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病院の適当な暇潰し

 四時間後にMRI検査の為、造影剤を打ち込んでも死んじゃったりしないかどうか、いかにも不安な前検査で血を抜いた。

 結果が出るまで一時間もかかる。

 したがって、受付をしてから本検査まで五時間以上の待ち時間を要する検査となる。

 暇なんてもんじゃない。

 入院中の検査なら病室のベットに寝ていれば、まったりゆったり事は済む。

 いつしか睡魔が心地良い御昼寝に導いてくれるからだ。

 それがだ、外来となると待遇は畜生以下。

 病院だと言うのに、劣悪な環境下で患者を待たせて平然としている。

 座れる椅子は軽トラック並みに硬いシートに加える事の二乗、直角背もたれしかない。

 もっと凄いのは、検査前室の椅子には背もたれすらなく、コンクリートの壁が背中にピタっと張り付く。

 勿論、壁にリクライニング機能はついていない。

 はっきり言って、航空機のエコノミークラスが羨ましくなる程だ。

 四時間も五時間も真面に待っていたら、確実にエコノミークラス症候群になる。

 激痛で苦しんでいる患者に、順番待ちの番号札を持たせる非情さ、慣れとは実に恐ろしい。

 こんな待遇に対し、怒りに任せて暴れもせず大人しく待っているとは、私も随分大人になったものだ。

 だからと言って、じっとしていられる程成長したのではない。

 目前にある看護学校や女子寮に出入りできる資格を有していない以上、丁度良い暇潰しを考案しなければならない。

 院内に一件限りのコンビニ以外、周囲一キロ圏内の商店と言えば、薬局とガソリンスタンド・廃屋寸前の金物屋しかない地域。

 ゲームセンターや映画館とか、居酒屋など有ろう筈がない。

 もしも居酒屋が有ったなら、入院していた時には退院が数か月先に伸びていたかもしれないし、今日の検査も命がけになっただろう。

 ある意味、無くて良かったとの気がしないでもないが、本屋も無いとなってくると、院内のコンビニで雑誌の立ち読み程度しか暇潰しの方法が思い浮かばない。

 これでさえ、五時間の長丁場を消化するのに適しているとは言い難い。

 何故ならば、正真正銘の立ち読みは、成人の平均体重を数割上回る自分の膝や足腰に対し、誠に好ましからざる結果をもたらしてくれるからだ。

 こうなってくると、まずは一時間ばかりコンビニに併設された食事処のイスとテーブルを不当占拠し、パソコンをピコパコやって、この様な戯言を書き連ねるのが宜しいと結論するしかない。

 執筆は、時を忘れて集中できる選択肢の一つである。


 今日の暇ぶりは予め分かっていたので、パソコンを持ってきている。

 ところが、いざ始めようと思ったら、これまで書いてあった文章をノーパへ移動するためのフラッシュメモリーを忘れていた。

 つまり、予定した作文はできない状況に甘んじている。

 ここで諦めるのは簡単だが、これから後の暇つぶしが容易ではない。

 要するに、後々の事を考えると、これしきの事で予定を変え、空いている病室のベットで昼寝をかますわけにはいかないのである。


 ふと、むらっ気に任せて横を見れば、病院のコンビニとあってか不届きにも、缶ビールの一本さえ置いてない。

 当然ではあるが、食事処では食前酒一杯を出す準備がないのを自慢げにしている。

 ここは、断酒するには理想的な環境と言える病院である。 恐ろしや。

 この危機的状況に加え、昨日までの雨空とは打って変わり、今日の空は真夏の真っ青、窓越す光りが眩しく健康的過ぎる。

 病院なのだから、もう少し薄暗くても良さそうなものだが、食事処だからか、有線放送から流出する音楽は天真爛漫としか表現のしようがない能天気ぶり。


 落ち着いて物事を考えられる環境でないのは、端から分かっていた。

 しかし、院内なら病人はどんな無作法も許されると信じて疑わないであろう爺さんが、すぐ隣で大きな咳を耳元で発してカレーを溢た。

 伝染病の雰囲気を醸し出してくている。

 頼むから止めてくれ、何も食っていなくても気分の良いものではない。

 こんな簡単な願いを聞けないなら、きっと脳が何等かの問題と格闘中であるに違いない。

 生きて帰れる保証はないが、一度その頭蓋を切り開き、顕微鏡で細胞の一つゝを調べてもらえ。


 さて、気を持ち直し書き出せば、僅かこれだけの為に一時間近くかかっていた。

 文学賞に出す随筆の下書きを終える頃には、しっかり五時間かかっている予感がしてきた。

 ひょっとしたら、五時間では終わらないかもしれない。   

 実に好ましい状況である。


 そろそろ血液検査の結果が出る頃だ、MRIの受付まで行って造影剤でも打ち込んでもらうか。

 それから、少し早めの昼食にするのが良いだろう。

 ただ、いつものように食後の昼寝をする場所は無い。

 この時期、県条例に従い、エンジンをかけずにクーラーの効いていない車中で寝込んだりしたら、間違いなく変死体になって発見される。

 もっと恐ろしいのは、何日も気づかれず車内に放置される事だ。

 考えたくない、考えただけでも鳥肌が立つ。

 とかなんとか書き連ねていると、時間は過ぎるが原稿の文字数も増えて行く。

 元々、内容が有りそうで無いのが自分の書き出す文章の特徴だと気づいてはいたが、あまりにも希薄だと一次審査でふるい落とされかねない。

 それだけは何としても阻止したい気持ちと裏腹、いつになっても実のある話に進展しない。

 ついに館内放送で呼び出されてしまった。

 血液検査に続き、本日二本目の注射針にて我が腕を貫かんが為、のったり歩を進める。


 造影剤の注射を打たれようと、地上二階なのに三階とある。

 表記のややこしい階数表示エレベーターを降り、受付前の椅子に腰かける。

 しかし、待てど暮らせど呼ばれない。

 人を呼び出しておいて心行くまで待たせるとは、許しがたい蛮行である。

 病院と言う所は人を待たせて嫌がらせをし、精神的ストレスを肉体に反映させ、症状の悪化を目論んでいるに違いない。


 待つ事三十分。

 鉄だかステンレスだかの尖った針を、神経の通った生身の腕に差し込んでいるのに「痛くないですか」などと愚問を投げかけてくる。

 痛いに決まってるだろ。

 もっとも、熟練した職人ならば、瞬時に血管へ針を差し込む術を習得している。

 たいして痛いと感じる間もなく、血を抜くなり造影剤を打ち込むなりしてしまうものだ。

 ところがここはと言うと、不慣れな一年生ばかりなのか、ことごとくノターリまったり、びくつきながら針を刺している。

 殆ど拷問だ。

 これが済むと、今度はいかにも危険な薬剤であるかの如き説明をし乍ら、造影剤を血管へと流し込む。

「かゆくないですか」とか「気分はどうですか」と聞いてくれるが、何の変化もない。

 妙に丁寧な心配をされると、かえって不安になるもので、精神衛生上好ましくない。

 黙って打てないのか。


 食事は普段どうりにして良いと言うが、普段の食事がどんなものか知っていて言っているとは思えない。

 昼間からのビールや焼酎はあたりまえ。

 下手すれば、ヘベレケになって夜の夜中まで起きない程に飲む時もある。

 本当に普段どうりで良いのか、いい加減なアドバイスをしてくれるものだ。

 ひょっとしたら、他人も自分と同じ様な食生活を送っていると勘違いしているのかもしれない。

 世の中には、想像を絶する生き様の人間が五万といるものだ。


 等々、横道に逸れると筆がグングン進むから不思議だ。

 提出制限は十から十五枚、ここらで十枚位になっている。

 このまま出しても第一条件はクリアしているが、いかんせん「三時になったら検査室に来てね」と言われているのに、十一時四十五分には昼飯を食って終り、そんなこんな綴ってもまだ十二時になったばかり。

 書く事以外、唯一楽しみだった食事はアッという間の出来事で、制限文字数目前に迫った随筆も、この勢いで三時間書いたら規定頁を遥かに超えてしまう。

 後で削除整理するのが七面倒くさいのは言うまでもない。

 困ったまいったと悩んでみるが、何ら適切な解決策が思い浮かばない。

 外はアスファルトが溶け出しそうな暑さである。

 昨日までは季節外れの寒さだった。

 極寒の夏を生き延びてきた身としては、ここで外出すると言った暴挙の挙句、渦巻く熱波にやっつけられて息絶やす訳にはいかない。

 どうしよう、あと三時間。


 非番なのか、数年前世話になった医師を今日は見かけない。

 もし居たら、適当にからかって数十分は過ごせた筈だ。

 入院していた病室階へ行って、看護師達との与太話とも思ったが、数か月も入院しておきながら、一人もその顔と名前を憶えていない自分がここにいる。

 救えない事態だ。

 今から有りもしない仮病で他科を受診するのも一手だが、まかり間違って緊急手術でもされたら体がもたない。

 何個かの偶然が重なれば、仮病を大怪我と勘違いしてくれる。

 そんな所だ、ここは。


 昼時は込み合う食事処だ、可愛い綺麗な看護師や事務の御嬢様方、将来有望な若手医師なんかが、こぞってやって来ないかと期待したりするものの、今日に限って空席が目立つ。

 爺と婆が昼飯を食いつつ、じんわり枯れかけている。

 そのまま別の世界へ行ってしまうのだけは勘弁してほしい程の眺めだ。

 病院では、いつ誰がひっくりかえるのも有りだが、こと今日この食事処に限って言えば、生きてここから出て行ける人間が希少に思えてならない。

 そうこう観察すればする程、自分の生が不確かに感じられてくる。

 腹は満たされ、幾分眠気も迫って来ている。


 さっきから、パソコンの時間はいっこうに数字を変えない。

 時計が止まっているのかと錯覚する遅さ。

 ここまでキーボードで打ち込んでいるのに、まだ五分しかたっていない。

 これが事実ならば、手の動きは光の速さに限りなく近く、他人には靄となって見えているだろう。

 もしくは早過ぎて動きをとらえられず、ピタッと止まったままに見えるかもしれない。

 数行打ち込んで、今一度時計を確認する。

 まったく進んでいないではないか。

 奇跡か幻か、あり得ない事態は随分と経験してきた。

 概ねこんな状態になった時は、こそっと警備員が両脇に寄って来て「別室へ来ていただけますか」等と、理不尽な要求を突き付けて来たりする。

 何か悪い事をしたのではない。

 服は着ているぞ、パンツは下ろしていない。

 看護師に抱き付いたのでもなければ、医師を殴ったりもしていない。

 叫ぶ事もなければ、いきなり笑い転げてもいない。

 ただ、頗る早い速度でキーボードを叩きまくっているだけだ。


 打ち出した文字を後になって確認すると、何を書いていたのか、見当もつかない記号の羅列が点在していたりする。

 打つのに数十分のものを、解読するのに数時間かかる事も稀ではない。

 はてさて、何をしたいのかと言うと、じっくりゆったりやんわり、病院で適当に暇潰しがしたいだけなのに、何だか肩が凝って来た。

 腰も痛いし目もチカチカして、眼精疲労から頭痛の発症まで秒読み段階に入っている。

 なのにどうしたものか、まだ十二時十五分。

 あと二時間四十五分、打ち出した文字の解読に費やすとするか。 

 とにもかくにも病院とは、やはりとっても疲れるものだ。


「レシート番号七十七番でお待ちの御客様」

 さっきから呼ばれているぞ、早く取りに行けよ。

 耳元で御姐さんが大声なんだよ。


 再考する事四十五分。

「レシート番号九十番でお待ちの御客様」

 昼時の四十五分間で、十三人しか客が来ていない。

 大丈夫か、この食事処。

 少しだけ心配になって来た。

 それよりも、あと二時間どうしよう。

 暇だ。


 再々考中、客足途絶えて十五分。

「……」御姐さんが無言で大あくびをしている。

 あと一時間四十五分、もはや時間との戦いだ。


 あれから一時間

「レシート番号百番で御待ちの御客様」

 本当に大丈夫か、この店……。

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