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警視庁 不可能犯罪係の 奇妙な事件簿  作者: 夢学無岳
第二話 「自動人形館の殺人」
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3.僕の白百合

 この日は朝から雨が降っていた。

 僕――半澤はんざわいさむ――は彼女を連れ、BMWで奥多摩に来ていた。途中までは雲取山が見えたが、林道に入ると木と道路と雨以外、何も見えなくなった。


 あるロボット工学の科学者が、クラウドファンディングの高額出資者や抽選で当たった投資家を自宅に招待したのだ。そこで開発の現場や最新のロボットが公開される。またスイーツがたくさん用意されるらしい。


 僕たちは、抽選に当たって、ここまで来ていた。こんな山奥が自宅だとは、つくづく不便だと思う。


「楽しみね」


 助手席の彼女は可愛らしい声で言った。

 まるで百合の花だ。何の穢れもない可憐な女性。

 清野きよの涼乃すずの

 僕の婚約者。


 一年前、あるホテルの社交パーティーで知り合った。起業家の友人に誘われて行ったが、一流企業勤めとは言っても平凡なサラリーマンの僕には場違いな世界だった。

 彼女は資産家の娘だ。父親と一緒に来たと言ったが、そのうち父親の方は関係者との話でどこかへ行ったらしく、彼女はひとり暇を玩んでいた。僕はその可憐に佇む姿に一目ぼれした。

 僕は彼女に声をかけた。当たり障りのない会話をした。昼間にお茶したいと、連絡先を聞いたが、はぐらかすので僕は自分の名刺を渡した。しばらく日が経ち、彼女から電話がかかって来た時には、僕はオフィスで仕事中にもかかわらず、大声をあげて狂喜乱舞したものだ。


 それからというもの、僕は彼女に猛アタックした。気を引こうと、少しでも好感度をあげようと何でもした。

 彼女は父親の資産を運用するのが仕事だった。料理教室やフラワーアレンジメント教室に通ったりしていた。色んなものに興味があるらしく、いつも勉強していた。また彼女はロボットにも興味ありそうだった。僕がロボットに投資したのは、彼女の気を引くためだった。

 僕は彼女を一番に考えた。彼女の欲しいものは何でも買ってあげ、やりたいことは何でもさせてあげた。


 結果、僕の借金は膨らんでいった。車や、親から譲り受けた家も抵当に入り、いつ取り上げられるか分からない。銀行にもサラ金にも、これ以上借金はできない。

 でも、努力の結果、やっと婚約にまで漕ぎつけた。来月には彼女の実家に挨拶にいく予定だ。厳格な両親だと聞いている。今から緊張する。


 断じて言うが、結婚は金目的じゃない。

 僕は彼女を誰よりも、何よりも愛している。彼女の心優しさに、そして笑顔にいつも癒される。彼女なしには生きていけない。自分の命よりも大切な女性だ。

 彼女も僕を愛している。

 不安要素は自分の借金だけだ。でも、結婚さえすれば、すべてが解決する。

 もうちょっとの辛抱だ。


 道路脇は、雨水が滝のように流れている。僕は慎重に車を走らせた。




 洋館は長方形の二階建て。大きくてかなり立派な造りだったが、だいぶ草臥れていた。周りを囲む鉄柵は錆びていて、何だか分からない植物がたくさん絡みついていた。小さな納屋がある。庭は、詰めれば二十台くらい乗用車が停められそうな広さだ。植木は手入れされていない。何台か高級車が停まっていたが、他の客のものだろう。


 招待客は六人いた。僕らの他に、老投資家夫婦、女性実業家、科学雑誌記者の男だ。

 ロボット開発者、工藤くどうまなぶを入れると、全部で七人。

 工藤は愛想を振りまいていた。

 見た目は四十歳前後。以前は帝東大学の教授をしていたらしい。そんなに若く教授になれるものなのだろうか。僕が行った大学では、教授と言えば、枯れ木のような年寄りばかりだった。


 地下の大きな研究室を見せてもらった。そこは近代的な空間だった。

 また、一階中央の大きな客室では、開発中の介護ロボットの実演を見せてもらった。客室は、奥に古風な石造りの暖炉があり、その中は薪の燃え滓や灰でいっぱいだった。その上には、熊の頭のはく製が飾られ、壁には何百年前に描いたか分からない油絵がかかっていた。

 その空間で最新のロボットが動いているのを見るというのは不思議な感覚だった。


 ロボットは、近未来的な白い小型六輪駆動車の上に、精巧にできた人間の女性の上半身が乗ったものだ。彼女は白い割烹着を着ていた。自在に動き回り、階段も上り下りし、人を持ち上げたり、表情豊かに会話もできる。


 皆、その出来栄えに驚嘆した。


「なかなかの美女ロボットですな」と老投資家が言った。

「上半身だけ見ると、ぜんぜんロボットらしくないですわね。まるで本物の女性みたい……」


「ん……」と記者が首をひねる。

「これは、こちらのお嬢さんに、どこか似ているような……」と言って僕の彼女を見た。


 皆が、ロボットと凉乃と見比べる。工藤は顎に手を当てて、凉乃の顔をのぞき込んだ。


「たしかに……、どこかしら……」


 彼女は困ったように、恥ずしそうに目を伏せた。

 僕が「そんなにジロジロ見ないでください」と言うと、皆、「こりゃ失礼」と謝り、その後、和気あいあいとスイーツを堪能しながらロボットの話で盛り上がった。


 午後四時くらいから風が強くなり、雷鳴が聞こえてきた。五時少し前、大きな雷が落ちて、館内の照明が消えた。

「きゃっ」と彼女は僕にしがみつき、皆はざわついた。


 ブレーカーを確認してきた工藤は「停電のようです」と頭をかいた。ロボットやコンピューター、プロジェクター、すべての電気機器がダウンしていた。再起動には相当時間がかかるし、電力が回復してからじゃないと駄目です、と工藤は言った。


 もともと五時で終わる予定だったので、老夫婦と僕らは、工藤に別れを告げて洋館を出ることにした。

 雨も風もまだまだ激しい。黒い雲は頻繁に光る。


 記者はまだ取材をしたいと言い、女性実業家は、嵐が弱まるのをもう少し待つ、と言って屋敷に残った。




 僕らは林道を下って行ったが、途中、土砂崩れがあった。道は完全に塞がっていた。一本道で迂回路はない。

 僕らは仕方なくUターンして屋敷へと戻ることにした。




「それは困りましたね」

 工藤は、天候の悪い日に招待したのを申し訳なく思っているようだった。


「先生は悪くありませんよ」と記者が言った。

「天気には、どんな偉い先生でも敵ないませんて。ここはいかがです。これを機会と考えて、皆さん、明日まで親睦を深めるというのは」


 老投資家は「悪くないですな」と言い、女性三人も、すぐに気分を前向きに切り替えた。

「でも、先生のご都合が……」

 凉乃は気遣う。


「いえいえ! とんでもない。大歓迎です! こちらとしては、ぜんぜん問題ありません」と工藤は言った。

「逆に、十分なおもてなしができず、申し訳ないくらいです。寝床の準備とか、そうだ、食事とか……」

「食事は私たちで作りませんこと」


 女性実業家が言った。三十代後半だろう。


 いつの間にか、女三人は意気投合しているように見えた。凉乃は、はじける笑顔で「いいですね。そうしましょ」と言った。

 工藤は頭をかく。


「すみません。助かります。食材はキッチンとその隣の食糧庫にたくさんあると思いますので、自由に使ってください。わたし、一人暮らしなのに料理は苦手で……」


 食料は定期的にスーパーで働く知り合いに配達してもらっているらしい。昼間のスイーツは都心からの宅配だった。

 僕は彼女に聞いた。


「凉乃さん、外泊するのなら、ご両親に連絡は」


 彼女は目を伏せて「父と母は今、旅行中」と答えた。

 僕は、ひょっとして同室になるのだろうかと期待したが、工藤は、まだ結婚前だからと気を利かせたのか、隣同士の別室をあてがってくれた。そういう心遣いはいらない。


 女性実業家は、玄関ホールで、イヤホンマイクを付けて、あちこち電話をかけていた。職場や取引先だろう。彼女の煙草を吸う姿を見たが、それは颯爽としたものだった。



 楽しい夕食だった。豪華な鳥の丸焼きが出てきたのには驚いた。色とりどりの料理が、十人は座れる長テーブルの上で、ランタンや蝋燭の炎で照らされていた。ワイングラスが煌めく。


「清野さんも蓮見はすみさんも、料理がとても上手いのね」

 老婦人が言った。高木裕美というらしい。投資家、高木伸一郎の妻だ。


「そんな上手いだなんて」凉乃は、はにかんだ。

「本当よ、私なんてからっきし」


「高木さんのお味噌汁も、とっても美味しいですわ」と女性実業家、蓮見はすみ冴子さえこが言った。


「ぜんぜんよ、だし入り味噌を溶かしただけですもの」


 隣に座っていた伸一郎が「その通り」と言うと、彼は身体をびくりと揺らして呻き声を出した。


「先生のロボットに対する情熱は素晴らしいものですわ」と蓮見は言う。

 記者の山田次郎は深く頷く。


「蓮見さんには、昔から多大な援助をしていただいて、感謝しています」


 工藤はお酒が苦手らしく、ウーロン茶を飲んでいた。

 それにしては屋敷には、いろんな年代物の酒瓶がたくさんあるな、と思ったが、後で聞いたところ、館は中身ごと、すべて遠縁の叔父から相続したものだそうだ。


「私が学生の頃、先生は、ロボット工学と、制御用の人工知能の研究をしてらっしゃったの。助教授、教授とみるみる出世された先生は、天才と言って良いですわ」蓮見が言った。


「凄い方なんですね」と僕。

 蓮見は工藤に崇拝のまなざしを向ける。


「今回開発中の介護ロボットも、その人その人に合わせて、力加減を変え、苦しくないように痛くないように微妙に、なめらかに動きを調節できるなんて……」


「金になりますな」と高木が言うと、「人と社会のためになる、のですわ」と蓮見は、老投資家をにらんだ。


 凉乃が「勇さん、どうぞ」と、鳥の切り身を小皿に取ってくれた。綺麗なきつね色に焼けている。

「味つけ、どうかしら」彼女は、無邪気に僕の目をのぞき込む。僕は一口食べて言った。

「美味しいです。最高です」

 彼女は嬉しそうに「よしっ」と小声で言った。

 


 八時くらいには部屋の照明がついた。

 雨は降っていたが、風と雷はだいぶ静まっていた。


 工藤は休みなく動いていた。大事な投資家たちの気分を損ねないように、部屋に布団を運んだり、風呂の用意をしり、客室に高級そうな酒やグラスを並べたりしていた。山田と高木は客室でテレビを見ながら話をしている。


 僕はキッチンで、彼女が洗った食器などを拭いては戸棚や引き出しにしまっていた。大きなビニール袋にゴミをまとめていた蓮見は、凉乃と女子の会話をしていた。


「蓮見さんって、工藤先生とお似合いですね。ひょっとして、お付き合いされているのですか?」


「ま、そう見えるのかしら。いいえ、尊敬はしてるけど、そんな関係じゃないですわ。それよりも」

 蓮見は僕の方を見た。


「彼、いい旦那さんになりますわ」

「なってくれるかしら」


 二人は値踏みするように僕を見る。そして、固唾をのむ僕を見て明るく笑った。




 一階はホールと廊下は、合わせるとU字型になっている。客室はその中央だ。屋敷の北西の角に地下に下りる階段があって、北東の角に二階に上がる階段がある。ちなみに、北東の階段の隣、屋敷の東側には、小さな食糧庫、キッチン、食堂、書斎とあり、北西の階段脇、廊下の突き当りには、後から取り付けたエレベーターがある。客室の廊下を挟んで西隣。地下へ降りる階段とトイレに挟まれた場所に風呂があった。トイレの南側の部屋は、昔は住み込みのメイドの部屋だったらしい。


 工藤が風呂を入れてくれた。

 僕らは若いので客の中では一番後の時間帯にした。


 僕は十時すぎくらいに風呂から出ると、客室で待っていた彼女と交代した。そこでは高木伸一郎がウイスキーを飲んでいた。

 彼は、部屋を出て行く彼女の腰を眺めて「綺麗なフィアンセですな」と言った。


 これが、生きている凉乃の最後の姿だった。


「まあ、一杯どうですか」


 そう言って彼は僕にグラスを渡した。

 彼女の風呂は長い。一度、温泉に行った時は、僕だけ早過ぎたのか、女湯の前で、一時間待ったことがある。

 待つ間、高木と他愛ない話をしつつ、酒を散々飲まされ、僕はすっかり酔い潰れてしまった。

 高木が僕を二階の部屋まで連れて行ってくれたことまでは覚えている。


 ベッドに倒れ込み、僕は意識を失った。




 猛烈に喉が渇いていた。カーテンの隙間からは光が差し込んでいる。まだ雨が降っているので、明るくはない。

 ベッド脇のテーブルには、ペットボトルの水が置いてあった。昨日、工藤が用意したものだ。僕はありがたくそれを飲み、一階へ降りる階段の横に洗面所があったので、そこで顔を洗って歯を磨いた。歯ブラシも用意されていた。使い捨てじゃない未開封のしっかりしたやつだ。まるでホテルだ。


 僕は部屋に戻る途中、彼女の部屋をノックした。

 彼女は早起きだ。朝の七時。もう起きていると思う。昨日、彼女を待たずに一人で寝てしまったことを謝ろうと思った。


 ノックして待っても返事がない。二三度してもまったく反応がなかった。どうしたのか、と思って、ノブに手をかけた。女性の部屋に許可なく侵入するのに、後ろめたさを感じた。でも、結婚したら同じ部屋になるのだ、そう思いながら、「凉乃さん」と声をかけて、ドアを開けた。


 中の光景に愕然とした。

 まだ夢を見ているのかと疑った。


 彼女は一人用のソファーに腰を掛けている。

 目を見開いてこっちを見ていた。僕は震える脚で近寄った。

 美しかった顔は苦痛に歪んでいる。色白ながらも血色の良かった可愛らしい顔は、霜のように白く変わり果てている。胸には包丁が刺さり、白いワンピースは腰まで紅黒く染まっている。


 僕の凉乃は完全に冷たくなっていた。





 僕は猟銃を抱え、暖炉の前に立っていた。

 周りのソファーには、荷造り用の紐で縛り上げた人質、四人を座らせてある。蓮見だけ、館に女性刑事を入れるために、一時的に自由にしていた。


 彼女には、玄関で、女性と老人の身体検査をさて、武器や不審なものはないか調べさせてある。玄関の両開きのドアは、ノブを紐で縛らせ、すぐに開かないようにさせた。

 それは防犯カメラで確認した。工藤を使って、カメラの映像を客室のテレビに映すように、設定させたのだ。


 客室に入って来たダークスーツに身を包んだ老人は、深々と頭を下げて言った。


「この度は、ご婚約者様のご不幸に対し、心からお悔やみ申し上げ、またご冥福をお祈りいたします」

「あんたは?」


 僕が聞くと、その横、鑑識のカバンを肩にかけた女性刑事がバッジを見せた。


「警視庁の早乙女さおとめ弥生やよいです。こちらは犯罪捜査のアドバイザーです」

氷室ひむろ裕天ゆうてんでございます。どうぞ宜しくお願いいたします」


 女性刑事が「半澤さんとおっしゃいましたね」言った。


 自首しなさいとでも言うのだろうか。

 無駄な抵抗は止めなさいとでもいうのだろうか。

 無駄だ。


 僕は必ず凉乃の仇をうつ。たとえ警察でも、絶対に邪魔はさせない。邪魔する奴はみんな殺す。大切な彼女を無残に殺した犯人は、必ず地獄に落とす。ただじゃ殺さない。じわじわと苦しめ抜いて殺してやる。犯人が泣き叫び、許しを請うても、絶対に許さない。僕がこの手で復讐を果たす。

 僕には彼女のいない人生は考えられない。復讐の後、あの世で、凉乃に再会するのだ。


 僕は銃を両手で持ち、女刑事を睥睨した。

 彼女はそれにまったく臆さなかった。


「私たちは、必ずあなたの婚約者を殺害した犯人を見つけます。いいですか。必ずです。外の警察には、一切、あなたに手を出させません」


 彼女は続けた。


「凶悪な殺人犯をそのままにしておくなど、絶対にできません。婚約者の女性も、いつまでも、そのままにしておくことなどできません。一刻も早く、安らかに眠れるようにしてあげなければなりません。そのために皆さんのご協力が必要なのです。半澤さん、あなたの力もです。捜査にご協力いただけますか」


 彼女の言葉には、裏表ない響きがあった。





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