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警視庁 不可能犯罪係の 奇妙な事件簿  作者: 夢学無岳
第一話 プロローグ「800万分の3の青酸カリ」
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4.不正

 取り調べ室。窓から見える空は白み始めていた。

 氷室は佐藤に語りかけた。


「佐藤様。私は疑問に感じておりました。貴方が、なぜ自首したのかと」


 佐藤は下を見ている。


「愉快犯なら自首する必要はなかったのでございます。捜査の現場に近づき、警察の反応を楽しむという方もいらっしゃるかも知れませんが、貴方にその素振りはまったくございませんでした。一つ目のパスコードが明らかになった時もそうでございます。貴方は少しも動揺せず、むしろ私には、よく見つけたと感心し、そしてまた、安心したように見受けられました」


 猫屋敷は静かに聞いていた。


「貴方は四ツ谷ヨントリー府下ふげ工場で、技術主任の立場にいらっしゃいました。それがこの半年、頻繁に省庁に出向いていました。たんなる仕事上の手続きでは……」


 氷室は佐藤の表情を見ながら話を続ける。


「……ございませんね。お仕事以外の用事……、という訳でもございません。貴方は約二月前に降格処分となりました。なぜでございましょう? おっしゃらなくて結構です。これは私の勝手な推測ですが、もし宜しければ、お聞きくださいませ」


 氷室は立ち上がると、ゆっくりと歩いた。


「府下工場では、以前から不正が行われていた」


 それを聞いた瞬間、佐藤は身を固めた。


「なるほど。やはりそうでございましたか。一般的な申請や手続きであるのなら、別の役職の方でも良いでしょうし、何度も頻繁に行かれることもないでしょう。貴方は不正を告発しようとしてらっしゃった。しかし、役所が動かなかったのでございますね。ひょっとして、たらい回しにされ、証拠がないと言われたのではございませんか?」


 佐藤の手は小さく震えていた。


「貴方の行動は上司の知ることになった。それで降格されたのでしょう。苦労されたことと存じます。そんな折、重なるようにして不幸が訪れました。愛する奥様とお子様の事故です。守るべき人を失い、貴方は自暴自棄になられた。」


 佐藤は身体を揺らし、大粒の涙を流していた。


 隣の部屋では刑事たちがそれを見守っていた。


「やはり復讐か」

「それなら爆破する場所として効果的なのは……」


 刑事のひとりは地図を広げ、資料の再確認をはじめた。


 氷室は続ける。


「農林水産省や厚生労働省へ赴かれたということは、工場で行われていた不正というのは……。おそらく、食品偽装」


 佐藤は目を見開いて、氷室を見上げた。

 猫屋敷は片手を小さく上げて「あの、すいません。食品偽装って何すか?」と聞いた。


「はい、食品偽装と言うのは……」


 氷室が説明しようとすると、佐藤が、


「原材料や賞味期限を偽装することです」と言った。


 猫屋敷がよく分からないような顔つきだったので、氷室は、


「古くて使えない原料で製造したり、賞味期限が切れたものを、ラベルを張り替えるなどして販売することでございます」と説明した。


「くそう! あいつ等! 許せねえ!」


 突然、猫屋敷が激怒したので、佐藤はびっくりして固まり、ミラーガラスの向こうの刑事たちは口をあんぐりと開けた。


 氷室が見るので、猫屋敷は、


「あ、その、すんません……、あそこのスポーツドリンクとか、昔っからよく飲んでたもんで……。ここ数年、なんか味が変わったなって思ってたんすよ」と説明した。


 氷室は佐藤の背中にやさしく手を置いた。


「宜しければ、お話をお聞きしますが」


 そう言うと、佐藤はすんなり話しはじめた。



 工場では不況のあおりを受けて、数年前から偽装を行っていた。会社の上層部からのコスト削減の命令を受け、工場長も苦渋の決断だったらしい。佐藤は仲間とともに、自分も以前開発にたずさわったスポーツドリンクの偽装をやめるように何年も主張してきたが、同じ志の仲間は次々に退職していった。


 ついに一人になった時、佐藤は省庁に告発した。しかしなかなか取りあって貰えず、たらい回しにされて時が過ぎていった。そして約二か月前。業を煮やした上層部は、佐藤を降格させた。

 またほぼ同時期に妻と娘を事故で失った。

 佐藤は、一度は死のうかと思ったが、このままでは終えられないと考えた。死ぬのは、不正を正し、自分の大好きだった飲み物が安心して飲んでもらえるようになってからでも遅くはない。

 しかし警察に行っても相手にしてもらえなかった。ろくに調書も取らず、時には、事件で忙しいのに邪魔をするなと怒鳴られたことすらあった。

 彼は、証拠となる書類を集めるとともに、誰もが疑うことのない物的証拠を用意する必要がある。そう考えた。

 そして警察に工場内部を隅々まで捜査させ、また製品の化学分析を行わせるために今回の事件を起こしたのだった。



「もう思い残すことはありません。あとは妻と娘の元へ行くだけです」


 佐藤は満足したように言った。


「なに勝手に終わってるんすか!」


 突然、猫屋敷は立ち上がり、バンッと机に両手を置いた。瞳は涙にあふれ、その眼差しは真剣だった。


「まだ終わりじゃない! これからじゃないすか! 工場の不正は、俺があばいてやる。悪いやつは、みんな捕まえて懲らしめてやる。俺たち警察も悪かったっす。ほんとすいませんした!」


 猫屋敷は勢いよく頭を下げて机に額をぶつけた。そしてまた佐藤を見つめた。


「だから、いいすか。あんたは、それをちゃんと最後まで見届けるっす。俺たちがちゃんと仕事するか、確認するっす。それがあんたの義務っす。まだ終わりじゃない。あんたの奥さんだって娘さんだって、まだ、あんたの来るのを待っちゃいない。絶対、もっと先だって思ってるはずっす。美味くて安全なジュースを作りたかったんすよね。娘さんに自慢できるヤツ、作りたかったんすよね。じゃあ、作るっす。まだ間に合うっす。生きてりゃできる。生きてりゃなんでもできるっす……、そんで」


 猫屋敷は子供のような笑顔で言った。


「また、あんたの自慢のジュース、俺に飲ませてほしいっす。俺、子供の時から、アレ、好きだったんすよね……」


 佐藤は肩をふるわせた。

 しばらく泣き、涙を拭うと、声を詰まらせて言った。


「刑事さん……、ありがとう……。あなたはいい人だ。とってもいい刑事さんだ……。もし……もし告発した時に、あなたのような人が、あなたが、いれば……」


 そう言って、佐藤は再び涙を流した。



 隣の部屋。

 若い刑事が「おい、そんなことより爆弾は」と言うと、初老の刑事が彼の頭に拳骨を落とした。

「いて! や、山さん、何すんすか!」と抗議したが、初老の刑事はそれを無視して、「タバコ吸ってくる」と言って部屋を出て行った。





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