病院の適当な過ごし方
入院も一日二日ならばピクニック気分でいられる。
あらかじめ高額医療費の上限設定をしておけば、請求書が天文学的数字に成る事は無い。
高度医療などと言いながら、安全性が確認されていない上に一般常識の通用しない価格設定をされた人体実験に付き合わなければ、残された者が借金地獄に引き擦り込まれて四苦八苦する悲劇も回避できる。
不慮の事故なら傷害保険から治療費が支払われるから、金銭的にそれ程深刻ではない。
ところが、病気となると掛け金の高い医療保険に入っていない人も居る。
収入保障もとなると尚更である。
怪しい気配があったなら、初診前に医療保険へ入っておくのを基本的対応と心がけたい。
簡易式定額保障でも、いざと言う時助けになってくれる。
初診の一ヶ月か三ヶ前辺りに加入していれば、殆どの医療保険は支払い条件をクリア出来る。
病気になる一年も三年も十年も前から払い続けた保険金は元が取れない。
出来るだけ発症間際の加入が望ましい。
しかしだ、これは日々しっかり健康管理が出来ればの話で、なかなか出来る芸当ではない。
出来るくらいなら、はなから生活習慣病など患ったりしない。
支払いの心配が無くなったら、次の課題は長い闘病生活をいかに快適に過ごすかである。
病気や怪我で入院しているのだから身体的ストレスは想像以上で、この影響から精神的にもマイナスストレスが溜まって来る。
眠れなかったりイライラしたりと、兎角病人は我儘だと言われるが、これはどうにも仕方の無い現象で、安定剤か睡眠導入剤などで対処するしかない。
緊急入院ならば最初の数日は集中治療室だ。
個室である上に何でもかんでも看護師さんがやってくれる。
快適この上ない王様の暮らしではあるが、如何に頑張っても全身自由に動かせない状態で尋常な暇つぶしが出来ない。
集中治療室の数日間は御世辞にも快適とは言えない。
暇に任せて何か素晴らしい発想や発明でも出来ればいいが、鎮痛剤やら安定剤で意識は朦朧とし、昼夜も分からない状態で時間だけが過ぎて行く。
加えて警告しておくが、入院していた時はあまり強く感じなかった挫折感は、退院してからドッカリやってくる。
整形外科がらみの入院はさほど長くない。
半年一年となるとかなりの重症。
退院できたら奇跡、明日の保証は無いと自覚すべきだ。
原因もその後の経過も有る程度予測が出来る整形外科は、手術前までの痛みや苦しみを除外すれば、メンタル面も含めて他の病棟に比べて気軽で明るいイメージがある。
勿論、手術であっちこっちと切り取ったりくっつけたりやっているのだから、外見や日常生活上の将来に対する不安は付いて回る。
総てが上手く行くとは言い切れない物の、それぞれのハンデは現代医学と先進科学を駆使すれば概ね世間一般の差別と変わらない程度にまで修復できる。
長引く入院の殆どは内科系の病気が原因だ。
どれともつかない原因で恐ろしく長い入院となると筆頭は精神科だが、中には内科疾患を見逃してしまった結果として精神科に十年近くも入院していた人もいる。
陰謀により長い事強制入院させられ、退院してから新聞社に駆け込んで事実が発覚したという事件も過去には発生している。
精神科域の患者には、原因々子が未知である人が少なからず存在する。
したがって、実体が不明のまま長期入院という場合もあるのだ。
精神疾患での入院ならば、特に他の患者に危害を加えるとか看護師にセクハラしまくるといった症状が無い限り、ある程度行動の自由が許されている。
精神科と言うとどうしても特有の鉄格子窓が異様で、中ではとんでもなく残虐な人体実験が行われていそうなイメージが先行してしまうが、昔と違って今の精神科は生活環境の融通が利く。
内科病棟でも深夜に安定剤が切れて大騒ぎする患者は大勢居るのだから、何処も似たり寄ったりだ。
精神科病棟の患者は精神の疾患から内科的疾病に似た痛みや不快感を訴えるが、その殆どは心因性のもので実際臓器に異常が見られるケースは希である。
先に書いた内科疾患を見逃して精神科に十年という患者の例では、食事を取ると胃腸障害で苦しみわめく症状を精神疾患と診断して内視鏡などの検査を怠り、実際には潰瘍性大腸炎だった患者を精神科病棟に隔離し続けたという事例だ。
今になって聞くと実に酷い事をするものだと思うかもしれないが、当時の医学では身体表現性障害の診断が限界だった。
という訳で、精神科の長期入院については別の話として、今回は内科での長期入院に限定して書いて行く。
他の病棟でも応用できるので参考にしていただきたい。
内科の長期入院では、一般的に辛い度第一位が不味い病院食である。
特に消化器系の疾患で入院した場合は、食えるだけ有難いと思えと言わんばかりの内容だ。
院内での主食は粥と称した重湯で、溶けて形が丸くなっている米粒が数個入った白濁汁がメインだ。
これだけで皆まで書かなくとも、どんな飯か察しは付くだろう。
ほうれん草のおひたしは、粉々を通り越してペースト状になっている。
おひたしだけではない。
焼き魚のペースト・蒸し鶏のペースト・バナナのペースト等々。
患者はこれを離乳食と呼んでいる。
これより劣悪なのが流動食とされている。
離乳食は口で味わえるだけまだましだとの理由からだが、流し込んでもらった方が有り難い食事が過半数を占めているのは否めない。
基本的に、刺激物や塩分の過剰摂取は禁止である。
どんなに不味い物でも、醤油をかけると不思議と食えたりするのだが、醤油等の高級調味料は少ししか付いてこない。
一度デロベタのほうれん草ペーストを、調味料無しで食してみるといい。
少しは健康管理に気配りをするようになれる。
塩分の過剰摂取が禁止されている疾病以外でも、基本的に病院食は薄味にしてある。
主治医に切ない雰囲気を醸し出しながら、醤油の使用を嘆願して許可を出してもらおう。
胃袋が溶けて薄皮一枚とか穴の開いた状態だったり、動脈瘤があちこちで破裂寸前だとチョイと無理があるが、大抵は使い過ぎなければ良いと言ってくれる。
駄目だったら主治医が意地悪か、貴方が院内スタッフから嫌われているか、かなり重症のどれかである。
聞くならばそれなりの覚悟をしてからにした方がいい。
この様な交渉の繰り返しで、ベットサイドの棚に調味料セットを置けるようになれば、一人前の患者シェフである。
多少の不味さは克服できる。
どうしても我慢できなくなったら、売店に行って買い食いをすればいい。
入院が長引くか症状が悪化するだけだから、特別神経質になる必要はない。
食事の問題が解決したら次は暇つぶしである。
病院では夜間のテレビを禁止している。
生活サイクルの乱れは即症状の悪化に繋がるし、周囲の安眠妨害になるからだ。
朝になって目の下にくまができていたり充血していたりすると、個室でも深夜はテレビを見るなと言われる。
それより何より、深夜の病院は確実に人手不足である。夜は患者に寝ていてもらいたい。
患者サイドから意見を言わせてもらえば、昼間やる事がタンマリと有って、熟睡する暇がなければ夜はしっかり寝られるのだーよ。
入院していて最も暇な時間帯が、昼食後のひと時である。
午前中に外来の診察を終え午後から手術だ検査だと、医師のスケジュールに合わせて患者の予定が組まれている。
午後に検査や手術を控えた患者は暇している間など無いが、症状が安定していても退院できないで暇している患者の何と多い事か。
この超暇な昼食後が、生物学的には昼寝に最適の時間帯で、入院していると二時から五時の昼寝が当たり前になってしまう。
夜になって、そら眠れと言われても寝られるものではない。
しっかり夜更し体質になっている。
ベットで横になっていなければいけない安静患者でもない限り、昼食後は出来るだけ院内の散策に勤しむべきである。
大きな病院ともなれば、毎日数千人もの人間でごった返す。
人は大勢いるが健康な者は希少で、平均的且つ常識的な世界とは言い難いものの、大病院ならば生活して行く上で必要な物は一歩も外に出る事無く揃えられる。
散歩で観察する物に不自由する事は無い。
売店、銀行、郵便局から図書室に喫茶店、レストランだやれ薬局にコインランドリー、それインターネットだと、無いのは喫煙所と居酒屋くらいの充実ぶりである。
詰まる所、病院は一般的世界から完全に隔離された社会構造をしている。
外界の様子はテレビか面会人、医師、看護師等の病院関係者から伺い知るしかない。
元気が残っている病人は其れなりに何とかすれば済む問題も、元気のない病人にとって夜の病院は限りなく危険な異次元空間へと変貌するのである。
昼間は感じなかった気色悪い空気が、院内に立ち込めるのは深夜の巡回が始まる頃で、うつらゝしていると此の世に生きている実感が無くなってくる。
無念のまま他界した怨念が住み着く深夜の病院にあって、好き放題御昼寝をかましてしまった自分が悪い。
悪行の結果とは言え、夜中に一人起きているのは恐ろしいものである。
相手が生きている人間との戦闘状態ならば、名誉ある戦略的撤退という手もあるが、死んだ奴からは簡単に逃げ切れるものではない。
そもそも、幽霊は死んでいると言うのに動き回って消えたり現れたりと、自然界の掟をことごとく破っても平然としていられる奴等の事だ。
こちらがいくら紳士的に話し合いの場を提供しても、すんなり和解交渉に応じてくれるとは思えない。
耐えきれずに起き上がり、安全圏を誇示するかの如くチカチカ点滅して目障りこの上ない灯りに魅かれ、ナースセンターへ救いを求める。
飛んで火にいる夏の虫である。
「どうしました」なんと優しい声なんだ。
誰にでも言うんだろう!
心の叫びと裏腹に、安堵の表情を浮かべて疲れた体が目の前の椅子に崩れ落ちていく。
現実と妄想の入り混じったショータイムの始まりである。
看護師の隣には、居る筈の無い患者の姿が、切れかけた蛍光灯の光とコラボして見え隠れ。
世間様ではこの様な族を幽霊と言っている。
しかし、薬漬けになった入院患者の言う事を真に受けてくれる看護師など、この世に存在しない。
何も言わず幽霊を指さしてみる。
「この人? さっき彼の世から来たばかりなのね。明日からここで看護師として働いてもらうわ」
長い入院生活の間には、思ってもいなかった答えに遭遇する事だってある。
「私も一度逝った口だけどね。帰ってからここで夜だけ働いているのね」
ひいき目に勘ぐっても真面な看護師とは思えない。
この上なく困った展開である。
本当に彼女がそんな事を言っているのか幻聴なのか区別がつかない状態で、下手に応答したとしたらどうなるか思い返す事がある。
きつくて苦しい拘束衣にこの身を包まれた上に、皮ベルトでベットに縛りつけられ、寝返りの自由さえ奪われるのである。
なんと恐ろしい光景なんだ。
しかしながら、この場から立ち去って病室の暗がりに吸い込まれたならば、もっと悪質で恐怖に満ちた冗談が待っているのは火を見るより明らかである。
せめて精神状態がなだらかに納まるまでは、半分幽霊の看護師と雑談していた方がいい。
何かを声にして聞くまでも無く、看護師は次々と疑問に答えてくれる。
「六文銭ってね、渡し船の運賃って言われてるけど、勿論船にも使えるんだけど、帰りのタクシー代にしてもいいのよ、私それで帰って来たら病院の前だったのね。そのまま務めちゃった。えへ」
えへじゃねえよ。
何時までたっても心の叫びが声になって出て来る事はない。
まかり間違って声にした時点で、入院理由と担当医師が変わってしまう。
長くても数カ月で退院できるのに、こんな所で看護師に心を許して見ている物の総てを語ってしまったら、退院が数年先になってしまう。
いかなる理不尽な出来事に遭遇しても、じっと耐え続けるのが得策だ。
帰って来た看護師なんてのはまだまだ序の口で、深夜の病院は予測不能な奴に出会う特別な場所だ。
最近は売店の前で、小銭をせがむカンガルーを見かけた。
同室の患者にうっかり話してしまったら「俺の時はマダガスカルワオキツネザルだった」と言ってくれた。
次の朝、そいつは別の病棟に移動していた。
誰だって長期入院していれば、幽霊やカンガルーに出会う。
ただ、マダガスカルワオキツネザルは危ない兆候だ。
どうしても眠れない夜は看護師の目を盗んで軽く外に出て見ると良い。
フワフワ飛び交う無数の浮遊霊、忙しく働く半分幽霊の看護師達を見ていると、きっと疲れて眠くなる。
時々感動のあまり失神する患者もいる。
看護師達は、この状態を心肺停止と言っていた。
運良く病室に居ないのがばれれば、看護師に酷く叱られる程度で事は済む。
更に運良く朝まで発見されなかった患者には、大きく分けて一度行って帰って来る者と、逝ったきり帰って来ない者がある。
性格や置かれた環境によって様々だ。
逝ったきりなら土産話の聞き様はないが、帰って来た者の話を聞けば、船に乗るかタクシーに乗るかで行き先が違うのだと口を揃えて言う。
そんな話をしている深夜のロビー。
回りに話し相手が実在して居るのか居ないのか、聞いている私には分からない。
たまに他の患者を看護師が連れて行く。
連れて行かれる患者が生きていて、誰にも呼ばれない自分は既に死んじゃった? と思った事もある。
しかしながら、病室に帰って夜が明けると、とびきり不味い朝食が運ばれて来る。
きっと今日も生きているんだと実感する瞬間である。
今夜はどんな悪夢を見られるんだろう、しっかり御昼寝して準備しておこうかね。