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大病院の適当な使い方

 《太平洋が見える病院にて》

 大病院は好きだが病気は嫌いだ。

 多くの病気を抱え病院で過ごす時間が増えたからか、困った事に大病院が好きになってしまった。

 当初は待ち時間がたまらなく苦痛で、検査結果が出る前に受診せずに帰宅したり、診察料を支払わないで帰ったりと、今思えば実に厄介な患者だった。

 病院の医事科にブラックリストがあるならば、私はリストのワーストテンに間違いなく入っているだろう。


 大病院を好きになったきっかけは、あまりにも長い待ち時間に病院散歩を始めてからで、今では何件かのお気に入り病院がある。

 この原稿を書いている病院もそのうちの一つだ。


 ここは地上十二階、病院の最上階にある展望ラウンジで、太平洋の水平線を望める。

 無機質な屋上で季節感のないのが少し残念だが、五階に行けば小さな屋上花壇があり、季節の花を見られる。

 同時に眺められないのが難点だが、頭の中で景色を混ぜこぜすれば辻褄が合う。


 展望ラウンジにはコンビニと喫茶店が併設されている。

 一階にもコンビニとコーヒースタンドがあるし、レストラン形式の食事処まである。

 外に出ると、道路一本隔ててコンビニがある。

 狭い区域に三件ものコンビニが共存できるのだから、大病院が地域経済にもたらす影響は大だ。

 欲しい物は貴金属やペットに不動産とか、自動車、旅客機はもとより科学兵器どころか核爆弾といった物以外ならきっとあると思う。


 大病院には便利な使い方が沢山ある。

 真夏の暑い日にはプールで涼むより、病院のラウンジでくつろぐ方が安上がりで健康的だ。

 行儀の悪い御子ちゃ魔が待合室で騒いでいたら「暇だから親の顔でも見てあげようかね」と一声かけてあげれば、大抵は大人しくなってくれる。

 一声が効かなければ、近くにいる親だろう人をジッと見つめ続ければ事たりる。

 ごく希に逆切れする保護者の方もおいでだが、数年に一度出会うかどうか、そんな滅多に御目に掛かれない人との遭遇もまた大病院ならではの楽しみの一つだ。


 昼時のラウンジがとても混み合うのはどこの病院に行っても同じで、そんな時は各階にあるデイルームがおすすめだ。

 入院患者や見舞い客専用と明記されていない限り、このエリアを利用しない手はない。

 デイルームが全階満杯になったりはしない。


 近年はコロナの影響で、これ等の場所が立ち入り禁止区域に指定されている事は実に嘆かわしい。


 タバコ好きの方にとって病院は一種の地獄だろう。

 今はどこの病院に行っても、敷地内総てが禁煙になっている。

 防災上の理由も絡んで来るので、敷地内でのバーベキューパーティーも禁止されているらしい。

 唯一タバコを吸える場所は、大型テレビやクルーザーを売っていない外コンビニで、灰皿が店の前に置かれている。

《雨ニモマケズ風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲブチコワスタメ》愛煙家達はせっせとコンビニ前喫煙所に通っている。


 病原菌の浮遊数では病院ほど汚い所はないと、医療従事者ならば誰でも知っている。

 そんな危険な事実を包み隠すように、大病院の清掃は行き届き、表面は極めて清潔に装った天井の高い共用部だが、空調に若干の問題がある。

 特に湿度や除菌については、大病院より安価に除菌機能付き加湿器を設置できる診療所の方が健全に保たれている。

 院内感染が疑われる時期は、マスタードガスにも勝るガスマスクを装着し、鬱陶しいほどの雑踏と騒音に目を閉じ耳を塞いでいれば、大病院は適度に快適な空間である。


 病院は静けさを求めて訪れるべき場所ではない。

 三日前から行方不明になっている患者を呼び出す院内アナウンスや、救急車がサイレンを鳴らしながらロビーに突っ込む衝突音がないとも限らない。


 ロビーでのトラブルは日常茶飯事で、図書館や墓地のように静かにとはいかない。

 MRI検査で使う耳栓をもらうといい、実に快適に過ごせる。

 人様から施しを受けるのが嫌ならば、密かにかすめ取るという手もある。

 窃盗の前が付くのを恐れているなら、できのいい耳栓が百円ショップでも売っている。

そんな事をしなくても、一旦病室に入ってしまえば同室の患者の放屁音やテレビの音だけで、個室ならばそれさえもない。

 空き個室に潜り込むのもなかなかスリルがあっていいのだが、滅多に個室は空いていないから探し出す労力を惜しんではいけない。


 瞑想神経の影響だろうか、入院患者の容体が夜間激変するのはよくある事で、総ての患者が寝静まった深夜でさえ看護師は気を抜けない。

 就寝時には元気だった隣のベット周辺が、夜中に用足しに起きると血の海になっていて、看護師が床の血を拭き取っているのを何度も見て来た。

「お騒がせしました」と、数日後に帰って来る御隣さんもいれば、そのまま静寂の極みに沈んで逝った人もいる。

毎日人の生死と隣り合わせで生活していると、命に対する感覚が鈍化するかと思っていたがそうでもない。

 かといって、人の死を過敏に感じ取ってしまうでもない。


 元来、物事にこだわりのない性格らしい私は、独特の雰囲気がある深夜の病院を警戒心なく徘徊し、よく看護師に捕獲された。

 同じ趣味を持つ患者の中には、稀に幽霊を見たり妖怪に悪戯されたと訴える者もいたが、数日以内に性質の違う病室に移動していた。                      

 ベットに拘束された事も何度かあったが、拘束の際「痛い!」と一声発すれば、拘束帯と体の間にバスタオルを巻いてくれる。

 看護師がいなくなったら、バスタオルを抜き取ってしまえば簡単に拘束帯から抜け出せる。


 再び深夜の散歩に出たいならば、鎮静剤でふら付きがないか安全確認してから、ベットサイドのマットをよけて抜け出せばいい。

 ベットサイドのマットは圧力スイッチになっている。

 拘束患者がベットから抜け出てマットの上に立つと、ナースセンターに脱走警報が鳴り響くか、鋼の盾も射抜ける強力な弓矢が飛んで来る。

 ブービートラップが、あちらこちらに仕掛けられている病院も珍しくない。

 深夜に看護師さんのデスクワークを邪魔してはいけない。

 出来うる限りの努力と気遣いで、音もなく脱走すべきだ。


 病院は今にも死にそうな患者でも、差別なく待合室や精算機の前で長い事待たせている。

 待ち時間で急に具合が悪くなっても、病院の中ならば直ぐに診てもらえるし、突如心臓が止まっても死亡する確率は格段と低い。

 きっと、少々無理をしても容態に異変が起こらないだろう事を、監視カメラで確認しているのだろう。

 さもなくば、あの尋常でない待たせ方は人間が理解できる範囲を超えている。


 今、どう見ても患者ではない二人組が、ラウンジで大病院の適当な利用法を実践している。

 そこでビールを飲むんじゃない!     

 


  《桜咲くとある病院にて》

 暖かい春と思い込んでいるが、気温は秋よりも春の方がずっと低い。

 それなのに、外気に当たって心地良いのは、どんより暗く凍て付いた景色の冬から一気に抜け出て、辺り一面に花が咲いたりしているからだろう。


 この病院の親大学は羨ましい程の金持ちらしく、病棟の施設充実が際立っているのだが、個室や特別室の差額は他の病院の追随を許さない。

 一室一日三万円から! 

 【から】である!  


 病院は宿泊施設のように、夜一回を一日と勘定するのではない。

 昼間一回を一日として計算するから、一泊二日の検査入院でさえ部屋代が六万円となる。

 低所得消費者心理を無神経に逆なでする超一流ホテルでさえも、これほどの価格を設定するとなると勇気のいる額だ。

 治療費、検査費、食費その他諸雑費に、税金まで加算されると驚愕の零が並ぶ請求書を手渡され、見た途端に卒倒しかねないのだから、金銭面では命がけの検査入院となる。


 常勤医に「ここの個室高いですよね」と尋ねると「そうですか?」と答えてくれる。

 他医院に勤務する同大学出身の医師に同じ質問をすると、一様に大きくうなずいてくれる。

 この病院では、社会通念と大きく掛け離れた金銭感覚が育まれている。

 とーっても厳しい所得格差の現実をかいま見られる。

 ある意味、この感覚のズレが日本経済の縮図なのだろう。               


 少しでもこの溝を埋めようとするなら、デイルームの給茶器からの御茶は昼夜問わずタダ飲みが可能だから、死ぬ気で飲むのがよろしいのだろうが、一般人の立入が制限されているので気安くくつろげる場所ではない。

 口腔内火傷をものともしない根性の座った強者が、タダ茶をガブガブ飲むにしても、地球の生命体にはおのずと限界がある。 

 命がけであっても、命を捨ててまで飲む程価値ある御茶ではない。


 2011年(平成23年)3月11日14時46分18.1秒に発生した東日本大震災の時に入院していた病院で、震災被害により入院患者さえデイルームの利用が制限された。

 一ヵ月の入院中、わずかに数回だけしか利用した記憶がない。

 今思えば薄くてまずい御茶を、ダラダダーっと垂れ流してでも使っておけばよかった。                    


 震災で吹き飛んだデイルームの大型テレビはどうなったのだろうか。

 それよりも、私は高級品だぞ高いぞとの主張が強烈だったシャンデリアが、床まで垂れ下がってバランゞになっていた。

 揺れが収まったら、建物の被害状況を看護師や施設課長がえらく気合を入れて調べていた。

 あの姿から推察するに、高額の災害保険に入っていたであろうシャンデリア。

 ゴミとなった物でもいいから私にくれ。 

 修復してオークションにかけてやる。


 今原稿を書いているのは、一階のレストランに併設されているウッドデッキ。(正確には二階らしい)

 レストランと言っても病院の食事処である、特に優れたメニューがあるはずもなく、まずくはないが、ここにミシュランの星を期待してはいけない。

 一昔前に高速道路のサービスエリアで売られていた飯と思って食えば、値段のままそれなりだ。


 何度かレストランに通い、受診する科の待ち時間が見当つくようになった。

 レストランの天井下にモニターが設置されていて、各診療科の待ち具合が受付番号や予約時間帯で表示されているからだ。

 テーブルを選べば、外のデッキ席からでも見られるが、オペラグラスで拡大すればだから近くの女子寮の方には間違っても向かないようにしてもらいたい。


 警備がしっかりしているので、取り押さえられる可能性が極めて高い。

 それでも女子寮に挑戦したいなら、寮に面している山林からのアタックを推奨する。

 少々急な傾斜を登れば、上部階の窓の観覧も可能な位置に陣取れる上、林の暗闇に紛れてしまえば、まず発見される心配はない。 

 寮の住人が総て美形だとの保証はないが、見た限りなかなかの粒揃いだ。


 もっともこれは私の主観で、病院で見かける方々は常時マスクをしている上に白衣のコスチュームだ。

 長期入院ともなると、殆ど総ての方が美しく見えてしまうので、一生を左右するかもしれない冒険に大きな期待は禁物だ。


 今の時期は正面ロータリーの桜が二本とも満開で、女子寮とは一味違った目の保養ができる。

 しばらくすれば、ツツジだかサツキが咲き出すだろう病院の周辺は、テーマパークや桜の名所とはいかないが、ささやかな花見が楽しめる。


 病院から一歩出て、駐車場をぐるりと囲む歩道にも何本か桜が植えられている。

 建物の北側で日当たりがあまりよろしくないので、まだ開花していないが、隣接する看護学校の桜は道路からずっと奥で見事に咲いている。

 関係者以外立ち入り禁止の看板は、下心丸出しの私に対する警告か嫌がらせか。

 皇居や造幣局でさえ、一時解放する桜見物なのだから、もっと近くで見せてもらいたいものだ。


 歩道の端まで行った立体駐車場の鉄骨に、数本の空き缶が置かれている。

 駐車場の角だから病院の敷地内なのだが、しっかりとした吸い殻入れ用の空き缶だ。

 建設時に出入していた、鉄骨組み立て作業員の忘れ物であるはずもない。

 病院敷地内での喫煙行為は完全に違法行為だ。


 このように、いくらしっかりした警備体制でも、大きい病院では右手のやっている事を左手が知らないといった現象を観察できる。

 鉄骨の駐車場だから、火災の心配はないと思っているのだろうが、健康云々より以前に、ガソリンという危険物が駐車場には沢山ある。

 目の前の煙にばかり注意がいって、当たり前の危険に愛煙家達は気付いていない。


 万に一つの事故も許されない病院にあって、直ぐ隣に山林がある駐車場で隠れタバコを吸われていると、強い危機感が入院患者のメンタルに悪影響を及ぼすものだ。

 敷地の外に喫煙所を作って、そこで給茶機から持って来た御茶を売る権利を私に与えてほしい。

 少しくらいなら、施設使用料を払って商売してやってもいいような気がする。


 ウッドデッキと同じ階に、こじんまりとしたコンビニが有る。

 今は震災の時お世話になったコンビニではなく、別のコンビニになっているが、震災時と比べてそれほど使い勝手が違った感はない。


 入院中、震災の影響で輸送トラックが走れなくなった時は、全国的に品薄を通り越して品物がないコンビニが当たり前だった。

 余震が続く中、院長の非常事態宣言で医師や看護師、病院スタッフが病院にカンヅメ状態のまま、連日連夜ろくに休憩も交代要員もなく勤務していた。


 調理場は火が使えず、患者の食事は非常用病院食から出せても、スタッフ用の食糧は不足していて、あちこち寸断された道路を迂回ゝでやっと運んできてくれたコンビニの商品が頼みの綱だった。


 多くの人の緊急時対応で叶ったのだろう、病院内の売店には、比較的安定して商品が届けられていた。

 そんな情報を誰から聞いたか、家庭に幾らかのストックはあるだろうに、パニックった人達が水や食品の買占めに走った。

 病院では、スタッフの食糧確保がままならない事態なってしまったのだ。


 とかく入院患者は、一般外来と称される病人に比べて食欲がない。

 特に、内科病棟に収容されている患者の多くは、出された食事の半分も食べられないで、不足した栄養素は点滴に頼って生きている。

 平時はいつも食べ残して下げてもらっていた病院食だが、下げた残り物というのも気分が悪かろうと、食べきれないと思われる物には手を付けず、病院スタッフと分け合って食べた超まずい病院の非常食。

 特に御湯で戻した何とか米は、強い不安感からの味覚麻痺の影響だろうか、生まれてこのかた出会った事のないまずさだった。


 看護師が「バカ美味いです」と半べそかきながら食っていた病院の飯。

 今食ったら「バカ不味いです!」って言うんだろうな。

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