エイプリルフールSSその1
時間軸 離れたくないの前辺りで
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無事医療学校の試験に合格した命が入学に必要な書類を慎重に記入していると、家の外から耳慣れた自分を呼ぶ声が聞こえてきた。命は手を止めて万年筆を置くと、窓を開けて声の主を確認した。
「いたいた!ちーちゃんちょっと来て!」
部屋に向かって満面の笑顔で手を振るのは命の想い人であるトキワだ。ちなみに彼も好いてくれているが、自分が素直になれないせいで未だに恋人同士にはなれずにいた。
姿見で身なりを確認して命は急ぎお気に入りのワンピースに着替えて髪の毛を整えて薄化粧をしてから外に出た。
「あ、俺の為におめかししてくれたんだね。可愛いなあ」
ふにゃふにゃと破顔して空かさず命に抱きつけば、彼女の体温と柔らかさと匂いにトキワは心が満たされた。
「部屋着だったから着替えただけだよ」
このやり取りをするのもあと少しだなと思いながら命はトキワの背中をぽんぽんと撫でる。
「それで何か用?」
「うん、これを見て欲しくて」
腕の力を弱めて離れると、トキワは突如シャツを脱いで上半身裸になって左腕を見せてきた。
「左腕にちーちゃんへの愛を刻みました!」
トキワの左腕には「命永久愛」と書かれていた。刻んだという事は彫ったのだろうか?戸惑っている命に気付かないトキワは1人浮かれている。
村や港町でタトゥーを彫っている人間は珍しくないが、亡き父の教育方針で姉妹は彫ってないし、義兄も彫るのと手入れが面倒臭いからと彫っていない。
「トキワ…言いにくいんだけど…人の名前を彫るとその人との縁が切れやすくなるジンクスがあるんだよ」
特に恋人や配偶者の名前を刻むと別れるというのは有名なジンクスだが、トキワは知らなかったようだ。
「そうなの⁉︎まあ俺はちーちゃんと絶対別れない自信があるけどね!」
まだ付き合ってもいないんだけどと思いつつも命は改めてトキワの左腕に注目して、正直彼の気持ちに重さを感じて堪らず顔を顰めた。
「なんていうか、こういうのされると100年の恋も冷めちゃうなあ…」
ポツリと呟いた命の言葉にトキワは落ち込むどころか目を輝かせた。
「つまりちーちゃんは俺に恋してる事⁉︎」
「こっ…言葉のあやだよ!ていうか本当に彫っちゃったの?」
まさかそっちに食い付くと思わなかった命は顔を赤くして話題を逸らすもトキワに再び抱き着かれてしまった。
「彫ってないよ。これは母さんに書いてもらったんだ」
トキワが言うには本日父とのデートの為に化粧をしていた母に化粧用の顔料で遊び半分で書いてもらったそうだ。とりあえず彫っていない事が分かって命は安堵の溜息を吐いた。
「いいトキワ?タトゥーを彫るのは個人の自由だから止めないけど、絶対私の名前だけは彫らないでよ?そんな事したら絶交だから!」
ならば今のうちに止めておかなければと、命はトキワの両肩に手を添えてじっと目を合わせて諭した。
「分かった。タトゥーを彫らなくてもちーちゃんの事は心に刻まれているし大丈夫!例え記憶喪失になっても忘れない。愛してるよ、ちーちゃん」
自分しか見ていない命の真っ直ぐな瞳にトキワは愛を誓って本当は唇を奪いたい気持ちだが、今はその時じゃないと判断して、紅で淡くピンクに色づいた命の頬にそっと口付けた。
猛烈なトキワの求愛に命はタジタジになり、自分の思いを伝えるチャンスを今日も逃してしまうのだった。