ上手いとは思うけど、まだまだだな」
「え……」
焦って紫希によく注意して気配を探る。
──けど、露華が言うような感じは分からなくて、露華に疑いの目を向けてみる。
「…………何でお前ら、そんな目で見んの?」
俺だけではなく、アストと癒既にも同じ視線を向けられた露華は呆れたような、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべながら自分の右耳を弄っている。
「……露華、それは本当か?」
「兄貴まで……。本当だっての。それに、あいつが本物の紫希な訳ねーし。だって、本物の紫希は────」
溜息を吐いた露華が言い掛けるが突然、空気がさらに張り詰めて、俺達は紫希の方を向いた。
「なっ……」
そこには目を疑う光景があった。
鈍く光を反射する三日月型の刃。
それをピタリと首筋に当てられているのは恐怖に染まった顔の紫希。
そして、その背後に佇んでいるのは────。
「まーったく。このボクに化けようなんてよく考えたね? 虫酸が走るよ」
浮かべているのは微笑。
しかし、その身が放つのは恐ろしい程の黒いオーラ。
────紫希がもう一人、そこに居た。
***
(side 露華)
全く……あれが紫希なはずあるもんか。
オレは深く溜息を吐くと少しだけ視線を動かして、一見何もない空間を見つめた。
そして何気ないふりを装って右手を動かし、そのまま自分の右耳に触れる。
────それが合図だった。
「兄貴まで……。本当だっての。それに、あいつが本物の紫希な訳ねーし。だって、本物の紫希は────」
空気が張り詰める。
何も存在しなかったはずの空間が蜃気楼のように揺れていく。
そして、現れたのは紫希。
あいつのような幻影ではなく、れっきとした本物の紫希だった。
それは、あっという間の出来事。
瞬時に鎌を出現させたかと思えば、あいつは既に偽物の首に刃を押し当てていて、その速さにオレは賛辞を贈りたくなった。
「まーったく。このボクに化けようなんてよく考えたね? 虫酸が走るよ」
浮かべているのは微笑。だけど、その身が放つのは恐ろしい程の黒いオーラ。
一見すると機嫌が悪そうな風だが実際は楽しんでいるようにオレは感じた。
「な…ぜ……!?」
この中で一番驚いている偽紫希は、擦れた声でそう漏らした。
「どーせ、ボクが天界に居ると思ったから君はその姿でここに来たんでしょう? そして、ボクのふりをして命令違反を起こして聖司の地位を落とすつもりだったんじゃない? ごめんね、君は無駄足だよ。──だってボクはもう、天界を裏切ったもの」
「なっ───!?」
偽紫希が絶句する。同様にオレ以外の奴らもそれぞれ驚いた様子を見せた。
「ボクはね、聖司が居たから天界に居ただけだからね。……でも、もうその必要はない」
「……では、羽丘聖司はどうでもいい、と?」
紫希の言葉に偽紫希が尋ねれば、紫希は笑ったまま首を傾げた。
「……何で聖司を見捨てなきゃいけないの?」
「……どういうことだ」
オレは紫希と、その偽物が話しているのを聞きながら深く呼吸をして、前方下の地面を指差し、瞳を閉じる。
そして脳裏に複雑な陣を描き上げていき、静かに言葉を紡いでいく────。
「オイェヂ・ウボイノ・ココウィズ・ナノ───」
脳裏に描いた陣が、指で示す地に浮かび上がるのをイメージする。
「ノム・ラニエム・オ・セタチ・ロイエ────」
強く、強く念じる。彼のひとがここに現れるように。
そして、
「スネトニ・ロチヒ・ノ・コケイ!」
力強く、声を張り上げて呪文を締めくくり、目を開いてすぐに地を指していた指を真上に振り上げる。
途端、陣はまばゆく輝き、周囲の視線を奪った。
「!!」
「な、に……!?」
陣の上空に黒い穴が開く。
「うわっ!!」
ドサリ、とその穴から落ちてきたひとを見たみんなの顔が再び驚愕に染まる。
「……え、えぇ!? 聖司さん……?」
「なんで……」
大袈裟に癒既は驚いて、雪吹は微かな動揺を表情に出す。
「っ……紫希?」
落ちてきたひとは一度周囲を見渡して、そして見知った紫希の姿を認めると、怪訝に顔をしかめた。
「……何で、紫希が二人?」
「あ、聖司。あのね……」
「エモカ・コヲノ・モ・ナケイ」
紫希と偽紫希を比べるように注視する聖司に声を掛けようとした紫希の言葉を遮り、オレは遠慮無く呪文を紡いで聖司を取り囲む結界を作る。
話の途中でオレにそんなことをされた紫希に少し睨まれたけど、オレは溜息を吐いて睨み返した。
「……一応、保険。話が終わったらちゃんと解くし、それにまだそいつがいるだろ」
そいつ、とあごで示した偽紫希の存在で、紫希はきょとんとし、そして「あぁ」と納得したように軽く頷いた。
「仕方ないな。分かったよ」
「一応、外側からの攻撃にも強いから安心しろよ。ま、話の続きでもどぞ」
オレが軽く促せば、紫希は微笑し、再び聖司の方を向いた。
「紫希……?」
「……聖司、ボクは今の天界を認めない」
少し間を置いて、はっきりと紫希は言った。
「混血であるボク達を厭う天界社会が憎い。その社会を作り上げた今の最高神が憎い。そして何より、ボクの大切なモノを奪おうとしている奴らがみんな嫌いだよ」
「……」
「だからね、大切なモノをボクから奪おうとする奴には今までそれなりに対応させて貰った。………ほとんどは脅し程度だったのに、一回焦ってやらかしちゃったけどね」
クスクス、となんてこともないと言うような調子で笑う紫希に、聖司は眉間に皺を寄せる。
「……どういう、こと?」
「聖司の前でやってみせたでしょ? 天使を殺しちゃったあれだよ。全く……あいつらも命知らずというか」
紫希は一度瞳を閉じ、一呼吸置いてから再び目を開き、静かに微笑んだ。
「……ねぇ、聖司。あの時、あと少し遅ければ死んでたのは聖司だったんだよ? 気付いてた?」
「え……?」
そう言ってから驚愕の表情を浮かべる聖司に、紫希は真顔になり、手にしている鎌の刃を少しだけ手前に引いた。
「っ………!!」
刃を首に当てられている偽紫希は怯えの為か表情を歪ませ、それに紫希はニタリと笑む。
つ、と走った首に付けられた赤い筋からは微かに血が流れ、それを目にした周囲の空気はピン、と張り詰めた。
「ねぇ、そろそろ本当の姿を現したら? 嵐斗君」
「!? な、んで……」
「聖司に危害を加えそうな奴は、危害を加える可能性がごくわずかでも徹底的に調べあげてるからね。……聖司を狙いそうな奴でこんな芸当が出来るのは君しかいない。本当の姿を見せてよ。いつまでもその姿をされたままだと不愉快だから」
口元で笑みを形作る紫希だけど目元は笑っていない。「不愉快」に感じているのは本当なのだろう。
そんな紫希に怖れを抱いたのか、嵐斗という名らしい偽紫希の姿が変わり始めた。
色が抜けて灰色へと化した髪。
紅の瞳は鮮やかな紫へと変化し、未だ幼さを残す少年の表情が露となる。
翼の色は通常の天使と大差ない白のように見えて、目を凝らすと実は若干灰色がかっているのが分かった。
「……これで、満足……?」
恐る恐ると訊ねる嵐斗に紫希は軽く頷き、首から刃を離して一歩下がった。
「下手な真似はしないでね。……自分の力量が分からない馬鹿ではないでしょ?」
表情は笑っているが、何となく紫希の放つ雰囲気は怖い。
それを敏感に察しているのであろう嵐斗は青ざめてガクガクと頭を縦に振っていた。
「………お前もチャレンジャーだなー…。そんなに怖ければやめとけよ」
震えている嵐斗に呆れ混じりにオレが言えば、嵐斗は唇をぎゅっと結んで沈黙する。
言い訳でも、八つ当たりでも何かしら言ってみればいいのに、嵐斗は無言で俯いていた。
「……紫希、こいつってそんなに強くはない……よな?」
様子を見る限り、きっとこいつはあまり戦闘は得意ではなさそうだと思って訊けば、紫希は小さく頷いた。
「うん。だって嵐斗君は妖精と天使の混血だもの。ボクや雪吹みたいな魔族の血を引く混血じゃないから、持ってる力もそこそこ」
「……あぁ、だから幻影魔法使えるのか」
幻影魔法が使える天使は滅多にいない。だからオレや紫希は結構珍しい存在だったりする。
だけど、妖精の血を持つ混血は違う。
妖精は時に幻を生み出し、生き物を惑わせイタズラする。
普通よりも簡単に幻を見せる妖精の力を引いているから、妖精の血を持つ混血は幻影魔法が使えてしまう。だから、あまり強い力を持たなさそうな嵐斗も幻影魔法が使えるってわけだろう。
「……おれは、確かに弱いよ」
納得していると、俯いている嵐斗が小さく言葉を漏らした。
「……おれは、魔族の血を引いていない。おれが持つのは妖精の血。なのに、周りはおれを認めない。────純血の天使しか、認めてくれない!」
叫ぶように言って、嵐斗は顔を上げた。その瞳は涙で歪んでいる。
「どうして! 魔族ならまだ分かる。……人を襲う魔族が多いから。───でも、妖精は? 悪戯はするけど、魔族よりはマシじゃないか………」
どうして、と訊かれてもオレには答えられない。
黒い翼を持っていたことで親父から捨てられたという兄貴や、混血である紫希、雪吹ならその苦しみは分かるのかもしれない。
混血の受けてきた扱いを想像して胸を痛ませることは出来ても、実際にオレは経験していないから“分かる”とははっきりと言えない。
視線を移すと、そこには今にでも舌打ちするんじゃないかと思う、苛立たしいとばかりに顔を歪める紫希がいた。
「だから、君は天界での扱いもボクや雪吹よりはマシなはずだよ? 魔族の混血は本当に嫌われているもの」
冷たく掛けられる紫希の言葉に、嵐斗の表情が強張る。
紫希は笑みを消して、自身の手のひらを見つめ始めた。
「混血の扱いが酷いことなんて、君に語って貰わなくても知ってる。むしろ、君より酷い扱いを受けていた自信はあるよ。君はただ誰かに拾われて下僕のように扱われてるんでしょ? ボクは下僕じゃなくて化け物扱いだよ? 君は辛うじて天使だと神に認められる場所にいるけれど、ボクや雪吹は違う。神から見れば汚物だよ。ゴミ扱い」
「確かに、そうだ。……死刑執行人をしていたのは魔族の混血だけ。妖精や人間の混血は俺らみたいに死刑執行人はさせられない。君が受けた差別よりもきっと、俺や紫希は酷いものを経験してる」
黙ってこのやり取りを聞いていた雪吹は紫希に続けるようにして口を開いた。
「俺は昔、こう思っていた時期があるよ。……“何故、魔族の混血だけが罪人殺しを命じられるんだ。同じ混血でも魔族の血を引かない混血達が羨ましい”ってね」
「え……」
「君がいたのはきっと、俺らがいた地獄よりははるかにマシな世界だよ。だから、“自分が世の中で一番不幸な奴”とか思わないで」
冷たい紫希とは打って変わり、雪吹は穏やかな口調で嵐斗に語った。
嵐斗は再び俯き、そしてまた疑問をオレ達に投げ掛ける。
「……おれは、これからどうすればいいのかな? あの方──ううん、あいつからの命令を果たせなかった以上、あいつの元には戻れない」
「なら、オレの下に付け」
即座に兄貴は言って、嵐斗の方へと近付く。
「お前は今の天界を変えたくはないか? “変えたい”と思うのなら、来るがいい」
「兄貴。そんな事言ってもオレらの敵としてソイツは出てきたんだから簡単に誘いにのるわけないだろ」
さらにさっきの発言があるから、きっと気まずいんじゃないかと思う。
現に嵐斗は視線を彷徨わせ、どうすればいいのかオロオロと探っているように見えた。
「おれは……おれはっ…」
「……あぁ、もう!」
ぶつぶつと呟いて迷っている様子の嵐斗に、痺れを切らしたのかズカズカと歩み寄った奴が居た。
────白兎だった。
白兎は嵐斗の目の前まで行くと、頭から足元までを一度よく見てから一言放った。
「ヘタレ」
「うっ……」
「ヘタレ。馬鹿。お前、絶対に要領悪いとか言われてるんじゃない?」
「……うん」
素直に肯定した嵐斗に白兎は手を伸ばし────。
「ふぃ!?」
「あ、結構伸びる」
……あろうことか嵐斗の頬を摘んで左右へ引っ張りだした。
「は、白兎……」
思わず名前を呼んだ癒既を始め、オレも、雪吹達も白兎がした突然の行動に呆気に取られる。
「ひょ、ひゃにふにゅ……」
「あのさ、アンタみたいなのはあんまり考え過ぎない方がいいんじゃない?」
最後、とばかりにひときわ嵐斗の頬を伸ばしてから、パッと手を離した白兎は静かに微笑んだ。
「ま、本当はよく考えた方がいいんだけど、アンタが選べる道って限られてるみたいだし? 天界には戻れないんだろ?」
「……でも」
涙を目に滲ませながら俯き加減に両頬を手で擦っている嵐斗はそれでも迷っているようだった。
「……何が怖いの?」
「え……?」
驚いたように顔を上げた嵐斗の視線の先には笑みを浮かべたままの白兎の姿。
「何を迷っているの? 何を恐れているの? 選べそうな道は一つしか無いのに、何故すぐに選ぶことが出来ないの?」
白兎の声は優しくて、こいつのイメージからは少し想像出来なかったからオレは感心した。
────こんな表情も出来たのか。
「…………おれは、死ぬのが怖いんだ」
白兎に優しく問われて、暫く黙っていた嵐斗はやがてそう言った。
「神と戦うのって、凄く怖い。だってさ、失敗したら死刑は免れないし、最悪は戦ってる最中に殺されたりするだろう?」
「だけど、その覚悟がないと神となんて戦えない。────天界を変えることなんて出来ない」
「そんなの判ってる!」
冷たく言い放った紫希を、振り返って嵐斗は睨み付けた。
「でも、おれに何が出来るんだ! おれには強い力なんて無い。そんな奴が神に向かって行ったところで何になる!?」
その嵐斗の叫びはあまりに必死で、オレ達は言葉をすぐに紡ぐことが出来なかった。
しばしの沈黙を置いて、口を開いたのは白兎だった。
「……そうだね。力が無いのに神に突っ掛かるのは無謀だしね」
「え……」
そう言った白兎の表情は何故か柔らかく、嵐斗の顔に戸惑いが浮かぶ。
「いいんじゃない? 無理しなくても。それに、真っ向から神と戦わなくてもアンタが出来ることってきっとあるし……そっちをしたら?」
「…………え?」
虚をつかれたように間抜けな顔をした嵐斗に、白兎は微笑んだ。
「だからね、誰だって得意なことと不得意なことってあるんだから力が無いことを嘆いてばかりじゃいられないんだよ。力が無いなら無いなりに何か方法を考える。足手纏いにならない位置で、アンタはアンタなりに戦っていけばいいんだ」
「出来ることで戦う……?」
「そう」
白兎が頷けば、嵐斗は少しの時間目を閉じて、そして再び瞳を開いた。
────そこに先程までの迷いは見られなかった。