人気バンド デビュー前の知られざるエピソード3
天才ボーカルの独奏(独走)
「楽人、卒論、ちゃんとやってるか」
徹に言われて、ほへっ? とあさっての方に顔を向けた。
「俺は名ばかり大学の阿呆学部やねん。卒論なんてやるわけないやろ」
「卒論ぐらい自分でやれよ。これ以上面倒みねぇからな」
彬に突き放されても焦らなかった。レポートだのテスト前のノート調達だの、彬は俺の進級のために今まで散々手伝ってくれた。やつは卒論も放っておけないに決まってる。
学業も素行もクソ真面目なベースの徹、人の面倒見がよくて自分自身には怖いぐらい厳しいドラムの彬。俺らは大学で知り合い、三人でバンドデビューを目指している。ひょんなことから転がり込んできたMV制作のチャンスがあるのに、卒論なんてやってられっか。
今は曲作りだ。曲のアイデアが欲しい。みんながあっと言うような音楽を作りたい。
俺の場合、曲を作ろうと思って出来たことは一度もない。曲は突然降ってくるもんだ。それは冷蔵庫を開けて中をのぞいた瞬間だったり、チャリに乗ろうと鍵をつけたときだったりする。その瞬間がくると、自分が何をしようとしていたのか忘れて、頭に鳴り響く音と言葉に絡め取られる。
小学生の頃、草野球でフライをキャッチしようと見上げたら、空の青さが目に飛び込んできた。めっちゃきれいな青や、と思った瞬間、頭にメロディーが響いた。野球をやってたことなんて頭からすっぽ抜けて、俺はずっと空を見上げていた。ハッと気付いたら足元にぽてんとボールが転がり、周りの奴らがわーわー怒鳴ってた。
いつもこんなだから、俺はどこに行っても「変な奴」扱いだ。もし徹と彬に出会わなければ、一生変な奴のままだった。俺のおやじは、俺が普通の会社員なんか勤まる訳がないと思ってる。
学校に入る前のガキの頃、おやじの実家で見たミュージシャンのポスターが、音楽記憶の始まりだ。
おやじの学生時代そのままの部屋は壁中ポスターだらけで、部屋だけじゃ足りず、廊下や階段の途中にまでべたべた貼られていた。天井からは、白い顔で目や口の周りに黒いギザギザを塗った男たちが、ベロを出して睨み付けてきた。それを見た瞬間、「ギュイーン」とギターの爆音が脳内に鳴り響いた。まだギターの音も知らないのに、だ。音楽にジャックされたのは、このときが初めてだ。
おやじはあぐらをかいた膝に俺を座らせ、古いCDラジカセのボタンを押して天井を指さした。
「これは、キッスいうてな。偉大なロックンロールバンドや」
おやじは「アイ ウォナ ロッキンロール オールナイト ア パーティ エブリデイ!」と歌ってヘッドバンギングした。突然の轟音にばあちゃんが飛んできて、「小さい子に変なこと教えんな!」とおやじの頭をはたいた。そのときの俺はギターの音も英語もロックンロールの意味も知らないはずなのに、その場面は今でもくっきりと思い出せる。
この話を徹と彬にしたら、「お前のおやじさん、節操ないな」と言われた。確かにそうかもしれない。部屋に貼られたポスターは、後になってバンド名がわかった。クィーン、ポリス、ビートルズ、エアロスミス、レッド・ツェッペリン、ローリングストーン……かと思えば、サザン、加山雄三なんてのもあった。俺の頭ん中は、いろんな音楽が一つの鍋に放り込まれ、グルグルかき混ぜられた状態だ。
俺らのバンドGATTANのMV制作話が進んでいる。事務所との打ち合わせで提案されたのは、シンプルな背景で俺らが演奏するというものだった。
「いいんじゃね。演奏そのものを聴かせられんじゃん」
彬は穏便派だ。俺らの曲が販促されればいいと、特にこだわりもないようだった。徹は少し考えていた。元はと言えば、ツラのいい徹を売ろうというところから始まった話で、画面構成は徹の顔アップが多い。
「ベースばっかり映してどうするんだ。どうせならボーカルの大写しか、三人まとめてかのどちらかだろう」
俺自身は今の企画に不満だ。
「平凡すぎる。金かけてないのが丸わかりやで」
徹に言い返された。
「俺ら拾ってもらった身分だ。金かけろとは言えない」
そりゃ徹はそうやろ。こいつは事務所に俺らの演奏を聴いてもらう機会をすっぽかして、世話になった本屋のバイトに行ったんやからな。けどその言葉は飲み込んだ。
「俺ら史上最高の曲でやればいいじゃん。パフォーマンスで勝負しようぜ」
「彬は簡単に言うけどな、最高の曲ってなんやねん。今まで作った曲に満足なんてしてへんで。もっとでっかい曲でぶちかませるって思てるねん。けどまだその曲は存在せぇへん」
言いながらわかっていた。俺がアイデアを思いつかなければ、GATTANの曲は生まれない。事務所側との打ち合わせは手持ちの曲でやる方向で進み、俺は一人でじりじりと焦り続けた。
降りてこい。俺だけの音楽。そう念じても、あの瞬間は制御できない。
何度かの打ち合わせとリハを済ませ、明日は本番の録音・撮影を控えた晩、俺は布団の中でもんどりうっていた。
納得がいかない。納得がいかない。納得がいかない。
これがデビューやのに、こんな気分でいい演奏なんてできへん。
ぎりぎりのタイミングで、企画をひっくり返すアイデアなんてない。これがデビュー曲だと胸を張れない。
いっそやめるか。
あ、と思った。なんで今まで思いつかへんかったんや。気の進まんことはやらんかったらいい。今まで好きな事しかしてこぉへんかった。それでなんとかなったやないか。
一気に体の力が抜けた。目覚ましもかけずに俺はぐっすりと寝込んだ。
ピロピロ、ピロピロ、ピロピロ。
うるさいな、なんや。
寝返りを打って布団にもぐりこむ。
ピロピロ、ピロピロ、ピロピロ、ピロピロ、ピロピロ、ピロピロ……
しつこいな、とぼんやり目を開けると、枕元でスマホが鳴っていた。仕方なく電話に出ると、耳元で彬の怒鳴り声がした。
「楽人、今何時だと思ってる! 約束の時間だろ! 今どこだ⁈」
「あ~、うん? 今、布団の中」
「何考えてる! 今日は絶対遅刻すんな、って言ったろ!」
「もうええねん。俺、事務所の言う通りにやるぐらいやったら、メジャーデビューなんてせんでええ」
電話の向こうで、彬から徹に代わる気配がした。
「楽人、今日のために一体どれだけの人が動いたと思ってる」
「しらん。そんなこと俺には関係ない」
「世の中、お前みたいなやり方で生きていけるほど甘くない」
プツッと電話が切れた。俺はまた布団にもぐりこんで、眠りをむさぼった。
次の日は暇で、学校でも行くか、とふらりと出かけた。久しぶりに足を踏み入れたキャンパスは、銀杏が色づき足元には黄色い葉が敷きつめられていた。こんなにたくさんの葉っぱを蓄えてたんやなぁ、と木を見上げる。突然風が吹いてザザーッ黄色い天使たちが舞った。その一枚がはらりと一人の女子の肩にとまる。そいつは黒いケースを抱えていた。あれは形からするとチェロのケースだ。目を移すと、隣の女子も四角いケースを持っている。バイオリンか何か。
目の前で火花が散った。
頭の中で音が渦を巻いて流れ出し、とめどなく俺の周りをループする。言葉が、映像が、メロディーがあふれ出し、体中の毛穴から吹き出しそうになる。取りこぼしたくない。全部すくい取りたい。でもその術がない。
いくな、逃げるな、俺の音楽。
幸せなのに苦しくて、誰かに救いを求めたくなる。ここに彬と徹がいてくれたら。
「おい」と後ろから肩をつかまれた。焦点が定まらないまま振り向くと、彬が立っていた。
「楽人、今度という今度は……」
彬は言いかけて俺の目をのぞきこんだ。
「やばい!」
彬は俺を抱えて道の端に連れて行き、縁石に座らせた。素早くスマホを取り出し電話をかけ、すぐに録音を始める。
助かった。
反吐が出そうなほど体いっぱいになっていたものを一気に出す。出して出して出しまくる。楽になりたい。その思いだけが俺を突き動かす。
永遠のように思われた時間が過ぎ、気が付くと彬と徹が俺の両側に座っていた。
「落ち着いたか」
徹の低音ボイスが、嵐の後の心を鎮めてくれた。
「お前ら、いつからそこにおんねん」
二人は顔を見合わせ、彬が憮然とした顔で俺を見据えた。
「今回のはマジやばかった。俺ら平謝りしたんだぜ。あの事務所、もう出禁だ」
徹は一つ大きく息を吸い、はぁっと吐き出してから立ち上がった。
「楽人が悪い」
「けどな、これですっぽかしはみぃんな一回ずつや」
俺がすかさず言うと、彬に頭をどつかれ、徹からは腹にパンチを食らった。
「音楽で食っていくつもりなら、次はないと思え」
へい、と頭を下げる。二人が必死で謝る姿が浮かんだ。見捨てられたっておかしくないはずだ。
徹が学食行くぞ、とさっさと歩きだした。慌てて背中を追う。一人きりの俺は「変な奴」でしかない。俺がGATTANを引っ張ってきたつもりだったが、実はずっとこいつらに救われてきたのだと、初めて気づいた。
昼を過ぎた学食はがら空きで、俺たちはPCとスマホを取り出して曲作りに取り掛かった。
「ったく。楽人のゾーンがもっと早かったら、あんなに平謝りせずに済んだのに」
「彬、もういい。あの事務所のやり方はおれも気に入らなかった。だが俺らは信用を失くしたな」
徹は文句を垂れる彬の横で、黙々とPCを操作する。俺は脳内に吹き荒れた嵐の疲れと反省から、しけた気分で外を眺めていた。
しばらくして、徹が俺に画面を示した。
「これでどうだ? 信用を取り戻すためにいい作品作るぞ」
画面をスクロールする。やっぱり徹や。俺のアイデアをちゃんと理解してくれる。
「こんな感じや。あとは人集めやな」
「ん? 人集め?」
テーブルに突っ伏していた彬がむくっと体を起こす。徹が彬の方に画面の向きを変えた。
「楽人のイメージだと、この曲はオーケストラ付らしい」
「オーケストラだけやない。合唱付きや」
彬が頭を抱え込む。
「お前、話がでかすぎんだよ。金なんかねぇんだぞ。オケだの合唱だの、一体どんだけ人がいると思ってんだよ」
「さぁな、めっちゃたくさん?」
俺は徹のPCで検索したものを二人に見せた。
「うちに大学オケがある。そいつらに手伝ってもらお」
「簡単に言うな。みんな忙しいんだ。そんな簡単に人が集まるわけねぇだろ」
「ボランティアやない。ギャラ払うで」
「そんな金、どこにあんだよ」
「ある」
俺は自信たっぷりに胸を叩いた。いつの間にか、さっきのしなびた気持ちはどっかへ消え失せていた。
大学と交渉して借りた講堂に、楽器を持った奴らがぞろぞろと入ってくる。全部で七十人ぐらいか。今更ながら、徹と彬の人脈と人望に感心する。俺だとこうはいかない。
最後に白髪交じりのじいさんが指揮棒を手に入ってきた。顔を見てぎょっとする。
「おやじ!」
徹と彬のやつ、俺に黙ってこんな小細工してたんか!
おやじは知らん顔で台に立つと、オーケストラの前でさっと指揮棒を構えた。
前奏が始まった。全部の楽器が一斉に鳴り出す。弦楽器が弓をしならせて弾く中、俺は舞台の最前列に置かれたマイクの前に立ち、直立不動で歌い出した。
卒論出して単位取る? 大学卒業の資格?
そんなものがなくても、俺たちは生きてる。
世の中を回せ。俺たちの手で回せ。気概だけで食っていく!
バンドでやるのもいいが、オケをバックに歌うとテンションが上がる。息継ぎのタイミングでオケはバッチリ合いの手を入れ、ラッパが高らかに音をだす。俺は高いところから世界を見下ろす全知全能の神、無敵で怖いものなし。彬のアレンジは、この曲にぴったりだ。
興に乗ってきたところでマイクを離れ、オケの間を自在に歩き回った。指揮者に扮したおやじは、尻を振りながらノリノリで棒を振る。パーカッションのスペースで彬がドラムをたたき、コンバスの横で徹がベースを弾く。俺は椅子に置いたギターを取り上げ、ギュイーンとソロを弾いた。ハイスピードで曲は進んでいく。オケの奴らは指揮者なんか見てやしない。目の端で俺の動きを追い、中には笑いを必死でこらえてる奴もいる。それを見ると俺のエンジンはますます上がり、腹の底から声を張り上げる。
突然、演奏が乱れた。おっと、大丈夫か。
指揮者の方を見ると、音楽と指揮が全然合ってない。おやじ、元バンドマンだろと思ったが、おやじのせいじゃないと気づいた。即席で練習してもらったから、オケの奴らが戸惑ってるらしい。
「やめー、ストーップ」
俺は両手を振り上げて音楽を止めた。一斉にこらえきれなかったように、笑いが起きる。
「ボーカル、変な歌い方で笑わせんなよ」
コンマス席の男が肩をひくひくさせている。
「俺は100パーセント真面目やで」
徹がコンマスに頼んだ。
「オケの音は後で入れ込めるから大丈夫だ。弓の上げ下ろしと音の入りだけタイミングを合わせてほしい」
コンマスが「だってさ」とみんなに呼びかけた。
「俺ら楽しんでるから、みんなにもリラックスしてやってほしい」
彬の声掛けで再挑戦が始まった。
多少音がずれたってかまわない。音源は別に録音する。映像だって編集する。オケのメンバーは後で合唱団と観客に変身してもらって一人三役。観客席からスタンディングオベーションもやってもらう予定だ。
今の時代、事務所の力を借りなくてもどうにでもなる。大事なのは、俺らのバンドGATTANがやりたいことをやる。それだけや。
収録を始める前、オケの奴らに頭を下げた。
「礼は出世払いや。けど必ず返す」
どうやって? と声が上がって、俺は堂々と言い切った。
「GATTANはこれから必ず売れる。ほんで武道館でコンサートやる。「招待券」を今から配るからな。それが俺らからの礼や」