5.動機
「動機ですね。現信者から込み入った話は、あまり聞けてません。教主を殺そうとする信者はいない、犯人は外部の人間に違いない、その一点張りですね。伊東、安室、加藤、仲本、高木と犯行時刻にコテージに近づいた人間には、いくら探しても動機は見つかりません。伊東と安室はしょっちゅう佐伯に叱られてたらしいですが、それくらいじゃ人は殺さないでしょう。ただ、脱会した元信者からの情報がありまして……」
中野は資料をめくる。
「まず、布教部長の黒原礼二、ええと五十二歳ですね、彼は佐伯と男女関係があったそうです。これは複数の証言が得られています。また巫女の百瀬や、他の女性とも関係を持っていた、らしいですね。本人は肯定してませんが……、まあ、男女関係のもつれからの殺人の線ですが、黒原は昼食後は、ほぼ執務室にいたし、十四時から十五時半までは、見学会で五十人の前に立っていたんですから、殺害時刻が十四時十五分から四十五分まで、なのでアリバイは完璧です。悔しいですが、黒原はシロですね」
写真を見ると、黒原は、黒い羽織袴で霊能力の舞台を仕切っていた男だった。
「それから事務局長の清田勝。五十九歳。総代会でいつも佐伯や黒原と衝突していたようです」
「衝突とは?」
「主に財産管理についてですね。佐伯や黒原たちが法人の資産を個人的に用いることが間々あったようです。清田は帳簿を付けるのにいつも苦心していたらしいですね……。どうも彼は先代の教祖、御子柴の弟子の中で、次期教主、最有力候補だったようです。弟弟子の黒原が、霊能力を使えるという佐伯を擁立して、権力闘争に負けた、と言ったところでしょうか、当時の幹部の何人かはそれが原因で脱会したようですが、清田は局長として残った、と。個人的な恨みの線も考えられますが、死亡推定時刻には、事務所にいて防犯カメラに映っていたし、事務員たちの証言もあります。彼も、完全にシロですか……」
中野はプリントされたリストを数枚出した。
「元幹部や、多くの布施をした挙句、何の御利益が得られずに脱会したと主張する信者たちが八十人ほど見つかっていますが、彼らはいずれも当日、あの場ではなく、遠く別の場所にいました」
「確認するのは大変でしたでしょう」
「ええ、まあ、捜査は足ですね。ですが、結局、動機のある人物は完璧なアリバイがあり、アリバイのない容疑者には動機がない、また、犯人に結び付く物的証拠がまったく見つかっていないと……、もし心中じゃないのなら、犯人は、服も手も足も血だらけのはずなんですよ、それが誰もそんな痕跡がないし、コテージから忽然と消えているんです。て言うか、あの部屋以外に血痕が全然ないんです! 鑑識は、コテージ内は隈なく、付近の庭や会館、個人の住居内を調べたんですよ。おかしくないですか! 犯人はどこへ行ったと言うんです! 犯人なんて本当にいるんですか!」
中野は熱を帯びたように話す。
「もし証拠を処分するとしたら、どこでしょうか?」
「え、ええ、まず考えられるのが、ゴミの集積場と焼却炉ですね。会館の北、十字路から少し東へ行った所です。目立たない場所にあります」
「いかがでした?」
「もちろん調べましたよ。積んであったゴミ袋の中には特に怪しげなものはなく、焼却炉の中は炭と灰だけですね。当日、何かを燃やしたようですが、もう、分かりません」
中野は肩をすくめる。
「それにですよ、なぜ佐伯は、窓ガラスに『ひむろ』と書き残したんです? 訳が分かりません」
「佐伯様が書き残したもので間違いございませんか」
「ええ、はっきりと指紋が出てます。上下斜めにひっくり返っているのは、刺された直後、窓に背に、カーテンの隙間から、右手を後ろに差し込んで書いたのだと推測できます」
「犯人が佐伯様の手を取って書かせた可能性は」
「ゼロじゃありませんが、だったら、うつ伏せに倒れたあと、床に書くのが自然です。それに、折角、密室にして、百瀬の手に凶器を握らせたんなら、『ももせ』と書くんじゃないですか? あ、これは、うちの先輩の意見ですけど」
氷室は頷く。
「……そう言えば、滝からさらに奥に歩くと、昔、氷を貯蔵していた氷室があったと聞いております。冬の天城山は極寒で、一晩に厚さ十センチもの天然氷が作られていたと……」
「ええ! そうなんですか!」
中野は目を見開いた。
「関係、ありますかね?」
「まだ、はっきりした事は申し上げられません」
中野は何やら考え込むようだった。
氷室はしばらく静かに、被害者の殺害時の状態の報告書に目を通していたが、それと遺留品のレポートと見比べると、「ふむ」と髭を撫でた。
「やはり、ネックスピーカーを身に付けられていましたか」
「え? なんです?」
「いえ、見学会で拝見したとき、お着物の衿口が微妙に膨らんでいるようにお見受けしましたので」
中野は「はあ」と力なく答える。
「佐伯様の携帯電話は、省エネモードが解除されていたようですね」
「そうですか? それが?」
氷室が眉を顰めて顎をつまむ。
「なるほど……」
「どうかしましたか?」
「はい……、足りない証拠は犯人に提出していただきましょう」
中野は意味が分からず、「はあ……」と答えた。




