7.彼女の謎
「山田さん! あなたどういう気です! 皆を見捨ててひとり逃げるなんて!」高木は怒鳴った。
山田は客室に連れ戻されて、厳重に縛られていた。両脚、胴体が紐でぐるぐる巻きである。
「この人が殺したのね」と高木夫人は言った。
半澤は暖炉の前で、山田に憎悪の目を向けていたが、殺すことはまだ思いとどまっていた。
「違うんです! 誤解です! 私はちょっと落とし物を拾いに」
山田は必死に弁明する。
「拾ったあと、逃げるつもりじゃなかったのですかな」
「いや、そんなことは、ちゃんと戻ってくるつもりで……」
「では、なんでカバンをお持ちになったのかしら」
高木夫人に言われ、山田は、
「それは、その……、そう、薬です、こ、高血圧の薬を、飲まないと、と思いまして……」と弁解する。
カバンの中を確認した高木は、「確かに薬袋があるけれど、信用できませんな」と山田を見た。
「とにかく、話は中断しましたが、皆様、私の推理をお聞きくださいますかな」
そう言った時、客室に、早乙女と氷室、工藤が入って来た。
「ちょうど良いところに刑事さんたちが戻りましたので、聞いていだだきましょう」
そう言って、高木は部屋を歩きながら話しはじめた。
早乙女は、氷室と顔を見合わせてから、腕を組んで、彼の言葉に耳を傾けた。
「もう、皆さん、昨日のお互いの行動については散々語り合ったので、覚えていると思いますが、先ほど、蓮見女史から重要な情報を入手しました。被害者の死亡推定時刻です」
早乙女が蓮見を見ると、蓮見は、盗み聞きするつもりはなかったのだという表情で、許しを請うように両手を合わせた。
「いいですかな。被害者が殺されたのは、昨日の二十三時二十分から、零時四十分の間です。その時間、アリバイを持っていたのは誰か」
高木は皆を見まわした。
「私と家内です。二人一緒に部屋で寝ていたので、お互いが証人ですな。私たちは犯人ではありません」
高木は「うんうん」と満足そうに頷いた。
「そして、アリバイのない人物は誰か?」
皆は高木の言葉を待った。
「工藤先生は二十三時五十分から零時三十五分くらいまで蓮見女史と一緒であり、その後、寝室に戻る途中で女性の喘ぎ声を聞いたと言われました」
工藤が「あ、だから、それは気のせいかも……」と口を出したが、高木に「いいですから」と座るように促された。
「つまり、もし、その声が被害者のものなら、殺害時刻は零時三十五分から四十分に絞られるわけですな。さて、その短い時間の中で、誰が被害者と会い、殺意を抱くまでになり、殺害する準備をし、実行に移すことが出来たのか、工藤先生にはそんな時間的余裕なんてないでしょう。無論、蓮見女史もです。それができるのは、半澤さん、山田さん、あなた達二人以外にいないのですよ」
山田も半澤もびっくり仰天して、自分じゃないと主張した。
「いいですかな。犯人は男です。被害者は一突きで死んでいたのです。これは、犯人が普通の女性では考えられない事なのです。女性なら一回では致命傷を与えられず、また相手が反撃してくる恐怖から、何度も何度も刃を立てるのが、一般的なのです」
彼は、その状況のジェスチャーをしてみせた。
「つまり、これは男性による犯行」
「あなたはどうなんです!」
と山田が言った。
「先ほども言った通り、私にはアリバイがありますから、論外ですな」
「証人は、あなたの妻じゃないですか。二人の共犯だって考えられるでしょう」
「まあ、その可能性はゼロではありませんがね、私は自分で自分がやっていないと知っていますから、悪魔の証明というやつですな、やっていないことを他人に証明するのは難しいのなら、真犯人を見つけるのが近道、違いますか? よく思い出してください、半澤さんには動機がない。彼らはとても仲睦まじいことは周知の事実です。よって、山田さん、犯人はあなたしかいない。山田さん、なぜ彼女を殺したのです。教えてくれますかな」
高木は山田を見下ろし、半澤は銃を持って、彼を睨みつけた。
「被害者とは、お知り合いでしたか」
「今日会ったばかりですよ!」
工藤が「もしかして、彼女に盗みの現場を見られたからじゃないですか」と言うと、山田は顔色を変えた。
「山田さん、あなたは私の研究結果を盗みましたね。言い逃れようとしても無駄ですよ。研究室の防犯カメラにあなたの姿がはっきり映っていました。がっかりです。私はあなたを信頼していた。今回ご招待したのは、クラウドファンディングの宣伝の意味もありましたが、それ以上に、あなたが私のロボットに理解があると感じていたからです。本当に、心底がっかりです」
高木は山田のボストンバッグをあさった。
セカンドバッグの中から煙草と一緒にピッキングツールが出てくる。
「なるほど、これで謎が解けました。おかしいと思っていたのですよ。あなたは言った。殺害現場の写真を撮っていると、彼が客室から銃を持ち出して戻って来た、と。なぜ客室と知っていたのです? あなたがロッカーを開けたからですな。ガンロッカーは、見たことが無い人には、中身が重要なものだとは思うものの、まさか銃が入っているとは思わないでしょうからな」
山田は目をそらす。
「あの、ちょっと待ってください」
蓮見が言った。
「山田さんが防犯カメラに映っていたのは何時なんですの?」
「零時五十五分から一時四十五分でした」工藤が答えた。
「とするなら、おかしくありませんこと。犯罪を犯す前に、目撃者を殺すなんて。しかも、スパイなら不正競争防止法違反だから、罰金ですむかもしれないのに、どうして殺人まで犯すのかしら?」
「ちょっと、宜しいですか」
早乙女が言うと、皆、彼女に顔を向けた。
「清野凉乃さんには争った形跡がありません。彼女の部屋の鍵はピッキングされた形跡はありません。つまり、彼女はあの部屋で、顔見知りの人と一緒にいて、殺された可能性が高いのです。犯人とくつろいで、一緒にお酒を飲むことがあるでしょうか?」
それを聞いて、高木は事も無げに「その通り」と言った。
「山田さんは犯人じゃありませんよ。彼には犯行は不可能です。なぜなら、犯人は、彼女と親しい人間だからですな。信頼できる相手と一緒の時に、不意に殺害された。だから争った跡がなかったのです。半澤さん、あなたは彼女のフィアンセだ。蓮見女史の証言では、風呂の前にも部屋で二人っきりだったようですな」
半澤は「何を言っているんだ!」と怒鳴った。
「僕じゃない。僕が彼女を殺すわけないじゃないか。凉乃は僕の命よりも大切だったんだ」
「半澤さん、何か、フィアンセとトラブルはありませんでしたかな。例えば女性関係とか、あるいは金銭とか……」
半澤は「いい加減にしろ」と言って高木に銃を向ける。
高木は驚いて「ま、待て、話せばわかる」と後ずさりした。
いつの間にか、半澤の隣には氷室が立っていた。氷室は彼の背中に手をやさしく添えた。
「半澤様、高木様も悪気があった訳ではないと存じます。真犯人を明らかにしたいと思っての事でございましょう。どうかご容赦くださいませ」
半澤は「フンっ」と言って、銃口を下に向けた。
早乙女に着信があった。出ると剣崎刑事だった。
「係長、清野凉乃の父親と連絡がつきまして」
「そう、それで、どう?」
「それが、その、そんなはずはない、と言ってます……」
「当然よ、愛娘が殺されたんですもの」
「いえ、それが、そうじゃなく、何かの間違いだ、娘は死んではないと言っていまして」
「どういう事?」
「それが……、今、一緒にいるそうです。家族で北海道に来ているとか……」
「なんですって!」
「今日、飛行機で到着して、富良野を旅行中だと。電話での連絡なので、本当に彼女の父親かはどうか、まだ裏は取ってませんが、携帯番号は間違いありません。道警に確認を依頼中です」
「了解。分かったら、またよろしくね」
早乙女は電話を切った。
雨はまだ降っている。
屋敷の門のところで剣崎は二人のSAT隊員とすれ違った。一人が歩きながら剣崎の肩を叩いて声をかけた。
「早く戻って来い、みんな、待ってるからな」
「先輩、また狙撃のコーチしてくださいね」もう一人は愛嬌のある顔で言った。
剣崎は厳しい顔で二人の後ろ姿を見送った。
半澤は早乙女の話を聞くと、急いで携帯を取り出し、凉乃に電話をかけた。
彼は淡い期待を胸に、彼女の声を待ったが、聞こえてくるのは、いつまでたっても呼び出し音だけだった。