③対峙
(side 雪吹)
辿り着いた場所は酷い光景だった。
追跡魔法で癒既の居場所を捜し、魔法が示した廃倉庫をの扉を開いた途端に鼻につくのは血の香り。
「っ……!?」
「癒既っ!!」
露華は鼻を押さえ顔色を悪くしたけど、俺は天界に居た時に散々嗅いでいた匂いだから悲しい事に耐性があった。
それでも少しだけ顔をしかめて中に足を踏み入れる。
「大丈夫か、お前」
「……大丈夫」
俺の後ろでアストが気分の悪そうな露華へ心配そうに声を掛ける。
本当は平気ではないだろうに、露華は無理したような返事をしていた。
そんな彼らの声を聞きながら、少し奥に進んで俺は足を止める。
「ゆ……つき……」
理解し難い光景。
床に散らばる赤。その中でその色に染まった癒既が倒れていた。
そしてそこから五メートル位の距離を置いた所に、一人の青年が立っている。
「……あれぇ? もしかしてイブキ?」
わざとらしく声を掛けてきたそいつには覚えがあった。
「っ……紫希、お前が癒既をっ…………」
声を絞りだすように問い、睨み付ければ青年──紫希はクスクスと音を立てて笑う。
「少しは楽しめるかなーって彼と少しお話してたんだけどね、逆効果。反対につまらなかったよ。簡単に壊れちゃうんだもん」
「いぶ………癒既!?」
後からやってきた露華が俺を呼ぼうとして目を見開き、倒れる癒既の名を口にする。
その隣にいたアストも驚愕を隠せないようだった。
「……露華、癒既をお願い」
こんな状態の露華では戦力にならない。そう判断して指示する。
そして俺は、癇に触る笑みを浮かべる紫希に向き合った。
「い…ぶき……」
思った以上の惨状を目にして情けない声を出す露華を励ましてあげたいけれどそんな余裕はない。
「……露華、そんな状態で戦ったらすぐに死ぬよ。それに、あいつは露華には戦いづらいよ。きっと」
「……強いのか」
アストが呟いたけど、それはもうすでに気付いていたと思う。今の呟きは一応、と言ったところだろう。
「元、死刑執行人、青山紫希。三年前、一般天使十数名を無差別に殺害し投獄される。……魔族と天使の混血で、濃紫色の翼を持つ色付き」
俺が分かる彼のプロフィールを言ってやると、露華は知っているようで表情を強ばらせた。
「………騎士の家系である、青山家の……異端か」
「そう言う君は望月家の落ちこぼれだね?」
露華は紫希の一言に剣呑に眉を寄せる。
「……落ちこぼれ言うな」
「ボクは異端って言われても気にしないけどね」
紫希と会話している露華だが、いつものような元気が言葉にない。
色々とショックを受けているのだろうと推測する。
「まぁ、いいや。その黒いのは混沌の支配者だよねー? 混沌の支配者と戦えるなんてボクって運がいいのか悪いのか……」
紫希は何が楽しいのかケラケラと笑い続ける。
「っ……あんたは相変わらずだね、狂った踊り子──『死鬼』。理解出来ないっ……!」
『死鬼』
それは紫希の異名。
罪人を殺す際、楽しそうに笑い、まるで舞うような動きで逃げる相手を追う、死へと誘う鬼。
「君は変わったよね、血濡れの天使──『紅雪』さん?」
笑い続ける紫希は対抗するように俺にそう返した。
『紅雪』
──俺の名前、「雪吹」からいつの間にか誰かが呼び始めた名。
「紅い血に染まる雪」という意味で『紅雪』らしい。正直言い出した誰かに文句が言いたい。
「……ねぇ、ボクを楽しませてよ? 戦ってくれるんでしょ?」
浮かべているのは変わらず笑顔。
しかし、そんな紫希の笑顔はいつ見ても不気味に感じる。
「……雪吹、俺が────」
「ううん。俺にやらせて」
紫希の前に出ようとするアストを制する。
「アストは癒既の手当てを。止血だけでいい。……治癒魔法が使えそうなら戦いはアストに頼むけどね、紫希のお陰で効かなさそうだから」
「あれ? よく分かったね?」
紫希は感心して少し驚いたような表情をした。そんな彼を、俺は憎々しく睨む。
「あんたの十八番だろ? 治癒魔法が効かないよう呪術を使うのは」
紫希が捕まった事件でも、こいつはこの方法を使用していた。
相手を散々痛め付け、なぶり、苦しめてから命を奪う。それが紫希のやり方だ。
「紫希。癒既に掛けた呪術を解け」
「嫌だって言ったら?」
呪術が解かれない限り、治癒魔法で癒既の身体を癒すことは不可能だ。
紫希は俺の言葉にニヤニヤと嫌な笑みしか返さず、俺を苛立たせる。
「あんたを殺す」
拒否されるのは予想の範囲だし、この間──俺が混血であることを露華達に明かした時から少しずつ覚悟はしていた。
────そして、今の俺に迷いはもうない。
物騒な発言をした途端、俺の後ろで息を呑む音が聞こえる。
「雪吹……」
「露華、止めないでよ? 一応、散々悩んだ結果の決意なんだから」
反対される前に釘を刺しておいた。
「殺す、ね。本当に出来るの? 君に」
紫希は目を細め、試すように俺を見る。
「ボクの記憶では、君は誰かを殺すことを良しとはしていなかったハズだけど?」
クスクスと紫希は笑う。
その仕草は酷く不快に感じた。
「黙れよ」
紫希を睨む。
「確かに俺は命を奪うことが嫌だった。仕事だとはいえ今までそれで苦しんできたよ」
紫希に向けた視線を逸らさず、俺は語る。
「でもね、大事なモノの為なら俺は迷わない事にしたんだ! だから……だから俺はあんたを殺す。あんたが自ら解くか、死なない限り、癒既に掛けられた呪術は消えないんだろ?」
「うん」
問い掛ければ肯定された。
「あんたが呪術を解かないのなら、このままじゃ癒既が死んでしまう。……なら、方法は一つしかない。大事な仲間を助ける為なら俺はあんたを殺すよ、紫希!」
「……ホント、君は変わったね」
少しの間を置き、紫希はボソリと呟いた。
その瞬間、紫希の表情からそれまで浮かべていた笑みが消えた。
「…………なぁーんか、ムカつく」
言葉通り、苛立ちのこもった眼差し。
冷たい表情で彼はこちらを見た。
「……聖司には『殺すな』って言われてるんだけど、なんか加減出来なさそう。……だから殺しちゃうかも」
「出来るならやってみろ。本気で相手してやるよ」
紫希はククッと喉を引きつらせたように笑い声を漏らすと姿を変え始めた。
綺麗な黒髪は紫紺に染まり、黒の瞳は紅へと変ずる。
そして、彼の背には黒に近い、濃い灰色の翼。
彼の身から放たれる魔力は邪悪な雰囲気であり、彼──紫希が魔族の血を持つ者であるのがはっきりと理解出来た。
(本気だ……)
俺は紫希から放たれている殺気を肌で感じ、右手に短刀を出現させる。
「……雪吹」
癒既の止血を行うために、黒のマントを外し、彼の傷口に当てているアストが心配そうな瞳で俺を見ていた。
俺はアストへ安心させるように微笑んでから、短刀の刃の部分に左手を添え──刃を引いた。
痛みと共に滲み、溢れる血。
その雫はポタリ、と足元に落ちて灰色の地面に紅い染みを作る。
「雪吹……何を、」
「覚悟を決める切っ掛けを作ったのは露華達だよ。────だから、ちゃんと見ていて欲しい」
俺の行為で目を見張った露華に苦笑した。
露華は意志自体は強いと思う。
だけど俺や癒既と違い、彼には無かったのだ。
──誰かを傷付けるという行いが。
いや、もしかしたらあるのかもしれない。
けど、それは些細なもので、大怪我や致命傷等を与えることは無かったのだろう。
────勝手な憶測だけど。
「覚悟」をしていないわけではないはずだ。
神に刃向かうというのは天界の民の多くを敵に回すということ。
戦闘を避けようとしても、全ては無理。
天使の多くは神を心酔してしまっている。彼らはきっと、崇拝している神のためなら命を捨てることを厭わないだろう。
いくら説き伏せようとしても全てが上手くいくわけない。
だけど、露華は…………。
(露華の覚悟は──まだ弱い)
────なら、俺の覚悟を見ていて。
少なくとも、今の俺の思いは露華より強いはずだから。
「エマ・ボワキ・ル・ニライサ・シヨラツ・メネオティー」
手のひらから溢れる血の雫をバッと床にまき、呪文を唱える。
血の雫がコンクリートに滲んだ瞬間、俺の足元に禍々しい紅色の魔法陣が浮かび上がる。
陣から発せられる紅い光が一際強まった直後、重りが取れたかのように俺の身が軽くなった。
「…………それがお前の真の姿か。雪吹」
アストが口を開く。
その言葉を聞いた紫希の眼光が鋭くなった。
「っ……へぇ、完全に本気モードじゃない」
「……雪吹」
「露華、よく見ていて。──俺の覚悟を」
髪や瞳の色が変わったりはしていない。
でも、右腕には肩から手の甲まで、紺色の、入れ墨のような不可思議な紋様の線が浮き出る。
そして、俺の背に広がったのは──。
「翼の色が……違う」
露華が呟いた。
────そう、違うのだ。
今まで彼らに見せていた純白の翼ではない。
右は冷たい氷を思わせる青白い色。
左は夜を照らす月のような淡い黄色。
「────来い、紫希!」
俺は右手に剣を出現させ、初めて自分で敵と認めた相手を睨み付けた。
***
(side 露華)
オレは、今までこいつの何を見ていたんだろう?
隣ではアストが雪吹を気に掛けながらも、しっかり癒既の手当てをしてるってのに、オレは茫然と雪吹の姿を見るしか出来なかった。
────ああ、オレは弱いな……。
生意気な口は叩ける癖に、こういう時になると弱い。
『露華、よく見ていて。──俺の覚悟を』
────馬鹿。
んなもん、言われなくたっていつも見てんだよ。
オレは全然強くなれてない。
雪吹も、癒既も、強くなっている。
────精神的に。
だけど、オレは変わらない。
天界から逃げる時、オレは正直に言えば怖かった。
でも、オレには役目があるから、震えそうになる身体を叱咤して“あいつ”の言う通りに行動を起こした。
…………あいつの命令通り、二人を地上に連れてきた。
雪吹を強引にでも一緒に連れていき、暗闇の牢獄に囚われている罪人を仲間にして天界から人間界に降りること。
────あいつからの命令はそんなところ。
────オレは、狡い。
オレは仲間であるお前らに全てを話せてない。
オレの──あいつの正義の為に、オレはお前らを利用してる。
だからと言って、オレが今まで口にしてきた言葉が全て嘘だとは言えないけど。
今の天界に怒りがあるのは本当。
混血だからそれが何? って思ってるのもホントだし、癒既に死ぬ事を否定してやった時に言ったこともオレの本心。
────でも、オレが二人を利用しているのは変わらない。
あいつは「正しい」と言うかもしれないけど、それは本当なのか?
『……色んなモノを見て回れば、自分にとって本当に大切なモノが何なのか分かるじゃん』
天界を離れる直前に、雪吹へ言った言葉。
──本当ニ大切ナモノッテ、何ナンダ?
今もそれは分からない。
ただ、今思うのは………。
(強く、なりてぇっ……)
身体的にも、能力的にも。
……そして、精神的にも。
オレは弱い。
あいつに言われるがままのオレ。
虚勢を張ってばかりのオレ。
仲間に本当のことも言えないオレ。
────誰かに力を借りてばかり。
だからこそ、視線の先にいる堂々とした姿勢で立つ雪吹が、酷く眩しく見えたのは仕方のないことだよな…………。