Third Arms = 桜庭夕季 -2
第一話
-その二
他県からの転校生。ようするにこの判戸町の新入りである。
どこにでもあるような二階建ての一軒屋から芳しい匂いがする。太陽も日本での仕事を終えて、ちょうどヨーロッパあたりを回っている頃だろう。日本人が、夕食を食べるのは、だいたいこの時間帯だ。この一軒屋の家族も同じく夕食らしい。家族、といっても二人なのだが、その二人は、その日の夕食として、鉄板の上で、今にもよだれがでそうな音と匂いと共に焼けている肉を突っついている。
机の上の鉄板をはさむような形で、二人が向かい合って座っている。一人は旅館とかによくあるラフな浴衣を着た男性。その和服の用途は見た目どおりに寝巻きだ。なぜ浴衣なのかと聞くと、和風が好きだからという単純明快な理由が返ってくる。もう一人は、パジャマ姿の女子。一方が和風だからって、他方も和風というわけではなかった。彼らは、肉を食べつつ、楽しそうに言葉のキャッチボールをしていた。
「ところで、運命ってもんをお前は信じるか?」
ふと、男のほうが変化球を投げた。
「んー、たぶん、信じない」
「そうか。俺は信じている。信じたくは無いんだが、どうにも信じるしかないみたいなんでな」
何か電波みたいなことを言っているな。男はそう思いつつも続けていた。
「どうして、いきなりそんなことを?」
「何かが始まるような気がするんだ」
男は遠くを見るような目をしている。している、というよりわざとらしく、そういう表情を作っている。
「何かって?」
「知らん」
少女は呆れたというようにため息をついた。男と同じようなわざとらしさで。そしてすぐに、クスクと笑った。男のほうは鉄板の上の肉を箸でつまんでひっくり返した。なんか焦げっぽい。もうちょっと気をつけるべきか。
「たぶんアレだ。桜はもう散ってずいぶんになるが、まだ春っちゃ春だ。そしてここにはそれに似合う年の美人がいるわけだし……。そう、つまりお前に何か運命的な出会いがあるんじゃあないかと、思ってだな」
「ないよ」
「ある。あってくれなきゃあ困るぜ」
「なんで?」
片面が焼けすぎたために肉が反り返っている。これじゃあ、反対側が焼けないために、箸でジューっと押さえつける。そんな動作を繰り返しつつ、男は適当に考えてから言った。
「たぶんアレだ。高校生の恋愛だとかを題材にした小説を書くんだろう」
そんな手榴弾みたいな言葉を投げつけた。その後、箸でいじめてた肉がどうも焼けたらしく、それをタレにつけて口に放り込んだ。割といい肉のはずなんだけど、焦げっぽいな。しょんぼりだ。小説を書くなんて言っておきながら、頭の中は今放り込んだ肉のことを二割と、残りの八割は何も考えていなかった。手榴弾を投げつけられた少女も微笑から笑いのレベルを一段階上げて声にして笑った。
「お父さん、止めてよ。読めないような話にしかならないよ」
「いいや、ちゃあんとしたものになるさ。余計な部分は見ない聞かない関わらないからな。というか、お前はどんな恋愛を体験するつもりなんだよ」
笑いながらまた鉄板に肉をのせる。のせながら少女は考えていた。運命という言葉について。運命を自分が信じるか信じないかについて。そういえばお父さんは信じるって言っていたけど、どういう意味だろう?信じるしかないらしいってどういう意味だろう?でもたまに、というかよく、変なことを言う人だから、理由を聞くのはやめた。親の遺伝子を色濃く受け継ぎ、変に育った娘のことも放っておいてくれる父親だもの、同じように放っておいてあげるべし。
ところで、このとき、この少女には運命の出会いとやらについて、何となくだが心当たりがあった。自分の通う高校に転校生が来るという話しがあったからだ。だが、話を聞いていると、どうも男らしい。男というのなら、おそらく、彼女にとっては、運命の出会いとは呼べないものになるだろう。なぜ?理由は運命が明らかにしてくれるだろ。
高峰由理は数日前のことを思い出していた。焼肉を食べていたら、父親がいきなり運命を信じるかと言ってきたことだ。あの時は、また変なことを言い出したとだけ思っていたのだが、どうしようか、彼女自身も信じたくなってきていた。
転校してきたのは男みたいな名前だが、女だった。それも誰もが認める美少女だ。ストレートの黒髪を腰の辺りまで伸ばし、白い綺麗な肌をしていて、スタイルもいい、身長は160cmほどだ。男だと思っていたのにこんな美少女だったとは。こんな言葉がクラスメイト全員に浮かんでいたのはほぼ間違いない。
美少女の席は窓際の一番後ろの席。つまり今まで一番端っこだった明星桐得の席の一つ後ろとなる。みなの予想を裏切ってあらわれた美少女にクラス中の視線が集まる。ついでに、その美少女に一番話しかけやすく話しかけられやすい位置にいた桐得にも、ちょっとした嫉妬の目が集まる。どういうわけだか、その中に由理も混ざっていた。そんな軽い嫉妬を受ける当の桐得自身は、少女が自己紹介をしはじめたくらいのときは、顔もその方向に向けて聞いていたのだが、すぐに興味を無くしたらしく、机に肘をついて、その上に頭を乗せ、前の席の生徒の背中をぼけーっと注視する作業を開始していた。いや、もしかしたら本当は興味があるのかもしれないが、無表情の桐得の心理を読み取ろうとするなど愚の骨頂だった。
桐得の後ろで椅子を引く音が聞こえた。その音が終わると同時に、教壇に立つ教師がちょっとした連絡事項なんかを話し始める。とりあえずまだホームルームだった。だが、桐得が姿勢を保ったまま教師の話を聞こうと顔を向けたとき、後ろからつんつんとつつかれた。つつかれたら仕方ないので、振り向いた。
「よろしくね」
少女が人懐っこい笑みを浮かべていた。少女?あー、名前は何だったか。思い出すまでも無かった。さっき聞いたばかりだ。俺だって、一応、名前くらいはちゃんと聞いている。桐得は少女、桜庭夕季に向かって夕季と同じような調子で「よろしく」と言った。声の調子こそ友好的な雰囲気があるものの、無表情だ。夕季は笑顔を消して、桐得のことをまじまじと見つめた後、
「あれ?私のこと気に入らない?」
夕季はキョトンとした表情になった。頭にクエスチョンマークでも浮かんでいそうだ。
「どういう意味だ?」
「だって、……無表情じゃない」
「元からこういう顔だ」
もうちょっとマシな答えは無いのかしら。夕季は心の中で毒づいた。その後、今度は額に手を当てて、いかにも呆れてますというような顔を作ってため息をついた。無表情のままの桐得に対して、夕季の表情はころころ変わる。桐得は目の前の無表情に対して、面倒な人間だなと思い始めていた。
「そんなんじゃあ、嫌われちゃうわ。友達いる?」
桐得の表情は依然無表情だったが、声の機嫌が少し悪くなった。
「いる。初対面の人間にそんな心配はされたくないぞ」
「そう、余計なお世話だったみたいね。ごめんなさい」
夕季は、額に触れていた細く真っ白な指を下ろして、桐得と目を合せて、軽く謝った。気のない挨拶なのは誰が聞いても分かるだろう。ちょうどそのとき、教師の顔がこっちを向いた。微妙な表情だ。
「桜庭さん。転校してきて早々、友達を作るのはいいけれど、転校してきて早々、先生の話を聞かないのはよろしくない」
「すみません」
桐得と夕季の声がはもった。何だこいつ、とお互いに思っていたのだが、口には出さないし、表情にも出さなかった。夕季はそのまま教師のほうに顔を向け、桐得は体を前に向ける。夕季と桐得、二人はお互いに、相手に対して同じ印象を持っていた。同じことを考えていた。面倒くさい奴だと。何か必要性が無い限り、口を聞くこともあんまり無いだろうなと。
ところで、この七城高校の第一学年に五月病というものはでてこなかった。理由は二つある。一つ目の理由は、彼らが第一学年の生徒であるということ。二つ目の理由は、たぶんこちらが本命だが、今しがた、いつも無表情な男子生徒、明星桐得と話していた美少女転校生のことで結構だるさを忘れることができたからということだ。ホームルームと一限目の間には十分程度の休みがある。その時間に、窓際一番後ろの席にはクラスの生徒の半分、主に女子が集まっていた。美少女というくらいだから男子も集まりそうなものだが、そんなに集まらないのは、既に彼女がいるだとか、恋愛ごとが苦手だとか、そういうのが多いからだ。それに、この一年B組には、既に、美少女と呼べる人間が三人も居た。一人増えようとあんまり変わらないのかもしれない。
桐得は後ろの席が当然のようにうるさくなりそうだったので、退避することにした。転校生への質問攻めとそれに対する受け答えに、最初はちょっとだけ興味があったのだが、しかし、転校生に対して抱く感情は、面倒くさそうな人だというところで尽きていた。興味が尽きたら、朝、思い浮かべていたことが復活した。今朝テレビで見た事件。ちょっとした奇妙さは桐得に、ちょっとした不安を植えつける。不安。それは小さすぎて、彼自身も自覚してはいないようだ。しかし、微細な変化であるが、その後の一限目の授業で珍しく机に肘を突いていなかったのは、その表情に眠気のような影が無かったのも、その不安があらわれ出たものなのかもしれない。窓際だし、いつものように空を覗くと、空模様は桐得の心の色よりも、転校生に浮かれる奴らのほうを優先したようで、きれいさっぱりに晴れ渡っていた。雲ひとつ無く。
第一印象が悪い、というのは恋愛がからんでくる小説なんかにおいて、一番分かりやすいフラグ?だと思います。こいつとこいつがくっつくっていうフラグ。
ただ、この物語において、そんなものは通用しません。そもそも、主人公は七人です。主人公=桐得、ヒロイン=夕季っぽいですが、そのうち、桐得の出番が少なくなる時期がきたりします。だって、全員まんべんなく目立ちますからね?主人公は。