⑤懇願
「ふざけてないで話を進めてよ。……僕ももう少し十六夜癒既に言っておきたいことあるし」
「言っておきたいこと?」
「姉さんのこととか……ああっ、もう! 面倒だから先に話すよ!」
白兎は少し声を荒げると、持っていたスポーツバッグから革表紙の本を二冊取り出した。
そのどちらも三センチ以上の分厚さがある。
「取り敢えず、まずこれを渡しておく」
「これは……?」
「十六夜既望……あんたの父親から姉さんが預かったもの」
「!?」
僕は驚いて、本に向けていた視線を一気に上げた。
「……父さん、から?」
「……あ、そっか。あんたに父親の話をしても────いや。もうあのひともいないし、話した方がいいか」
白兎は困ったようにぼやき、溜息を吐く。
そして彼は、息を吐いた拍子に俯けた目線を上げ、真っ直ぐに僕を射ぬいた。
「…………はっきりと言う」
白兎の声は妙に部屋に響いてその場に緊張感を生み出していた。
僕は白兎の唇が開かれるのをただじっと待つ。
そして、白兎が紡いだのは思いがけない言葉。
「あんたが姉さんから受け取った力は“神殺しの魔法”を解き放つ“鍵”であって本体じゃない。本体は僕が預かっている。……あと、あんたの力、あんたの父親の手で記憶ごと封じられてるから」
「…………え」
「……あんた本来の力ってさ、あんたの──僕らの先祖神に匹敵するって程の力なんだよ」
「……え?」
「は」
「…………マジで?」
固まる僕と、そんな僕を信じられないとばかりに凝視する三人。
そしてさらに白兎は爆弾発言を落とした。
「ちなみにあんたらが捜してる、新しい神になる資格を持つ存在って僕のことだから」
暫しの沈黙。
「………へ、え? ……えと、何か信じられない言葉を聞いたような」
「幻聴とかじゃない。本当のことだから疑うな」
硬直状態からいち早く戻った露華に、白兎は呆れたように今日何度目か分からない溜息を吐く。
「……しかし、その証拠は何処にある?」
難しい顔で言い返したのはアストだ。確かに、何かその証となるものを見せられなければ簡単に信じることは出来ない。
「オレが師匠に聞いたところだと、神となる資格を持つ者には身体のどこかに光を放つ印が刻まれてるって話だけど?」
「それを見せればいいの?」
少し面倒そうな風に露華へ聞き返してから、白兎は自身の右手を出した。
「appear」
一言、白兎が呟く。
「っ………!!」
「うそ……」
僕たちは目を見開いた。中でもアストは面白そうに口元を笑みの形に歪めている。
「神を示す紋……本当のようだな」
「だから嘘は言ってないって……」
どことなく嫌そうな白兎が見せる右手の甲には光の線で複雑な図が描かれていた。それは天界に居た僕たちにとってよく知る紋──神を表すマークだった。
「普段は魔法で隠してるけどね。──見られると色々困るし」
「……本当に、白兎が」
「でも、これが出てきたのは最近だよ。──そう、姉さんが死んだ、ちょうどあの日」
その言葉に、不安を覚えた。
───思えば、あの時にはもう既に六花は僕に力を渡していた。
それなのに何故、六花を殺す必要があったのか。
今更ながら浮かぶ疑問。
まさか────。
「────姉さんは神の候補者だったんだ。……神になるつもりは無かったようだけど」
「…………ま、さか。六花は……六花はそれで命を狙われたの……?」
力無く、僕の唇から漏れた声に白兎は顔をしかめて首を横に振った。
「分からない。……けど、その可能性は高い」
「っ……そ…な……」
────知らなかった。気付かなかった。
ショックで、顔を上げることが出来なさそうで────。
「っ……俯くな! 十六夜癒既!」
「っ……!!」
白兎に一喝され、反射的に顔を上げた。
視界に入る彼の顔は真剣。
その気迫にあてられて、溢れそうになった涙も止まる。
「はく……と…」
「姉さんは神になるつもりは無かったんだ! だからあんたには言わなかったんだよ! あんたと対等に接したかったから……短い命でも人間として生きたかったんだよ、姉さんはっ……」
ぽたり、とテーブルに雫が落ちた。
僕はただそれを茫然と眺めることしか出来なかった。
***
(side 白兎)
僕は卑怯だ。
十六夜癒既に八つ当たりしたって、意味ないと分かっているのに。
だけど、苛々する。
こいつの仕草、言動──それら全ての殆どは「自信がない」「自分は弱い」、そんなことを言っているようで───。
「っ……いつまでも姉さんの事でくよくよグラグラしてんじゃねぇよっ! じゃないと僕はますます惨めに感じるだけなんだよっ!」
「は…白兎……」
「知らされなかったあんたと、知ってた僕! 姉さんを助けられなくて辛いのは僕だって同じなんだよ! それなのに何であんたはそうやって自分を責め続けるの?」
───僕は何を言っているんだろう。
「あんたは助けようとして失敗した。僕は臆病で戦う勇気が無かったんだ! あんたに頼ってた馬鹿なんだよ! あんた任せで……自分の力で姉さんを守ろうとしなかった愚か者なんだよ! …………あんたを責める権利なんて、僕は持っていないんだ」
ずっとずっと、後悔してた。
ずっとずっと、胸の中にしまっていた。
ただ自分の過ちを、弱さを、このひとには言わなければならないと思った。
────このひとは姉さんの大切なひとだから。
「だから、僕は必死に立ってるんだ! 自分を責めるために……。姉さんの願いも、一族の使命も、雪城の血を持つ人間で背負えるのは今、僕一人しかいないから。止まったまま自分を責める余裕なんてないから。っ……あんたはどうなんだ? そうやって止まって何がしたいんだ!」
自分自身でも何が言いたいのか分からない。ただ、この想いをせき止められなかった。ただ子供みたいに感情をぶちまけていた。
「苦しいのは分かるよ。過去に囚われ続けたっていいよ。……だけど、前を見て進んで欲しいんだ! ……僕も進めなくなるから」
みっともないくらいにぼろぼろと涙が零れる。一度弛んだ涙腺はなかなか治らない。
「…………そう、だよね。白兎だって、辛いはずだ」
十六夜癒既はポツリと呟く。
そして、俯く僕の頭に何かが置かれた。
少し視線を上げると、それは十六夜癒既の手だと判明する。
「…………何のつもり?」
「……話してくれて、ありがとう」
掛けられたのは、予想外の言葉だった。
「……白兎の気持ち、教えてくれてありがとう」
十六夜癒既は笑っていた。───今にも泣きだしそうな顔で。
僕は呆気にとられて、そしてクスリ、と微笑する。
「……何で、そこで『ありがとう』?」
「白兎の気持ちが聞けたのが嬉しかったから」
「……あんた、馬鹿だろ」
────ああ、でも。
「……あんたが学校で僕に言ったこと、ちゃんと全うしなよ? ──一応、僕はあんたを認めているから、ガッカリさせるな」
「白兎っ……」
「今日は帰る。……今度のテスト、終わったらまた話がしたい。……それまでにその本も読んでおいて」
僕は立ち上がり、十六夜癒既に微笑んだ。
「……あんたの父親のこと、僕が知っている全てはその時に詳しく話す。そのひと達も一緒でいい。……いいかな?」
自然に、優しい声音を出せた。
十六夜癒既は驚いた様子だったが、すぐに嬉しそうに頷いた。
「………分かった。あり、がとう…白兎」
確かに返事を聞いて、僕は微笑みを浮かべると、彼らの家を後にした。
久し振りに気分はスッキリしていて、十六夜癒既を嫌うのは止めてもいいかもしれないと思った程だった────。
***
(side 癒既)
「……何か、激しい奴だったな」
白兎が去ったすぐ後、そう露華が声に出した。
「そう? 露華といい勝負だと思うけど……」
「え、オレってあんなに性格悪い!?」
「むしろ露華よりマシだろう。……あれは素直に物が言えない奴だな?」
ショックを受ける露華にアストが追い討ちし、僕は力無く笑いながら白兎についての事柄に関しては肯定することにした。
「うん……。六花曰く、“ツンデレ”だって」
「…………“デレ”なんてあったか?」
「とにかく……露華。これからどうするの? “新たなる光”は見付かった……」
雪吹の一言により、空気が一変する。
露華は真剣な面持ちになって「分かってる」と呟いた。
「一度、仲間に連絡する。──そして、リーダーから指示を受ける事になると思う。────本格的な戦いになるだろうけど、覚悟はあるんだよな?」
確認するように問われ、雪吹が真っ先に首肯した。
「────もう、あんな思い嫌だから。……変えるなら自分の手で変えたい」
「俺は雪吹をキヨウに託された。──雪吹を守る義務が俺にはある。戦うことに異論はない」
雪吹に続く形でアストが言葉を発し、露華の視線が僕に止まる。
「────癒既は?」
「……十六夜の血を持つ者としての答えなら、僕は神を審判したい」
色々なことが有り過ぎて、今の自分の気持ちが分からない。だから、僕に課せられた使命の点を考慮して、そう返答した。
「いずれにしろ、神を殺せるのは十六夜の血を持つ僕しかいない。“神殺しの魔法”でしか倒せないから」
だから白兎に言われた通り、受け取ったこの本を読むことにする。
白兎はあの口振りからすると、僕の知らない事を知っているはずだ。言うことに従う方がいいだろう。
それより……。
「……それより、そろそろテスト勉強しようか? 露華……マズいんだよね?」
『あ』
ふと思い出して目の前に迫る懸念事項に触れれば、露華と雪吹の声が重なった。
……どうやら露華だけでなく雪吹も忘れていたようだ。
その後のリビングは今までの雰囲気が嘘のように荒れだす勉強会にチェンジした。
***
(side 露華)
「……ってさ。どうすんの?」
夜の帳が降り、しんとしたオレの部屋。その空間に響くのは二つの声。一つはオレ。もう一つは水晶越しにいる相手───。
『……そういうことなら仕方ないだろう。会うよ、お前の“お友達”に』
オレ達天使にとって水晶とかは術の媒介によく使われる。今、この目の前にある水晶は電話のような役割をしている。
相手の言葉には何か含まれていて、思わずオレは身体を強張らせた。
『────安心しな。変なことはしねーよ』
「……本当に?」
『ああ』
オレの様子が伝わったのかカラカラと笑う相手に心配を隠し切れず訊ねれば、すぐに肯定されてホッとした。
『────ま、少しだけ試させて貰うがな。……それよりお前、テストはどーなの?』
「………ノーコメントで」
安堵も束の間。
相手が出してきた疑問にオレはそう答えるしかなく、水晶越しに爆笑の声が届いて、急に心が苦しくなった。
────オレはこいつを恐れているから。
『テストが終わったらもう一度連絡しろ。そっちに行く』
「……分かった」
通信が、切れる。
何とも言えない不安を抱えたまま、オレはベッドに潜り込んで眠ることにした。
────怖い。
いずれやってくる未来が、怖い。
本当に全てを明かす時、あいつらはオレをどう思うのだろう……?
ぐるぐると思考が落ち着かない。
深く瞳を閉じる。
けれど、なかなか意識は手放せなかった。