8.マジックショー
「昨日の清野凉乃さんは、本人で間違いありませんか?」
早乙女が聞くと、半澤は、
「間違いありません、間違いようがありません」
と断言した。
「では、今朝のご遺体は」と聞くと、
「わ、分かりません。信じたくない気持ちでいっぱいです。今でも生きていると信じたいです。でも、変わり果てた姿でしたが、その時は、一目見て、彼女だと直感しました。服も昨日と同じだし……」
半澤は涙を流す。
早乙女は何か拭くものと、近くのテーブルを見た。ウイスキーやブランデー、日本酒などが沢山置いてある。多くの瓶は開栓されて中身は減っている。ワインクーラーの中には、ワインボトルや缶ビールが入っていたが、氷はすでに溶けていた。
彼女はそこに一緒に並べてあったキッチンペーパーを数枚とると、半澤に渡した。
「双子がいるとは聞いてますか?」
「いえ、一人っ子のはずです」
そう言って半澤は涙を拭いた。
「皆様、いったん、お食事にするのはいかがでしょう」
氷室が言うと、皆、空腹であることを思い出した。
「腹が減って戦はできぬ、と申します。半澤様、宜しいですか?」
半澤が頷くので、皆で食堂に移動することになった。テーブルを囲み、冷凍のピザやグラタンを温めて皆で食べる。この時は、手枷は外してあった。
山田だけは縛られたまま、介護ロボットに抱っこで運ばれて来た。そして、縛られたまま椅子に座って、ロボットに食べさせてもらっている。顔を動かしたり、しゃべったりすると、時々、彼の口に運ばれるピザが鼻に入る。ロボットは、ナプキンを使って、丁寧にそれを拭いた。
食べ終わると、高木が言った。
「そう言えば、氷室さんは手品が得意のようですな」
早乙女は、得意などではなく、世界を代表するマジシャンなのだと思ったが、それは口にしなかった。
「私も手品は大好きですわ」高木夫人も言う
「宜しければ、何かお一つ見せていただけますかな、皆さん、どうでしょう」
工藤は、「何もこんな時に」と言ったが、高木は、
「こんな時だからこそ、気分転換して、殺伐とした雰囲気を改善したいじゃありませんか。よろしいですな。皆さん、氷室さんも」と言う。
異論はないようなので、端の席に座っていた氷室は「では、僭越ながら」と言って立ち上がった。皆、席に着いたまま拍手をした。
「それでは、そうですね、本日はマジック道具を持ち合わせておりませんので、ここは、何か、お借りしたいと思いますが、ええ、どなたか、五百円玉をお持ちではありませんか?」
そう言うと、向かいに座っていた蓮見が、「私、いっぱいありますわ」と言って、コインケースから一枚取り出して、氷室に渡した。
「ありがとうございます。少々お借りします」
氷室はコインを受け取ると、「ええ、これは平成二十年のコインでございます」と言って、それを皆に見せた。皆、目を凝らして確認する。
「では、蓮見様、どなたか、お好きな方を指名してください。誰でもようございます。何も考えないで、直感でお願いいたします」
蓮見は「では、工藤先生で」と言うと、氷室はいたずらっ子のような顔をして、「ファイナルアンサー?」と聞いた。
蓮見は「ファイナルアンサー」と笑って答える。
「ようございます。それでは、この五百円玉をこういたします」
氷室がコインを左手に握り、「ふっ」と息を吹きかけた。手を開くと、五百円玉は消えてどこにもない。右手にもない。
「工藤様」
皆、工藤の方を見る。彼は、氷室から一番離れた席に座っていた。
「ジャケットの右ポケットを調べてくださいませ」
工藤は、右手を入れてまさぐる。彼が取り出したのは五百円玉だった。工藤は「平成二十年のです」と驚いて言った。皆、歓声を上げる。
「工藤様、恐れ入ります。それをお借りできますか? ありがとうございます。では、工藤様、どなたか、お好きな方を指名してくださいませ。まだ指名されていない方が宜しいでしょう」
「じゃあ、高木さんで」
そう言うと、氷室はコインを、工藤の前に座っていた高木にフリスビーのように投げたが、その瞬間、コインは消えてなくなっている。
「高木様、ジャケットのポケット……」
言い終わる前に、高木は五百円を取り出し、嬉しそうに「平成二十年のですな」と言った。
そのように次々に様々な方法でコインを消しては、全員のポケットから再び取り出すと、皆は目を輝かせた。半澤の目の奥の毒気は少しだけ減った。
「蓮見様、お貸しくださり、ありがとうございました」
そう言って、五百円玉を蓮見の手のひらに乗せたが、それはその瞬間、百円玉、五枚に変わり、チャラッと音を立てる。蓮見は目を皿のようにしてコインを見つめる。
氷室は「失礼いたします」と言って、蓮見の手のコインを取ると、自分の胸ポケットにしまった。
「以上でございます」
氷室が微笑むと、蓮見は「あの、私のお金……」と言った。
「あ、申し訳ございません。蓮見様、ズボンのポケットを」
蓮見は、急いで手を入れる。
そして取り出した五百円玉を、満面の笑みで皆に見せた。
氷室が華麗に礼をすると、「わあっ」と歓声とともに、大きな拍手がおこった。
食堂の外の庭で待機していた警官は、それを聞いて不思議そうな顔をした。
「トリックは何ですの?」高木夫人がわくわくした顔で尋ねた。
「聞くのはマナー違反だ」と伸一郎がたしなめる。
氷室は、「そうでございますね、それは、もうすぐ明らかになります」と微笑んだ。
皆は客室に戻ったが、氷室は早乙女と部屋の外にいた。
「早乙女様、先ほど暖炉の灰の中から、このようなものを見つけましたが」
透明のチャック袋の中には、黒いおにぎりのような燃えかすが入っている。
「工藤様によると、この半年、暖炉に火は入れておらず、薪以外燃やしたことはないとおっしゃっていました」
「これは……、奥の方は半透明のミルフィーユ状になってますね。周りはプラスチックのように固いし、調べてみます」
「よろしくお願いいたします」
氷室が言うと、早乙女は人差し指を口に当てて、声をひそめた。
「盗聴器を発見しました。怪しい電波を検出したので、見つけましたが、まだそのままにしてあります」
「どちらに?」
「地下の研究室と、一階の客室、そして高木さんの部屋です」
そう言った時、早乙女の電話が鳴った。
客室では、再び高木が探偵をしていた。
「いいですかな。被害者は一突きで死んでいたのです。やはり、犯人は女ではありません。男です。男性はと言うと、工藤先生、半澤さん、山田さんですが……。ところで皆さん、血液型をお聞きしても宜しいですかな。工藤先生」
「私はAB型です」
半澤は「A」、山田は「Bです」と答えた。
「刑事さん、少々、お聞きしても宜しいですかな」
「なんでしょう」
「被害者からは、男性の体液が見つかったそうですな」
どよめきが起きた。
「そんなはずない!」
半澤が狂ったように叫んだ。
早乙女が鋭い目つきで蓮見を見ると、蓮見は泣きそうな表情で、許しを請うように両手を合わせた。
「DNA鑑定はここでは無理だとしても、当然、お相手の血液型くらいは分かっているんでしょうな。相手は誰です?」
「守秘義務がありますので、お答えできません」
半澤は「言え! 誰だ! 誰が凉乃をレイプした!」と泣き喚いた。
「半澤さん、お忘れですかな。彼女に争った形跡はなかったと。行為は同意の上だったのです。いや、あるいは脅迫されて行為に及んだ可能性もありますが」
半澤は悲痛な声で泣き叫ぶ。
「見当はつきましたよ」高木は言った。
「顔色を見れば分かります。自慢じゃありませんが、私、人を見る目は確かなので」
高木は、ひらりと工藤に身体を向けた。
「先生……、犯人はあなたですな」
工藤は青い顔をして震える。
蓮見は、手で口を押え、工藤を見つめていた。