NecroRomans
第二章「 ネクロ幻想 」
-第一話「 NecroRomans 」
夜の街灯に蛾と蚊が集まる。本格的な蚊の季節はまだ先のはずだが、人間が大地から掘り起こす大量の二酸化炭素は、気温を上げ早めの蚊を呼び覚ましていた。いくらか間隔をあけて、いくつか立ち並ぶ明りたちは、しかしよく見ると途中から明りを灯していなかった。既に夜は降りてきた。その白い筒を光らせるべき頃合なのだが、いくつかのものはしんと静まり返っていた。壊れているのだろう。こうも同時に何本も壊れるのはあやしいものだが。しかし、人間というものは、何の気なしに歩いていると、こういう変化には気付かないものである。微細というほど目立たないものでもないのだが、意識しておかないと気付かないことは多々ある。そうして、今ここに帰宅途中の若い女性も、電灯たちのあやしい静まりに気付かなかったのである。ときにそれは命取りとなった。
「夜道は気をつけて歩かないと。危ないよお嬢さん」
渋く枯れた声は楽しそうに揺れていた。女性が何か言う前にその骨張った右手で口を覆い、空いた左手でぐっと腹の辺りを自分の方に引き寄せる。後ろから、真黒な服に身を包んだ男が女性を羽交い絞めにする。女性が逃げようと男の腕を引き離す前に、男は屈むようにして女性の首筋に顔をうずめた。すると突然、女性がはっと息を止めた。目を見開いて、その見開いていくのが時間と共にどんどん大きくなっていく。天を仰ぐように首を曲げて、その角度が時間と共にどんどん鋭くなっていく。男の腕を引き離そうと手にこめた力が、やはり、時間と共に強くなっていく。そして何より血の気がどんどん失せていく。数秒待たずして女性はかくんとうなだれた。体に力が入っていない女性を男は軽々と担ぎ上げた。女性の首筋に痛々しく、いや、不気味に赤い歯型が残っているが、不思議と血は出ていなかった。
少しはなれたところで、その光景をしかと目に焼き付けてしまった不幸な少女が一人。暗くて見えにくかったものの、その男の白い肌が一度目に付いた後、くっきりと何が行われているのかが見えるようになった。異様だった。早鐘のように打ち付ける心臓は、女性の首が垂れたところでさらに加速した。この世の音は全て自分の心音に変わってしまったかのようだ。骨張った手で自分の無い胸に触れなくとも、鼓動が聞こえる。少女はそのままその場を動けなくなってしまった。恐怖で手が震える。ある瞬間、恐怖はその体をその場に縛り付けておくことをやめた。だがそれは、少女と白い男の目線が交わったその瞬間だった。男は何かしら女性にした。それを少女は見てしまった。考えなくとも分かる。少女は自分が消されるだろうことを悟り、しかし、そのせいか、もんどりうつようにしてでもその脚を走らせることが出来たのだ。
数日経った後でも少女はそのことを覚えていた。忘れられるはずがないのだ。だが、誰にも言おうとはしなかった。誰も信じてくれないことも分かっていたし、そんなことをして何にもならないだろうと考えていたからだ。さらに数日後、その長い髪で覆われたか細い心の奥を、誰にも話すことなく、彼女は突然の事故でこの世を去った。
最近、奇妙な噂話が七城生の何割かの間に広まっている。奇妙、というよりは少し幼稚かもしれない。その噂話というのは、この町に幽霊が出るらしいということだ。そういう話がひっそりと流れ出していた。そしてそれは、由理のもとへもたどり着く。
「幽霊?」
六月一日。昼。そろそろ梅雨の時期に入るのだが、空はまさに空色をしていて、雨の気配など全く無い。近年の崩れた気候に反して、その日は暑くも寒くも無く、そして雲も綺麗な形で泳いでいるような、そんな天気のいい日だ。そんな天気のいい日に、奇妙な話題を振られた由理は一瞬怪訝な顔をした。
「そ。幽霊。この前の事故で死んじゃった子いるでしょ?その子が化けて出てくるんだって」
明るい声で、クラスメイトの上野が言う。どうせただの噂だと、話し種だと、そう思っているのは分かるし事実そうだろうが、不謹慎だとは思わないものだろうか。そんなことを由理はちらと考えた。
「で、化けてきて何かされたーっとかっていう人はいる?」
由理はあまり興味を持っていないのだが、聞いておいた。
「んとね。何かされたっていうのは無いらしいんだけど、見かけたって人がいるみたい」
見かけた。とはどういうことか。
「死んだはずの子を見かけたから、幽霊。ってこと?」
「そうゆうこと。それから何か薄いらしいよ。」
「薄い?透けてるってこと?」
「そうじゃなくて、色が、髪とか灰色してるんだって」
ふーん。幽霊。どうせ噂だろうからと、探してみようとか騒いでみようとかそういう気にはならなかった。ただ、その痛ましい事故なら知っている。知っているだけで、今まで何も思わなかったのだが、花でも供えてみようかなとふと思いついた。思いついたのなら、由理はすぐさま行動に移すことにした。父親からもらった財布はまだ分厚い。小さいものなら花束を買ってもどうということはなさそうだ。
学校が終わると、由理はすぐさま花束を買いに行った。そして、事故が起きたという例の街道へ来ていた。規則正しく並ぶ街路樹の向こう、新しいガラス張りの古本屋の前にいくつかの花束が置いてある。由理はそれを見つけて歩き出した。由理はこの事故のことをテレビか何かで報道されたものを見て知っていた。死んでしまったのが、由理と一つ違いの少女であるということも、誰かのいたずらが事故の原因であるということも。こういうことを聞くと悲しくなる。今、思い出しても同じことだ。これを適当な話の種にしてしまうのは、やはり、止めておいたほうがいい。また今度、友達が、噂話を持ちかけてくるなら、止めてしまおう。由理は心にそう決めた。
放課後の、まだ曖昧な時間には、通りを行く人も少なかった。特に、この時間帯は中高生の部活がある。由理も部活があるのだが、彼女のいる美術部は、他の部活と比べて特に自由な部活だった。サボっても何もとがめられることも無い、ただ、レベルが低いと言うことは無いという、そんな部活だ。ともかく、通りを行く人が少ないということは、人の特徴をとらえやすい、つまり目立つということだ。普段から目立つような人はより濃く目立つだろう。だから、花束が置いてある方から歩いてきたその灰色の髪を見た瞬間、由理は噂の事を思い出した。
「ちょっと待って」
ほとんど勢いで、声をかけてしまった。仕方が無い。その少女は話に聞くとおり、薄かったのだ。灰色の髪は染めているだろうとしか思えない。そしてその肌も雪のように白い。服はこの近くにある中学校のセーラーを着ている。それが、幽霊だという噂の根拠のようにも思えてきた。しかし、幽霊だとしたら話しかけていいものだろうか。そもそも勢いで声をかけてしまったのだが、一体どうすればいいのだろう。
「どうしたの?」
少女は背が小さく、由理を下から見上げるように問いかけた。よく見ると、灰色の髪は背の辺りまで伸ばされていて、そしてポニーテールになっているようだ。かわいい、と素直な感想を持ったが、そんなことは今どうでもいいことだ。一瞬そっちに揺らいだ思考を引き戻した。
「えーと、このあたりでこの前事故があったでしょ?それで死んじゃった子に、そっくりだったから」
さすがに幽霊か?などと単刀直入に聞くことは出来ない。事故に巻き込まれた子の容姿などは知るはずも無いが、幽霊だとしたら、そのままのはずだ。
「だから?」
「ちょっとびっくりしちゃった。最近、幽霊が出るなんて噂もあるしね」
必死に考えて、これだけの言葉を出した。もし少女が幽霊なら何かしらの反応があるはずだと由理は考える。だが、少女は一瞬目を開け閉じしてから、こう言った。
「えーと、それって私が幽霊ってこと?」
よくよく考えると、普通はこういう反応が返ってくるに違いない。由理は少し落胆した。
第二章、始動。
しかし、盆の時期にネクロて。一体何を考えているんだ私は。
ところで、新システムになると、ユーザブログみたいのができるそうですが、それができたら、この小説から後書きはざっくり削りますかね。
これ、もうほとんど短いブログですよね。