①代償
(side 露華)
あの日、オレは初めて会ったあいつを恐れた。
あいつの漆黒の瞳に映る意志は強過ぎて、力の無いオレはとても小さな存在だと思い知らされた。あいつと比べれば、本当にオレはちっぽけな存在。惨めに感じて仕方なかった。
そんなオレに、あいつは笑って言ったんだ。
「────お前は、………だな」
その声は上手く聞き取れなかった。ただ、何かを言われたけど大したことではないのだろうという認識をしただけ。
「────お前はオレを信じろ。天界を変えるために力を貸してくれ。────露華」
あいつが優しい笑顔を見せた、その日からオレはあいつの下に付いた。
***
「…………」
『……分かったか?』
連絡手段である水晶越しの声から説明を聞き、惚けていると念を押すように問われ、オレは眉を寄せた。
「……ああ。……合図、送ればいいんだろ?」
『そうだ。……オレの存在を悟らせるなよ?』
「努力はする──けど、本当にあんたから来るの? オレらが行く方が────」
『オレが行く方がリスクが低い。こちらの拠点が天界にバレる可能性は減らしておきたいしな。──それに、見定めるならオレが行く方が都合もいい』
「…………分かった」
面白そうに笑う相手に諦めて了承すると、相手は声までたてて笑い続ける。
『────その時にはお前の覚悟も聞かせて貰うからな?』
「……オレの、覚悟」
『考える時間はたっぷりと与えたはずだ。いい加減答えを出せ』
そう言われても、本当にオレは────。
『……お前は弱くない。逃げるな』
「そんなことっ……言われても………」
『……いい加減腹を括れ。でなければ──オレからバラすぞ』
「!!?」
突き付けられた脅しのような言葉に耳を疑う。
「ちょっ……それはっ!」
『嫌ならちゃんと答えを出せ。……大丈夫、お前には仲間がいるだろう?』
「っ──!!」
何かが胸に突き刺さる感覚がした。
そう──オレは一人じゃない……けど。
「………仲間って言える資格が、オレにはあんのかな……?」
ポツリ、と零したのは不安。聞き止めた相手が溜息を吐いたのがやけに耳に響いて感じた。
『…………後ろめたい、か』
「……ああ」
『……なら、やはりそろそろ全てを明かした方がいいか。……フォローはしてやる。……だから、例の日、お前はちゃんと話をするんだ』
「…………分かった」
隠していても、いつかはバレる。
話すタイミングもその時がいいだろうと判断して、オレは頷いた。
そんなオレに、相手は再びクスリ、と笑う。
『…………そろそろ切るぞ。……久し振りにお前と会えるのを楽しみにしている』
「…………望月家の天使は嫌いなんじゃなかったか?」
『バーカ。お前は別だ、別。水色と黄色と紅よりお前はマシ。末っ子のお前が一番マトモ。……馬鹿なのが玉にキズだけど』
「…………容赦ねぇなぁ」
水色、黄色、紅と言われて、兄弟達を思い出しながら呟けば、相手の笑みがさらに深まるのが何となく分かった。
『じゃ、本当に切るぞ』
「ん……」
相手に小さく了承の意を伝えれば交信がぶつりと切れる。
「…………戻るか」
今、オレがいるのは学校の屋上。まだ朝も早いし、元からあまり人の来ない場所でもあるここはシン、と静寂に満ちていた。
(……久し振りにあいつに会うのか)
頭に浮かぶのは先程まで話していた相手。今は初めて会った時みたいな恐怖は感じないけど、あいつの強さはオレにはキツい。
それはオレの弱さが原因だと分かってはいるのだけれど────。
────いい加減腹を括れ。
「……んなこと言ったって、自信がねぇんだよ」
思わず口にしたぼやきを耳にするものは、誰もいなかった。
***
(side 癒既)
テストが終わって数日後。返ってきた答案用紙を握り締め、自分の机に突っ伏し意気消沈している露華の姿を見て、僕の隣にいる雪吹が問い掛ける。
「さあ、露華。俺達の努力はどういう結果になった?」
ニコニコと不自然な笑みを携える雪吹に若干の恐怖を覚える。
テスト前も期間中も、僕と雪吹は露華に試験範囲の内容を解説し、僕らの勉強時間は削った。
僕は気にしないんだけど雪吹はそうはいかないようで、露華の結果が悪ければ後々恐ろしいことになる気がする。
「ろ、露華……。大丈夫?」
「ん。……テストは平均点はちゃんと上回ってる」
「本当に!?」
露華の肩を軽く揺すればあまり機嫌よくなく露華から答えが返されて、雪吹の黒いオーラが消えた。
そして、露華の手から彼の答案を奪い、一枚一枚チェックしていき、最後に雪吹は驚愕の視線を露華に向けた。
「…………本当に赤点、無いんだけど」
「? じゃあ、何で露華は落ち込んでいるの?」
不思議に思って訊いてみると、露華はすごく疲れた様子の顔を上げた。
「…………カンニングしたんじゃねーかって疑われた」
「…………うん、それは」
「ははは、は………。うん、ドンマイ」
上手い言葉が見付からず、雪吹と一緒に曖昧に慰めれば、露華はムッとした様子でそっぽを向いて、また机に伏せた。
いや、だって普段の小テストの点数があまりにも酷いし、この間それで先生達が頭を抱えてたの偶然見ちゃったこともあるし……多分先生も信じられなかったんじゃないかな。
「………ねぇ、ちょっといい?」
ふと、声を掛けられ、振り返るとそこには白兎。
「あ……白兎…」
「明日、時間作ってくれる? ……ちょうど姉さんの月命日だし」
白兎は机に顔をくっつけている露華を訝しげに一瞥したあと、そう僕に言ってきた。
僕は机に顔を伏せたままの露華を見ながら苦笑を浮かべ、頷く。
「うん。分かった。………あの本、明日持って行くほうがいいかな?」
「読んで内容覚えてるなら別にいい」
白兎から受け取り、テスト期間中に勉強の合間に読んでいたあの本のことを聞けば首を横に振られた。
そして白兎は申し訳なさそうに顔を歪める。
「……姉さんの墓だけど、あの場所の近くなんだ。──姉さんが死んだ場所の近く」
「………そう」
ツキン、と胸に痛みが走る。
あの場所を思い出せば苦しくなる。僕が六花を殺し、多くの命を奪った場所。大きな罪を背負った場所。
だけど─────。
「………大丈夫、だよ。……辛い思い出ばかりじゃないから。あそこにあるのは────」
「……ああ」
あの場所は六花が好きな場所だった。
僕と六花が出会ったのもあの場所。
彼女と過ごした思い出の多くはあの場所で生まれ、眩しい記憶として僕の中に残っている。
「………じゃ、明日の…十一時、あの場所で待ち合わせ。……いい?」
「うん、分かった」
僕が了承すると、白兎は頷き返し、ちらりとまた露華を見る。
「…………そう言えば、今朝こいつが屋上に行くの見たけど──何してたの?」
露華の肩がびくりと震えた。
「? そうなの?」
「珍しく先に登校したかと思えば……。何で?」
────そう。今日は何故か露華は僕と雪吹を置いて先に家を出たのだ。
三対の目に見られた露華は居心地悪そうに顔を顰めつつ、身体を起こした。
「………リーダーに連絡してた」
「リーダーって……例の?」
「そう。……詳しくは言えない」
どこか歯切れ悪くそう言って、露華は視線を逸らす。
そんな姿はいつもの彼らしくなくて気になったけれど、何となく雰囲気が許さなかったから、僕らは深く追及しないことにした。
露華の様子はボンヤリとしていて、少し不安に感じたのはどうしてかな……?
***
「遅いよ」
次の日、僕達が待ち合わせ場所に着いてすぐ、既にそこにいた白兎は呆れたように言った。
「そう……かな? まだ十一時にはなってないけど……」
「…………分かってる。冗談だよ。僕も着いたばかりだし」
困って言えば、白兎の呆れ顔が苦笑に変わる。からかわれただけらしい。
「……で、全員で来たんだ?」
「いつ敵が来るか分からないからね。リスクもあるけど、メリットの方が大きいから固まっておいた方がいいし……」
僕より少し後ろに立つ三人を一瞥した白兎に、雪吹が答えた。
「よく考えれば、この間も癒既を残して先に帰るんじゃなかったよ。紫希のことがあったばかりなのに───」
この間、というのは恐らく白兎に呼び出された日のことだろう。もし白兎がいなければ僕は鑑達三人と一人で戦わなければならなかった。
「そうだな……。あんなのはもう御免だぞ。強いのは分かっているがお前でもあんなボロボロになっていたしな……」
「う……。すみません。迷惑掛けました………」
雪吹とアストに次々と言われてしまい、本当に申し訳なく思う。
以前紫希に襲われた際、六花のことで精神的に攻められた僕は抵抗する術を持たなかった。
ただ六花のことで自分を責めて、紫希との戦いのことなんて全く考えられなくて、無抵抗のまま攻撃を受けた。
唯一の救いは紫希の性格だった。
もし他の天使が相手なら、僕は隙を見せた一瞬の内に死んでいただろう。
雪吹によると、彼はゆっくりと嬲り殺すのが好きらしく、即死に繋がる傷は与えられなかった。
それが幸いして、僕は一命を取り留めることが出来た。
そして、みんなに助けに来て貰わなければ僕はきっと今ここにいない。
「…………あん時、オレ、何も出来なかった」
思い返していると、露華がポツリ、と呟いた。視線を移すと、彼が酷く思い詰めた様子で俯いているのが分かる。
「……あん時、オレはビビって、何も出来なくて────」
「………露華?」
「……オレの“覚悟”って、何なんだろう」
思わず耳を疑った。
視界に入る露華。いつもの彼の元気、明るさは全くなく、今にも儚く崩れてしまいそうな、そんな脆さが表に顕れていて……。
「…………悪い。少し頭冷やしてくる。……何からしくねぇ」
「あ、露華……」
何か考えを払うかのように二、三度頭を振り、顔を上げ、弱々しく微笑んだ露華は踵を返す。
僕らから離れていく露華の後ろ姿はとても痛々しい。
「………癒既、そんな遠くには行かない筈だから大丈夫だよ」
「この辺りには迷うような場所も無いから、捜してもすぐに見付かる」
「うん……」
雪吹と白兎の言葉を受け、僕は小さく頷く。
だけど少し心配で、僕の顔にそれが浮かんでいたのか雪吹は小さく溜息を吐き、苦笑した。
「………露華ってさ、結構強引で何でもかんでも突き進む感じだけど、内面は凄く傷付きやすい繊細な性格なんだ。……だから、この間のことがショックだったんだね。………癒既がちょっと精神的に危なかったとき、露華は癒既に何も言わなかったでしょ? その資格が無いとでも思ったんだよ」
「資格……?」
首を傾げれば、雪吹は苦笑したまま肩をすくめる。
「……意外と気にするタイプだから、悔しく思ってんだよ多分。『何も出来なくて』って言ってただろ?」
「…………」
決してそんな事は無いと思う。
露華は僕が牢獄から逃げ出そうと決める切っ掛けを与えてくれたのだから。
あの時の事を、僕は本当に感謝しているし、資格が無いわけない。
「……ま、この話は一旦終わりにしよう」
「……そうだね」
延々と考えていても埒があかない。
僕らは話を切り、今日の目的のために白兎に視線を向けた。
僕らの意志が伝わったのか、白兎は一つ咳払いをして、ゆっくりと口を開く。
「あの本はちゃんと読んだ?」
「うん……。一通りは」
父さんの物らしい本には十六夜家の天使の役目や「神殺しの魔法」についての説明、他にも一般的ではない天使術や魔術について書かれていた。
───そして、僕のことについても。
「…………僕の記憶と力を解き放つ鍵は、白兎が預かってる“神殺しの魔法”と共にあるって」
「あんたの持つ、姉さんから受け取った力は“神殺しの魔法”の鍵。僕が持つ“神殺しの魔法”本体はあんたの記憶と力を解き放つ鍵になってる。僕があんたに力を渡せば互いの鍵は作用して、あんたはあんたの力を取り戻し、“神殺しの魔法”を得る」
「それで、どうするのかな? 白兎、君は癒既に渡す気はあるの?」
険しい声音の雪吹に、白兎は頷く。
「これは元々十六夜癒既のものだ。渡す事に文句はない──けど、一つ」
白兎の視線が真っ直ぐに僕を捉えた。
「既望さんから──あんたの父親が言ってたんだけど。……『力を使うべき相手を間違えれば、破滅に繋がる』って」
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ」
首を傾げる雪吹に、僕は言った。
「私利私欲に溺れた神への断罪なら、大丈夫。だけど、一生懸命に世界について考え、努力している神へこの力を使えば、僕は力に喰らわれて消滅する」
「なっ……」
「本に書いてあった。当然だと思うよ。そういう戒めがなければ、十六夜家はいつだって神に取って代われるでしょう?」
だからこれまでの神は治世に力を尽くした。
本にあったけれど、今の神になる前までは混血天使の立場は純血天使とほぼ変わらない位置にあったらしい。
その事を雪吹に話せば、途端に彼の表情が怒りに染まる。
「っ……てことは、今の天界の状態は今の神のせいってことだろうっ……!!」
「そうなる。だからちゃんと審判しなきゃ。神の意志で行ったことか、周囲に誑かされたか。確かめて、前者だった場合──僕は“神殺しの魔法”を使う。……そう思ってるんだけど」
自分の意志を白兎に伝えると、彼は小さく笑った。
「…………分かった。ちゃんと考えているのなら、僕はこの力をあんたに渡す。……今がいい?」
「ううん。後でいい」
断りを入れ、僕は周囲の気配を探る。
────誰か、居る。
実は僕らがここへ来たときから何か違和感を感じていた。会話しながらも注意深く用心していたのだけど、何かを仕掛けてくる気配はない。
「…………いい加減、ずっと見られてるのも気分が悪いんだけどな」
そう口にした瞬間、空気が変わった。