14.真相
「私は疑っておりました。このような理由で、咄嗟に殺人を計画し、実行に移すのであろうかと。それゆえ、早乙女様に調査をお願いした次第です」
氷室は暖炉の前で語り始めた。
「さて、その前に、犯行の方法は、いたって単純でございます。蓮見様、貴方は部屋で盗聴をし、工藤様と清野様、仮にそう呼ばせていただきますが、の会話をお聞きになり、彼女に殺意をいだきました。清野様が研究室を出るのを確認すると、貴方は自分の部屋の前で待ち構え、彼女に話があると、おっしゃったのでしょう。おそらく、内緒の話があるなどと言って、密かに二人だけで会う手筈を整えました。そして、彼女に部屋で待たせ、キッチンにグラスと凶器を取りに行かれたのでございます。あなたは彼女の部屋に入ると、軽く乾杯をし、そして、見せたい物があるとでもおっしゃった。もちろん凶器は隠し持っています。彼女へのプレゼントを匂わせたかも知れません」
蓮見は、まるで見た事のように語る氷室に冷や汗をかいた。
彼女は、昨晩の出来事を思い出していた。
清野凉乃は自分の部屋のソファーに座り、目に手を当てていた。
「ほら、目を開けちゃだめ」
指の隙間から覗き見ようとすると、蓮見は笑って言った。
蓮見が近づく音が聞こえると、清野は目をぎゅっと瞑ったまま、両手を前に出した。
「こら、凉乃ちゃん。待ちなさいったら」
「でも、何かガサガサ音がします。何かしら」
「触っても、だーめ。もう、その悪い手も、お尻の下にでも、しまって置きなさい」
清野は期待の笑みを浮かべ、両手をひじ掛けの隙間から臀部の下に差し入れた。
「まだよ、まだ、いいって言うまで開けちゃだめ」
蓮見は紙袋から大きなゴミ袋を出した。それを広げ、その中心で、包丁を掴んだ。
「サプライズですからね。ちゃんと待ちなさい。三、二……」
蓮見は清野を袋で覆うようにしてから、彼女のみぞおちに包丁を突き立てた。
ゴミ袋の下の清野はわずかな呻き声を上げ、身体を痙攣させる。蓮見は彼女が動かないように、しっかりと体重を乗せた。
創口が広がり、血液が噴出した。白いワンピースはみるみる赤く染まっていく。彼女が完全に動かなくなるまで、一分もかからなかった。
蓮見は、清野が死んだことを確かめると、グラスやドアノブなどの指紋を拭き取った。ゴミ袋は血が付いた方を内側にして丸めた。
「そ、そんなの勝手な想像ですわ」
氷室の推理を聞くと、蓮見は言った。
「では、凶器の指紋はどうですの。なぜ半澤さんの指紋が付いてますの」
「はい。それについては、大きく分けて三つ考えられました。一つは半澤様が殺人に使用した場合。二つは、半澤様が以前に触られた凶器を、別の方が殺人に使用した場合。三つは殺人の後、半澤様が触られた場合でございます」
氷室は指を三本立てた。
「半澤様の記憶違いでないかぎり、三つめはございません。一つ目を取るには、状況が不自然過ぎます。つまり、二つ目が有力ですが、これには、また二つの可能性がございます。一つは、半澤様の指紋が付いているのを知っていて、故意にそれを使用した場合。二つは、使用した包丁に、たまたま半澤様の指紋がついていた場合でございます。しかし、貴方は包丁に半澤様の指紋が付いている事を知っておられた。昨日、清野様と半澤様と蓮見様の三人で、食事の後片付けをした時に、見ておられるからです。それ故、貴方は半澤様に罪を着せようと画策された。凶器に自分の指紋を付けないように気を配り、グラスの指紋を拭き取ったのは、このような理由でございましょう」
「違いますわ。それなら他の人の可能性だってあるじゃありませんこと」
「もし、半澤様に罪を擦り付けようと考えたのなら、半澤様にアリバイがないと知っていなければなりません。知っていたのは、泥酔された半澤様を介抱された高木様、そしてそれを目撃した山田様ですが、高木様は睡眠中であり、山田様は、包丁に半澤様の指紋が付いていたを知りません。他に知っているのは、盗聴していた貴方だけでございます」
「嘘です! 嘘ばかり言わないでください!」
氷室は背広の内側から透明のチャック袋を取り出した。中には、黒いおにぎりのような固まりが入っている。氷室は蓮見の前に立つと、それを見せた。
「蓮見様、これが何かお分かりになりますね」
「何ですか」
氷室は、その袋を蓮見に手渡した。
「これは、こちらの暖炉の灰に埋もれていた物でございます。外側は炭化したパルプ、中身は燃えかけのポリエチレンでございました」
「それは何ですかな」と高木。
「蓮見様が隠滅しようとした証拠、ゴミ袋でございます。犯行の後、蓮見様、貴方はそれをお持ちになって、ここにいらっしゃった。そして暖炉で燃やそうとされた。しかし、なかなか火が付かなかったのでございますね。おそらく、キッチンペーパーで包んでから、また火を付けたのでございましょう」
氷室は、ポケットから大きな透明のゴミ袋を取り出すと、それをワインクーラーの水で濡らしてから、くしゃくしゃに丸めた。そして、酒瓶と一緒に置いてあるキッチンペーパーを数枚とって、丸めたゴミ袋を包んだ。
左手でそれを持って、皆に見せると、右手を仰々しく紙包みの上で動かした。
突然、火が付く。皆は声を上げて驚いた。
氷室はそれを暖炉に落とし入れた。
「上手くいけば、これで完全犯罪となる処でございました。しかし、ご覧くださいませ。この大きさで水分を含んでいると、燃え尽きるまでに、十分から二十分かかるのでございます。付着した血液の量によっては、さらに時間がかかるかも知れません。蓮見様は、これを燃やしていると、突然、工藤様が入って来られたので、あわてて灰をかけて隠しました。工藤様が部屋に入って来たときに嗅いだ、煙草のような匂い、それはこれを燃やしていたものにございます」
「そ、そんな」
工藤は蓮見に目をやった。
「中から、ルミノール反応が検出されました。これからDNA鑑定をすれば、清野様の血液だと断定できるでしょう。指紋もこれから採取する予定です。おそらく、出てくるのは、貴方の指紋」
「も、もし私の指紋が出たからって、私がそれを使った証拠はないですわ。包丁みたいに、私が触ったゴミ袋を、誰かが使った可能性がありますもの」
早乙女は蓮見に言った。
「蓮見さん、ゴミ袋は一枚づつ引き出すタイプでした。未使用のものに、誰かの指紋が付くことはありません。もし、仮にあなたが使った袋を再利用したとしても、それは、化学分析ですぐ分かります」
「そ、そうですわ。動機です。私には動機がありませんわ。先生の事を尊敬はしてますけど、そんな殺人なんて大それた事、する訳ありません」
「工藤さんは帝東大学でしたね」と早乙女。
「ええ」と蓮見。
「工藤さんが講師だったころの、その研究室の助教授、教授ですが、お調べしたところ、それぞれ、痴漢、性的暴行の容疑で逮捕されています。被害者は、あなたのお友達、そして、あなたで間違いありませんね」
蓮見は黙っていた。
「一つは有罪、もう一つは証拠不十分で無罪になっていますが、お二人とも大学を解雇されました。あなたは工藤さんの出世のために、冤罪事件を起こしたのではありませんか」
工藤は「まさか」と信じられない気持ちで蓮見を見つめた。
「勝手な推測です」
「それから、工藤さんの叔父ですが、不審死でした。死ぬ直前、家政婦が、見慣れない女性を見かけたと証言されています。似顔絵がありますが、どうもあなたに似ているようです。あなたは、金銭的に困っていた工藤さんを助けるため、遺産が入るように計画したのではありませんか」
「証拠はありませんわ」
「ええ、捜査すれば明らかになる事です。さ、蓮見さん、その証拠品をお返しください」
早乙女は、ゴミ袋の燃えかすを持つ蓮見に、手を差し出した。
蓮見はそれを手で払いのけると、暖炉まで走り、持っていたライターで火を付けた。
「あ、何をする!」高木や半澤が叫ぶ。
蓮見は、燃えカスを暖炉に投げ入れると、ウォッカを取って注ぎかけた。青白い炎が大きく立ち上る。
「刑事さん! 早く! 早く、消火、消火」
高木たちは慌てた。
しかし氷室と早乙女は冷静に、それを見守っていた。
「蓮見様、申し訳ございません」
氷室が謝ると、蓮見はきょとんとした。
「本物は工藤様のポケットにございます」
工藤は、ジャケットに手を入れると、驚いた顔でチャック袋を取り出した。
早乙女は蓮見に言った。
「蓮見さん、研究室を盗聴していた時、まさか、風呂場で工藤さんと被害者が本当に関係を持たれたとは思わなかったんですよね。聡明なあなたならお分かりだと思いますが、もし罪を認めませんと、平行して、強姦殺人の線も捜査する必要があります。そうしたら工藤さんはどうなります」
それを聞くと、蓮見は観念して全身の力を抜いた。
工藤は蓮見に歩み寄った。
「刑事さんの言った事は、全部本当なんですか」
「……先生に嘘はつけませんわ。でも、私、小説に出てくる犯人みたいに、状況証拠だけで、すべてを自白するほど、馬鹿じゃありませんわ」
「なぜです、なぜ、彼女を殺したんです?」
「決まっていますわ。あの子は必要のない人間だったからですわ。人と社会のために研究されている先生の邪魔をするような子は、害悪ですわ。それも一度じゃありません。二度もです。先生が、せっかく教授になられて、活躍される所で、あの子は、それを台無しにしたのですわ。私、その話を聞いて、この子か、この子が元凶だったのかと、はらわたが煮えくり返る気持ちでしたの。あの子は寄生虫です。吸血鬼です。駆除するのに、何の躊躇もありませんわ」
半澤が「このストーカーのサイコパスが」と言い捨てる。
工藤は「私のためなのか、私のせいだったのか」と震えて涙を流した。
蓮見の腕に手錠がかけられ、移送される時、工藤は彼女の背中に言った。
「待っています。ずっと待っています。必ず戻って来てください」
蓮見は振り返ると、目を潤ませて「先生」とだけ言った。




