正直すまんかった…箸ケースを捨てた私の末路……。
うちの、箸ケースは、すごい。
何がすごいかと言うと、ぼろぼろなのにきちんと箸を守っている。
外側の部分は劣化が激しく、爪の先で引っかけばポロポロと粉となって散るというのに、内側の部分は実に滑らかに穏やかに、暴れん坊の箸を佇ませるのである。
さらに言えば、箸にものすごい効果をもたらしてくれる。
このケースに収納された箸でお弁当を食べると、どんな不愉快なおかずでもほっぺたがボチャンボチャンと落っこちるのである。
もっと言わせて貰うと、箸ケースのふりをして信じられない恩恵を与えてくれる。
この箸ケースを持っているだけで、話したことのない人たちが次から次へと声をかけてくれるのである。
ここだけの話を言わせてもらうと、箸ケースじゃないと俺は思っている。
この箸ケース、箸を入れる時に、ほんの少しだけ抵抗するのだ。
それはまるで、自分は箸を入れて満足されるような存在じゃないと訴えかけるように。
それはまるで、自分は箸を入れるだけで終わるような存在じゃないんだと訴えかけるように。
それはまるで、自分は箸を入れなければ意味がないような存在じゃないんだと訴えかけるように。
箸ケースを持った時に、わずかに感じる…違和感。
箸ケースだというのに、この恐ろしいまでの手触りの悪さは、一体。
箸ケースだというのに、この手の平に構成物質を擦り付ける図々しさは、一体。
箸ケースだというのに、この動きの悪すぎるスライド部分の抵抗する力は、一体。
この箸ケースは、生きている。
…いや、生きているというのは違うかもしれない。
この箸ケースは、意志を持っている。
…箸ケースの姿を借りた、未知なる存在。
この箸ケースは、人の生活を観察している。
…箸ケースという平凡な物体に成りすました、侵略者なのだ。
安易に処分してしまっては、世界が崩壊する。
この身を燃やすなど許すまじと…己の力を解放するやも知れぬのだ。
この身を潰すなど許さでおくべきかと…己のすべてをぶつけるやも知れぬのだ。
この身を土に埋めるなど許すはずが無かろうと…己の中にすべてを吸収してしまうやも知れぬのだ。
こんなにも箸ケースを酷使させてしまった俺にも…責任は、ある。
ぼろぼろになるまで、使わずとも良かった。
ぼろぼろになるほどに、使い勝手が良すぎた。
ぼろぼろになる前に、使うのをやめて隠居させておけばよかった。
「ということで!!この箸ケースは、偉大なる箸ケースとして、戸棚の奥で眠っていただくことにしました!」
旦那がおかしな屁理屈をこね始めた。
何でも、幼稚園の時にお母さんに買ってもらったドラレモンの箸ケースだそうで…これをどうしても捨てたくないらしい。
旦那は本当に物を捨てたがらない、めんどくさい人だ。
ウイルスだらけのパソコン、ウインドウに二行しか表示されないワープロ、羽が一枚無くなった扇風機、動かないトラックボールに先のないペンタブ、穴の開いたTシャツに靴底から砂利が見える靴、昭和が賞味期限の缶詰に透明な牛乳、幼稚園バッグにランドセル、学生かばんにネクタイピン、使いきったハンドクリームの缶に週間少年漫画雑誌、夏休みのポスター提出で貰った鉛筆にパンを山ほど買ってもらったお皿…とにかく何でもかんでも取っておきたい、使い続けたい、絶対に捨てたくない。
なんやかんやとめちゃくちゃな理由を挙げて、絶対に物を捨てさせてくれないのだ。
「ハア?!何言ってるの?!」
「事実を言ったまでだって!絶対に捨てんなよ!!」
ちょっとぼろぼろの箸ケースが気になって、明日プラゴミの日だから捨てていいか聞いたらこれだ。
……もういいや、聞いた私が馬鹿だった。
翌日、私は旦那に何もいわずに、箸ケースをゴミ袋に入れた。
……これでスッキリするなあって思ったんだけど。
まさか、ねえ?
箸ケース捨てて…宇宙が滅びるとかさあ……。
誰も、思わないじゃん……。
……あーあ。