②真剣
***
(side 露華)
離れてきてしまった。
オレは溜息を吐いて、自己嫌悪に陥る。
あいつに合図出せって言われてるのに何やってんだオレは。
そう思っていてもすぐに戻る気にはなれなくて、近くの木に凭れかかり、空を見上げる。
「……天気悪いな」
家を出る前は晴れていた。だけど今はどんよりと曇っている。
雨降りそうだしやっぱり戻ろうかと考え直して、気分を変えようともう一回溜息を吐いた、その時。
「こんなところで、しかも一人で何やってるの?」
「!?」
「お馬鹿さんだねぇ……。一人だと危ないんじゃない?」
クスクスと笑う声が響く。
視線を前に向ければ、そこに居たのは────。
「っ……青山…紫希」
深い闇と同じ色をした髪と瞳。その背にあるのは濃紫の翼。
手にしているのはこの間とは違い、巨大な刃を持つ鎌で────。
「……お前、天使よりも悪魔とか、死神の方が向いてんじゃね?」
怖れを抱くより先にそんな感想をオレは口にしていた。
「……そうかもしれないね。人間なんかがボクを見たら、まず天使とは思わないだろうし」
口元は笑っているが、目は全く笑っていない。
そんな紫希の様子がちょっと怖い。
「……何でオレのところに来たの? オレなんか癒既や雪吹よりスッゲー弱いじゃん」
「聖司から君の話を聞いてね、興味が沸いたんだ」
「……興味?」
紫希のその言葉に、疑問を浮かべる。
取り敢えず聖司、あいつ、何をこいつに喋ったんだ。
そして、オレのどこにこいつは興味を持ったっていうんだ!?
「だって君、幻影魔法が使えるんでしょう?」
紫希が嬉しそうに話し始めて、少しだけ疑問が晴れた。
「……でも、幻影魔法はお前も使えるんだろ? 前に癒既をお前がズタボロにした時、癒既はそれで隙を作ったって言ってたぞ?」
幻影魔法を使える奴は希少だ。だけど、癒既はあの幻影は本物だと思うくらいにそっくりだったと言ってた。
並みの奴の幻影はしっかり形が作れてないことが多くて、どこかが少し歪んでいたりする。
その歪みもないくらい完璧な幻影を作ったらしいこいつが、どうしてオレに関心を持つんだ。
そう考えていると、紫希はクスクスと笑いだした。
「──────!?」
そう、笑っている。
前に見た邪悪な笑みなんかじゃない。凄く綺麗に笑っていた。
「幻影魔法ってさ、魔力の消費が激しいって分かってるよね?」
「…………レベルが高いほど、特に」
綿密に魔法が組まれ、より完璧なものを作り上げれば上げるだけ魔力の消費量は増える。そんなことは幻影魔法を使う者なら誰でも知っている。
「聖司がさ、言ってたんだ。『露華の幻影は、本当に生きてるみたいだ』って。…………普通、幻影は生きてるって感じさせるものは作れない。哀しい幻影ならともかく、“幸せ”を感じさせる幻影なんて作れないんだよ。……分かる?」
「…………」
────天界に居た頃、一度だけ確かにそんな幻影を作った覚えはある。
小さな子供が迷子になって泣いていたから、それをあやすために作った犬の幻。
その時、確かに聖司も近くに居た。
「……幻影で生き物を形作るとどうしても無機質で冷たい印象が出てくる。だけど君はそんな幻影ではない幻を生み出せる。───興味が出るのは当然でしょう?」
「…………だから、何」
それだけじゃないはずだ。そんな気がして尋ねれば、紫希は楽しそうに一つ頷いた。
「だからね、そんな力を持つ君が弱いなんて有り得ない。………君の力は弱くない。むしろ強過ぎるはずだよ? どうして嘘を吐いてるの? 弱いふりして何がしたいの?」
今まで隠してきたことを暴かれて、オレは唇を噛み締めた。
「っ……お前には、関係ないだろ。……何でお前なんかに言われなきゃ「怖いんでしょう?」」
言っている最中に、その一言で動きが止まる。
「君は……自分の力が怖いんだね?」
それは図星。
こちらを見つめる紫希の眼差しは真剣なものが宿っていて─────。
「…………あぁ」
否定する気は、全く起きなかった。
「……否定、しないんだ?」
少し驚いた様子を紫希は見せ、オレは苦笑して頷いた。
「……一度、暴走したことがある。その時、死人は出なかったけど、オレはたくさんのひとを傷付けた。……小さい時のことだけど、トラウマになってるんだよ。
……何でオレが力を怖がってるって、お前は分かったんだ?」
「だって、ボクは昔はそうだったもの」
「え……」
意外だと思った。
こいつでもそんな感情を抱いていた時期があったというのか。
「……あのねぇ、失礼なこと考えてない? ボクは混血でしょ? だから周りはボクの力を怖がったし、ボクも周囲に怖がられる自分の力を怖れていた。聖司に出会ってからは自分に怖がる余裕なんて無くなったけど────」
オレに語る紫希には前にずっと感じていた狂気が見られなかった。
だからオレは少し警戒はしながらも、紫希の話を聞くことにする。
「……君も知ってる通り、ボクは青山一族の血を引いている。神を護る気高き騎士とやらの一族の血をね」
「……ああ。青山家は望月家に対をなすと言われてる騎士の家系。……オレは名前くらいしか知らねーけど」
落ちこぼれと言われているオレは、親父から外出するのをほとんど禁止されていた。
社交の場にも出たことがないから家を訪れる客くらいとしか交流したことない。
噂で名を聞くことはあっても青山家の人間とは面識が無かったくらいだから、紫希のことも、ただ“異端”であるという話以外あまり知らなかった。
「まぁ、そんな気高い一族にボクみたいなのが生まれたら嫌われるのは当たり前。特に家の長であるジジィには嫌われてた。扱いも酷くて……ジジィの虐めから助けてくれた聖司には本当に感謝してる」
紫希の顔が柔らかく綻ぶ。
「聖司はボクが知らなかった温もりをくれた。家族の温かさって、きっとこんな感じなのかなって思いながら、ボクは聖司と多くの時間を過ごしてきた。……血は繋がってないけど、ボクは聖司を本当の兄みたいに思ってる。だからボクは聖司を守るって決めたの」
笑みを浮かべているものの紫希の眼差しは真剣そのもので、オレはそんな紫希に静かに訊いた。
「……でも、どうやって守るんだ。死刑執行人だったんだろ?」
「死刑執行人になったのは主にジジィのせい。最初は本当に強制で、イブキが怯えたように、ボクも誰かを殺すことに怯えていた」
ふ、と笑みを消した紫希の様子に、それは本当の話なのだと理解出来た。
「イブキが死刑執行人になる頃にはマシになったけど、前は罪人を殺すのを一瞬でも躊躇えば死刑執行人の方も殺された。『忌み嫌われる混血の癖に、使ってやってるのに言うことを聞かないのか。役に立たないクズだな』ってね。あの頃の方が地獄だったよ」
「それは…………」
確かに、地獄。
紫希は雪吹が体験したこと以上に酷い扱いを受けていたらしいと、オレは初めて知った。
「神にとってボクらは玩具なの。躊躇いを見せた奴は欠陥品って烙印を押されて処分。そんな混血の扱いが少しマシになったのは聖司のお蔭なんだよ?」
「聖司の……?」
「聖司が神に口添えして、混血をすぐに殺すのを止めさせたの。……本当は今の混血の扱いについても意見したかっただろうね。でも、それはボクが止めさせた。……そしたら、聖司が神に殺される」
紫希は最後、どこか辛そうに呟いた。
「……でも、結果はあまり良くないんだけどね。神には何とも思われてないけど、お偉い天使達には神に取り入ったって妬まれるようになった。聖司はまだ若いからね、お偉いさんの癪に触ったんだ。だから、これ以上聖司に権力が付くのを恐れた奴らは聖司の命を狙うようになった」
「…………確かに、聖司が管理局の上層部とかにはあまり好かれてないってのは兄貴とか姉貴から聞いてるけど……そんな事があったのは知らなかったわ」
紫希から聞いて、初めて知った。
「だからね、ボクは聖司を守るために狂うことにしたの。狂った死刑執行人として有名になればボクは怖れられる。そんなボクが執着する聖司を殺したりなんかしたらどうなるか………考えるだけで恐ろしいでしょ?」
笑顔で同意を求められ、表情が引きつりそうになるのをこらえながら、オレは頷いた。
こちらとしても聖司は敵にするより仲間にしたいと、より感じた瞬間だった。
「予想通り、命が惜しい奴は手を引いていった。……でも、作戦は完璧じゃなくてね、それでも聖司の命を狙う奴がいた」
「────もしかして、お前が投獄されたのって」
ふと雪吹の話を思い出す。確かこいつは無差別に天使を何人か殺して捕まっていた。尋ねると、紫希はゆっくり頷く。
「聖司を守るためなら、ボクはどんな手段にも手を染めるよ。でも、ちょっと失敗だったかなぁ……。今のままじゃ、聖司を守れない」
紫希は少し悔いるように瞳を閉じ、そして再び目を開けると真剣な表情でオレを見つめた。
「…………ねぇ、お願いがあるんだ」
「……何?」
こんな話を聞けば、ある程度予想はつく。けれど、オレは敢えて訊いた。紫希の真剣さをもっと理解するために。
「…………聖司を、聖司を助けて────」
間を置いて紡がれた言葉には悲痛が混じっていた。
自らの手で“守ろう”と決めた人を守るために他者を頼ることとなったのが悔しいのだろうか。
オレは紫希の瞳を見つめていてそう思った。
「……聖司は今、迷っているんだ」
「……迷って?」
「君らの目的を──この間、ボクが君らを襲ったあとに知って、それで……」
紫希が言うにはこういうことだった。
オレ達の目的がただの天界逃亡及び反逆ではなく、天界を変えるための行動であることを聖司は知った。
(まぁ、オレについては最初からそうだったけれど、雪吹や癒既は初めは全くそのこと知らなかったんだが)
聖司自身も今の天界の在り方には元々疑問を持っていた。
(そうでなければ紫希のことを大切に思ったりしないから納得できる)
しかし、聖司は神への敬意を持っている。
(……どうしてあんな野郎を敬えるのかオレには疑問だ。ちなみにこれには紫希も同意見だそうでかなり渋い顔をしていた)
それでこのまま天界側に居るべきか、寝返るか迷っている……らしい。
「ボクとしては天界を離れて欲しいんだけどね……。その方が聖司を狙う輩に対してもっと強く出れるもの。ボク自身は君たちに賛成」
「…………だったらこの間はどうだったんだ? 癒既をズタボロにしやがって」
「仕方ないでしょー。監視あったし。あの時さ、近くに天界の奴が居たんだよ。ボクが攻撃しなければ聖司の立場が危なくなるし。でも気付かれない程度に手加減して虫の息にはしたけど殺しはしなかったんだからいいじゃないか」
「……え。アレで手加減してたのか?」
「死刑執行の時は相手が逃げられないからゆっくり嬲り殺せるけど、ああいう場合はさっさと止めささなきゃアクシデントがあったとき困るでしょ。……ちゃんと君らを待ってたんだよ。感謝してとは言わないけど、それは理解しておいて」
紫希は困ったように眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。
「あ、ちなみに今は監視いないよ。身代わりの幻影を天界に置いてきたし」
「……まぁ、お前の幻影ならレベル高いし周りにはバレなさそうだけど。……じゃあ、お前はオレらの味方をしてくれるの?」
オレが問うと紫希は表情を引き締め頷いた。
「君らが聖司を助けて、君ら側に引き摺りこんでくれるならね。聖司の心境に気付き始めてる奴らもいるだろうし、天界に聖司がいても命を狙われるだけでいいことないし」
「………分かった」
あいつには色々言われそうだが聖司がこちら側になれば大きな戦力になる。
それに───紫希も。
「……なぁ、紫希」
「……何?」
名を呼べばきょとんと首を傾げられ、オレはだいぶ印象の変わった紫希の様子に苦笑し、そして口を開いた。
「……聖司をオレ達側に引き入れて、そして全てに決着がついたらさ、どうすんの?」
「それは…………」
分からない、と呟いた紫希にオレは一つ提案する。
「…………それは、いいね」
オレの提案を聞いた紫希は不敵に笑んで了承を示し、オレも同じように笑った。
────オレの覚悟は、定まった。
「ついてこいよ。……あいつらにも話さなきゃな」
「そうだね。……どんな嫌そうな顔をするかな?」
「…………ははは」
紫希の一言で一気に気が抜けたオレは乾いた苦笑を漏らしながら、癒既達が居るだろう場所へと足を向けた。