①理由
今回の主人公は一応、癒既です。
「暗闇の牢獄」、「蒼穹の光輝」を読まなければ分かりづらいところもあると思います。
なので、そちらの方が未読の方は二作品を読むことをオススメします。
それでは、どうぞ。
────何故?
どうして僕はここにいるのだろう。
あの、暗闇の牢獄にいたはずなのに……。
僕──十六夜癒既は何度目か分からない自問自答を心の中でしながらテーブルの反対側に座る二人に視線をやる。
「あーっ!! 露華! それ、俺のパンーーっっ!」
「ボーっとしてるお前が悪いっ!!」
「もう!! 露華は食べ過ぎ!! パンもおかずもどれだけ食べてるんだよ!?」
「うっへー! おへはほへはへふほうほはっへはろ!!」
僕の目の前で繰り広げられる朝食争奪戦。
大声で文句を言う彼の名は月夜里雪吹。心配性で、苦労性。パンを奪った彼に色々と振り回されていることが多い。
そして雪吹からパンを奪い、それを頬張る彼は望月露華。僕を牢獄から連れ出した張本人。この二人のこのやり取りはもはや毎日の恒例行事となっている。
「何言ってるのか分かんないよっ!!」
「ははら、おへはふぉへはへふふぉうほふぁっへふぁほ!!」
「……『だから、オレがどれだけ食おうと勝手だろ』だって」
雪吹から奪い取ったパンを口一杯に頬張る露華の言葉を苦笑しながら訳すと、露華は「そうだ」とばかりに首を縦に振った。
「……いつも思うけど癒既、よく分かるね」
「…………何となく、ね」
露華はよく口に食べ物を入れたまま喋るため、何故か僕は彼の翻訳機となっている。何となくで訳しているんだけど、前に露華に聞いたところ「ほぼ完璧に通訳してる」らしい。
そんな感じで二人と暮らしているからか、僕は自分がここにいる理由に疑問を抱きながらもこの二人と生活することに慣れ始めていた。
「あ……もうこんな時間」
ふと僕が壁時計を見て呟くと、二人は僕の目線の先を確かめて慌てて同時に立ち上がった。
「『……あ、もうこんな時間』じゃねえぇぇ!! やっば! 急がねーと遅刻じゃねーか!」
「ああ~っ、もう! 片付けてる暇も無いっ!! 行こう! 露華、癒既!」
僕は焦る二人に頷くと、リビングに持ってきて置いたショルダーバッグを掴んで二人と共に家を出た。
天界から逃げ出した僕達は今、人間界で暮らしている。
人間界で暮らすことを提案したのは露華。住む場所とか生活費とか、人間界で暮らすにしてもその辺りのことが心配だったんだけど、露華は軽い調子で「任せろ」と一人で家も生活費も用意してしまった。いったいどこで……と僕も雪吹も尋ねたけれど、露華は笑ってはぐらかすばかりで「その内教える」としか言わない。僕等は仕方なく訊くのをやめた。
そして、「じゃあ」と聞くのを諦めたかわりに学校に通うのを提案したのは雪吹。これには“勉強”が好きじゃないらしい露華はかなり抵抗を示した。──が、延々と笑顔で説得の言葉を続ける雪吹に負けた露華は最終的には了承して、僕は元々雪吹の案には賛成だったから三人全員で高校に入った。ちなみに戸籍とかその辺りも露華が何とかしてくれたみたいで、問題なく僕らは高校生活を送っている。
「あっぶねー…。もうちょっとで遅刻だったじゃん」
家から急いで走った結果、校門が閉められるギリギリで滑り込むことができて露華が安堵の息を漏らす。
「早くしないと授業に遅れるよ」
同じようにホッとした僕が言うと二人は頷き、同じクラスの僕達三人は教室へと向かった。
「んー…。一時間目って何だっけ?」
「数Ⅰだったはずだけど。今日、小テスト」
「マジで!? あ゛ーもぅっ。オレ、数学苦手~~っ!!」
露華は雪吹の返事に大げさに反応した。それに僕と雪吹は苦笑する。
「僕もあんまり得意じゃないよ」
「嘘吐け! オレよりもはるかに良い点じゃん!」
「それは露華が勉強しないからだろ? 癒既は苦手な教科でもちゃんと予習と復習してる。露華も少しは見習いなさい」
文句をたれる露華に対し、雪吹は叱るように言った。
…………どうやら、勉強に関する言い争いでは雪吹の方が強いらしい。
「それを言うなら雪吹もだろ?」
僕が結論付けた直後、露華は言い返した。
「え?」
「だって雪吹、苦手な古典だけはほったらかしじゃん。この間の動詞の活用形の小テストだって────」
「わぁーーーっっ! 言わないでっ!!」
慌てたように雪吹が叫ぶと、露華はニヤリと口元の端を上げた。
…………前言撤回。やはり雪吹は簡単には露華に勝てないらしい。
「とにかく、早く教室行こう。で、ギリギリまでノート見てちょっとでも公式覚えた方がいいよ」
「……確かに」
露華は僕の言葉を聞いて素直に頷くと、僕達二人を置いて走っていった。
「速っ……!!」
「露華は走るの得意だから……」
僕達だって走っているのに、どんどん離れていく露華を見て呟くと雪吹は苦笑した。
「付け焼き刃でどうにかなるほど甘くないと思うけど……」
しかし、雪吹の予想は外れた。
「よっしゃぁーーっっ! ギリギリ合格!」
SHRにて返された数Ⅰの小テストを見るなり、露華は周囲を気にすることなく喜びの声を上げる。
「…………外れたね。雪吹の予想」
「……マグレでしょ。ギリギリだし」
僕が前の席に座っている雪吹に小さく声をかけると、雪吹は僕の方に振り返りながら呆れた様子の顔を浮かべた。
「今回の合格ラインってどれだけ?」
「二十点満点の六割以上」
「……十二点か」
「でも、露華にしては珍しいんじゃない?」
僕は苦笑しながら今までの露華の成績を思い返した。確か前の時は三点。前々回は五点だった気がする。
「今回はノート確認っていう付け焼き刃があるからだと思う。いつもはそれすらしないし」
「あー……」
雪吹の話に妙に納得出来た。
露華は集中さえしていれば何でも覚えられるくらいに記憶力がいいのだ。以前クラスメイトと記憶力を使ったゲームをしていて断トツで一位になっていたのを覚えている。
「真面目に授業を聞いとけば成績上がるのに……」
「同感」
未だに自分の席に戻らず、周りがドン引きするくらい騒いでいる露華を見ながら、僕と雪吹は溜め息を吐いた。
***
こんな生活は天界では今まで送ったことがなかった。
堕天使となるまでに天界で暮らしていた時だって、どうでもいいことやくだらないことをみんなで集まって話し合ったり笑ったことなんてない。
────僕は天界ではずっと独りだったから。
同じ天使。
神の下で一緒に働く仲間。
そういうひと達はたくさんいたけれど、心を完全に許せるひとはいなかった。
────いや。そうする必要が無かっただけかもしれない。
どうせ神のために生まれた命。
神の命令に従って生きるのが天使の運命で、それに逆らうなんて思わなかったのだから。
そこまで考えて、僕はふと疑問に思った。
────では何故、彼らは神に逆らったのだろう。
学校からの帰り道、考え込んでいた僕は下げていた目線を上げ、前を歩く二人を見た。
「ん? 癒既、どうした?」
それまで雪吹と談笑していた露華が僕の視線に気付く。少しだけ躊躇って、僕は疑問に思ったことを訊くことにした。
「……すごく今さらなんだけど、どうして二人は天界から逃げようと思ったの?」
彼らと暮らし始めて随分と経つのに、僕は未だにその理由を二人から聞いていなかった。
「んー……? 簡単に言うと、天界の雰囲気が嫌だったから、かな?」
僕の疑問に露華は首をひねりながら言った。
「どうして……?」
あまりにもあっさりと答えられて、僕は訊かずにはいられなかった。
「だって、まずあの横暴な神自体嫌いだし。そんな神に文句の一つも言わずに従ってる奴らが多いのがなんかムカつく」
「俺もあの空気は苦手だった。それを少し露華に打ち明けたら無理やり一緒に逃亡するはめになったんだ。……一回ミスして捕まったけど」
その時を思い出したのか、恨むように半眼で雪吹が露華を睨む。
しかし、露華は全く気にしていない。
「いーじゃん。二回目は成功したし」
「全く……」
雪吹は諦めたように溜め息を吐くと、僕の方を見た。
「俺達が逃亡した理由はこんなところだよ。…………ところで癒既」
「うん」
僕は頷いた。おそらく彼も気付いていたのだろう。露華だけは不思議そうな顔をしているが、僕と雪吹は身構える。
「…………そこにいるのは分かってる。いい加減に出てきたら?」
僕がある一点に向かって呼び掛けると同時に、周囲の景色は青いフィルターがかかったような色に染まった。
そして、睨んだ先から現れたのは三人の青年だった。