Third Arms = 桜庭夕季 -5
第一話
-その五
二直線が平行だったら、どれだけくるくる回っても交わらない。
現実とは非常である。
結局、桐得と夕季のマジック対決は、夕季の勝利に終わった。確かめたいものがあると言っていた桐得は、自分の見当違いだったと言い負けを認めた。夕季は別に大喜びするわけでもなく、当然だと言わんばかりの表情をしていたが、休み時間が終わって、観客がいなくなってからすぐに、眉間にしわを寄せていた。眉間にしわを寄せる理由はもちろん、目の前に座る明星桐得にあるわけで。このとき、桐得と夕季は同じことを考えていた。
こいつのことを知りたい、と。お互い、そう考えていた。それは、別に興味がでてきたわけではなかった。知らなければならないような気がしたのだ。お互い、超能力者だ。そして、今まで同じように超能力を持つ人間に合った事などなかった。だからこそ、超能力という概念を把握するためにも、少しでも情報が必要だ。その情報源が近くにあるなら、知らなければならないような気がしたのだ。
超能力という言葉は、桐得と夕季の二人にとって、最初の接点だった。二人は、同じクラスの人だとか、転校してきて一番最初に言葉を交わした七城生だとか、そういうものを接点としてかかわることは無かった。なぜなら、互いに自分の性格に合わない人間だと決め付けて、そうしてかかわることを止めてしまったからだ。だが、超能力というものは、そんな性格の合う合わないでつながりを止めてしまえるほど、安いものではなかったのだ。
桐得と夕季のちょっとしたマジック対決があって、その数日後のことだった。快晴とまではいかないが、いい感じに青空の広がる休日の昼ごろ。判戸町にはいくらか公園があるのだが、その一つ、広葉樹が涼しく気持ちのいい影を作って、静かなところ。木が邪魔だったりで、野球だとかサッカーだとかは他の公園でやるから、あまり小中学生には人気がないのだが、お年寄りや、ちょっと静かな場所で静かな午後を過ごしたいなんて人々にはうってつけの場所があった。そこに、若い男女が二人。若い男女。とはいっても、彼らは付き合っているわけでもないし、どちらかというと、まだ友達ですらなかったりする。
「この手紙、君のだよね?」
少年はベンチに座って足を組み、本を読んでいる。そこに向き合って立つ少女が、右手に紙切れをひらひらさせていた。あまり穏やかな雰囲気ではない。
「そうだ」
紙切れには今日の日と今の時間、そしてこの公園が指定されていて、話があると書かれていた。名前は無い。この手紙はマジック対決の日に桐得が夕季のかばんの中に滑り込ませておいたものだ。
「名前くらい書いておきなさいよ。キリエちゃん」
少女の背の中ほどまで伸びた長い髪が風にさらさらと揺れる。少女の口元がさらさらと嘲笑に歪む。キリエ少年は本を閉じて、少女の顔を見上げた。太陽が少女の真後ろにあるせいで、表情が読み取りずらいし、まぶしい。
「……相手から何かを得るときは、相手の機嫌を損なわないようにしろ」
「ここに呼び出したのは君でしょ。得ようとするのは君で、与えるのが私よ」
桐得にある超能力のこと。桐得が、今まで見たことがある他の超能力者のこと。情報を得ようとしているのは私も同じだけど、むかつくから表に出したくない。少女、もとい、夕季は結構、自分に素直に生きている。
「それは違う」
桐得は無表情だ。光に照らされた顔は、際立って白かった。
「お前は自分に身についた超能力について知りたいんだろう?それに、俺の信頼も勝ち取らなければならない。そうしなければ、お前が超能力者だと、言いふらされてしまうかもしれないからな」
夕季は苦い顔をした。
「言いふらしたとして、証明はできるの?」
「お前に、例のマジックをやらせればいい」
「なるほど」
夕季は眉間にしわを寄せ、手を腰にあてた姿勢で、はぁとため息をはいた。
「仕方ないわね。なら、私は何をすればいいのかしら?」
夕季がどんなに表情を変えようとも、やはり桐得は無表情のままで、夕季を見上げていた。
「とりあえず、お前の超能力について、話してもらおうかな。それがいつから使えるようになったのか、とかも」
つまり私が与える側じゃないの。夕季はもう一度ため息をはいた。
桜庭夕季が三本腕の少女になったのは、最近のことだ。親の仕事の都合で、判戸町へ引っ越してきたときのことだった。荷物の整理が終わって、さて、ちょっとこの町を探検してみようかと散歩に出かけることにしたのだ。おそらく、この新しい家の玄関を開け、新しい町への第一歩を踏み出したとき、いや、厳密には第一歩ではないのだが、そのとき、夕季も新しい人生への第一歩を踏み出したに違いない。
外に出て歩き出しても、最初は何も変わらかった。ただ、明るい太陽に照らされた、新しい町の景色に目を慣らしているだけだった。しかし、一歩一歩、足取りが重くなっていった。理由は分からないが、徐々に体中にさすような痛みが走る。苦しさが付きまとう。
徐々にその痛みや苦しみは増していく。まずい、そう思って、すぐに引き返そうとした。しかし、それはかなわなかった。体中の痛み苦しみだけではない。手足の動きが徐々に鈍くなってきた。道端で倒れるのは避けよう。ちょうど、公園もあることだし。そう考えてベンチに座った。平日夕方の公園には誰もいなかった。この時間帯だと、小中学生が遊んでいるような気もするけれど、忙しいのかしら。それとも単に今日はいないだけかしら。ベンチにもたれかかって、普通に座っているように見えるのだが、手足が動かなかった。苦しくて、声をあげそうになった。なぜ私が、こんな目に。この痛み苦しみの原因に心当たりはまったく無かった。
どんどん苦しくなっていく。息が荒い。声をあげそうになったのなら、それはつまりしゃべることくらいはできるということか。誰かに助けを求めるための希望は、ジーンズの右ポケットに入っている。だが、それを取り出すことも、電話をかけることも、それを耳元まで持ち上げることも、できない。
こんな状況にあっても、夕季の心には絶望だとかそういうのは無かった。苦しくてそれどころでは無かったというのもあるかもしれないが、とにかく夕季は体がまったく動かないことを十二分に理解していたし、そして今の状況のヤバさというのも理解していた。だが、何となく冷静でいられた。彼女がその冷静さを失いそうになったのは、次に起こったことが原因だった。
彼女の両腕はひざの上で腕組みのような状態で固まっていた。なのに、夕季は携帯を取り出して、目の前に持っていた。携帯を持つ腕は、誰か別人のものではない、自分のものらしい。おかしなことに、右腕の肘からするりと別の腕が出てきているのだが、自分のものであるらしい。何、これ。それしかでてこなかった。今、自分自身の体に何が起こっているのか、理解が追いつかない。両腕は膝の上にちゃんとある。だが、別の腕が、つまり、三番目の腕が、携帯を持ち上げていた。
驚愕して、しばらく夕季は固まっていた。目を見開いて、半口をぽかんと開けて。しばらくして思考を取り戻したとき、全身を貫くような痛みや苦しみが、無くなっている事に気づいた。両手両足は元通りちゃんと動くようになっている。幻覚だったのか?いや、そんなことは無い。目の前にある三本目の腕はちゃんと存在しているように見えるし、触っても、確かに普通の腕としての感触がある。全身の痛みは無くなったということは。誰かに連絡する必要は無くなったことに気づくと、携帯をポケットに戻そうと思った。そして、夕季は、三番目の新しい腕を普通に使って携帯をポケットに戻した。
驚いた。自分の意思で動かせる、ということくらいなら何となく予想していたけれど、生まれたときからそこにあるかのように動かせた。そして、三番目の腕はするすると引っ込んでいく。引っ込んでいく先は右腕の肘。生えてきている場所に戻っていって、そして消えた。肘に穴が開いているというわけでもない。いたって正常だ。
「その後、家に帰って、普通の生活に戻ったんだけど。次の日、一応、三番目の腕のことを思い出して、試してみたわけよ。心の中で、三番目の腕を使うと思ったら、体の表面からするすると腕がでてきたの。驚いたわ。昨日のことはやっぱり幻覚では無かったってね」
夕季は、桐得のとなりに座っていた。二人の間にある三十センチほどの距離が生々しい。二人の心の距離を表しているようだ。もちろん、それが近いのか遠いのかは、今までのやり取りを見てもらえれば分かるだろう。
夕季の表情は苦々しい表情ではなくなっていた。明るい顔でも無かったが。対して、桐得の方はやはり無表情のままだった。
「それで、その痛みとやらの前に、何か無かったのか?」
「無かったわ。覚えていないだけかもしれないけどね」
桐得は下を向いた。顎に手を当てて、何かを考えているらしい。しばらくして、再び顔を上げた。
「仕方が無い。じゃあ、次だ。お前の能力について説明してくれ」
「はいはい」
「 三番目の腕 」
1.自分の体の表面からであれば、どこからでも出現させることができる。
2.皮膚と腕の間には少し隙間があるので、服を着ていても大丈夫。
3.腕が出てきたところ―支点と呼ぶことにしている―をずらすことはできない。
4.腕をしまうときは、支点のところまでするすると戻っていく。どこに消えるのかは知らない。
5.腕といっても、手首から肘までというわけではなく。手から、肩のちょっと前まである。肩自体は無い。
「こんなところかしら」
「ふーん」
桐得はあまり興味が無かったらしい。
「さて、それじゃ、俺は帰る」
そう言って、桐得はたった。左手に本を持って。夕季は座っているところしか見ていないからか、今になって桐得の背が低いことに気づいた。しかし、そんなことはどうでもいい。適当に忘れたふりをして帰られても困る。
「ちょっと待って。私は君に聞かれたことを答えたんだから、次は私の番よ。ギブアンドテイクって言葉くらい知ってるわよね」
夕季も立ち上がって、桐得の前に立ちふさがる。その顔は別に怒っているわけではなさそうだ。
「ああ、そのことなら、成立しているさ。お前は俺の信頼を得て、俺はお前のことを知った」
「はあ?」
夕季の顔が曇る。
「だが、ギブアンドテイクというものは、等価交換だ。お互いにとって価値が同じものを交換しなければならない。俺にとってお前の話はあまり価値の無いものだったな」
「何を言ってるの?」
「お前をこき使わせてもらう。そうすれば等価交換は成立する」
初めて桐得が笑いを浮かべた。口の端をゆがめて、嘲笑とまではいかないが、そういうニュアンスを含んだ笑みだ。対して、夕季の方は怒りで眉間にしわができたりできなかったり、ピクピクしている。
「それのどこが等価交換なの?さっさと、あんたのことを話しなさいよ」
ふっと桐得は笑った。
「言っている意味をちゃんと理解できてないらしいな。ギブアンドテイクだとか等価交換だとかは既に、物事の表面でしかない。本質は、ただの脅しだ」
脅し。そういえば最初から脅しだった。しかし、それは、ただの冗談のように聞こえていたのだが。夕季は怒りを爆発させた。最初から嫌な奴だと思っていたが、本当にそうだった。
「脅されて言うとおりにすると思ってんの?馬鹿じゃないの。帰るわ」
吐き捨てるように言って、きびすを返した。そのまま足早に公園を去ろうとした。そのとき、桐得がある程度大声で後ろから呼びかけてきた。
「例えば、ここに三本腕の人間がいたとする。その人間は純粋に腕が三本あるだけだ。消えたり出てきたりすることはない、純粋な三本腕だ。その人間は、おそらくマスコミやらからいろいろと取材を受けたり、レントゲンだとかを取ったり、DNAを採取されたりして、調べられるだろう。また、その三本腕故にいろいろと迫害を受けたりもするだろう」
夕季の足がぴたりと止まった。桐得は言いながら近づいてきた。そして、今度は夕季にだけ聞こえるような声で後ろからささやく。
「だが、それがただの三本腕ではなく超能力だったとしたら、もっと酷いだろうな。DNAの採取だけではない。今度は物理学者や、そういったものまで出てくるだろう。そして、お前は実験台にされる。人間からモルモットに格下げだ」
夕季は振り返ることはしなかったが、歩き出すこともしなかった。
「もし、モルモットがいいならこのまま家に帰るといい。それが嫌なら、……そうだな、メアドでも教えてもらおうかな。こき使うには、やはり、いつでも連絡が取れるほうがいい」
この男、本気でやりかねない。私がもしこいつの申し出を断れば、本当に私はモルモットになってしまう気がする。夕季には、選択肢は無かった。この休日が終われば、学校で桐得にパシリにされる。そう考えると、かなり憂鬱な気分になった。
さて、彼らの運命はようやく動き出す。彼らのこれからたどる運命の道、細い線は、交差して、もつれ合い、やがて一つの結末へとたどり着くはずだ。それが一体どんなものなのかは分からないが、しかし、この物語は幕を開けたのだ。始まってしまったものは、終わりが来るまで、誰にも止められない。
というわけで第一部第一章の第一話完。
きつい関係ですね。お二人さん。
主である明星桐得と、奴隷である桜庭夕季さん。そんな感じの関係ですね。
うわー酷い。ドロドロです。そういえば、JOJO6部の最初の方って、ホワイトスネイクさんもドロドロでしたね。あ、関係ないですね。すいません。