38.栄養失調の少年
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エステルスーン辺境伯のご嫡男、グレーデン様に案内していただき、城から渡り廊下で繋がった罪人や捕虜を収容する建物へ向かう。
建物の中は仄暗く寒かった。牢部屋は、鉄格子とむき出しのレンガ壁で区切られている。捕虜となった多くの北方の少数民族が十人から二十人ほどに分けられ収容されていた。
収容されている民族は、隼の羽根を耳飾りにしているファルコンウイング族、男性でも髪が腰まで長く一つに纏めているデイデトラル族、目の下が赤い染料で縁取りされたキャノピー族など見ただけで幾つかの民族がいる事が分かった。
その幾つかある牢部屋の中の一つに案内された。そこは昨日、窓から見えていたあの荷台に載せられて、捕虜として連れられて来た人達が収容されている部屋だった。
「診て頂きたいのは、この少年です。」
この牢部屋の人達は皆、隼の羽根の耳飾りをしている。ファルコンウイング族だ。その中で一人だけ、毛布に包まれ大人の男性に抱えられた少年がいた。痩せていて顔色が悪く、虚ろな目をしていて呼吸が浅い。
「怪我などは無いようですけど、病気かしら?」
エリーの問いに、グレーデン様が難しい顔をした。
「病気と言うより・・・。
恐らくこの少年は、何日もまともな物を食していないのだと思います。そしてここまで衰弱したのだと・・・。」
栄養失調による衰弱だと知り、わたし達は言葉を失った。寒波による飢饉が原因だから、誰が悪いと言う訳では無いのは充分理解している。だからと言って略奪のために村を襲うのは良くない。でも目の前の少年が餓死してしまうのは嫌だ。やり場の無い悔しさが込み上げて来る。
「マリー、脈を計って。」
「はい。」
わたしが少年の手を取ると、その細く小さな手から何かがぽとりと落ちた。拾い上げてみれば、それは石を投げる時に使うスリングという武器だった。こんな子供まで食糧のために命を賭けて戦いに来たのかと思うとやりきれない。
「脈が弱過ぎです。しかも心拍数も健康な人の半分です。」
残念ながら、栄養失調は聖女の治癒では治らない。もともとの生命力が足りないからだ。寿命が尽きようとしている老人に聖女の治癒が効かないのと一緒だ。
「諦めたくはないわ。」
「わたしも同じ気持ちです。先ずは食事にパン粥を与えて、それと同時に内臓の働きを助けるために聖女の治癒を施してみるのはどうでしょうか?」
「良い考えね。そうしましょう。グレーデン殿、パン粥の手配をお願いします。スプーンで流し込められる位にとろとろにしたものを。」
「分かりました。直ぐに手配を。」
「それと・・・。」
エリーは何かを言いかけて他の捕虜達を見渡した。わたしも同じように他の捕虜達に目を向けると、命に関わる怪我ではないものの酷い傷を負った者が多く、ポーションを与えられてない様だった。
「他の者達にはポーションを与えなかったのかしら?」
「はい。この度の北方の者達の襲来は例年以上に酷く、村人達に優先的に使っていたら底を突いてしまいました。」
「薬師がいるのでしょう?直ぐにポーション調合できないのですか?」
「はい。実は王都で開かれている『ポーションの使用期限が長くなるための講習会』へ行っておりまして。事前に多くのポーションを調合しておいたのですが、予想を上回る使用量になってしまったのです。」
あ・・・。リカルド様がわたしとの約束を守ってくれてる。リカルド様が商会を立ち上げる時に、わたしが教えた熱湯浄化の方法を他の薬師にも公開する約束を覚えてくれていたのね。
ここはわたしが一肌脱ぐ時だ。
「わたしがポーションを調合しましょう。」
「・・・調合ができるのですか?」
「マリーのポーションの調合技術は確かです。私が保証しましょう。」
グレーデン様はわたしがポーションを調合できる事に驚いた様子だったが、エリーの言葉で信用したらしく、後でポーション工房へ案内してもらう事になった。
そうこう話しているうちにパン粥が運ばれて来た。
わたしが少年の口にゆっくりと、一匙ずつパン粥を流し込む。ゆっくりと、ゆっくりと。
少年は薄く口を開き、パン粥を迎え入れるとむにむにと僅かに口を動かした。
皿の半分ほど食した当たりで少年は口を開けようとしなかった。むしろ拒否している様にも見えたので、これ以上は無理矢理食べさせるのは止めた。
ここでエリーが聖女の治癒を施すため手を組んだ。わたしも少年を包んでいる毛布の上に手を置き、早く良くなる事を願う。
「我らが唯一神で在らせられる女神
セディア神よ
我は御前で忠誠を誓う者なり
この清く穢れなき魂を以て祈り奉る我に
神の加護と治癒の御力を賜らん」
エリーの手がぽわっと淡く光り出し、その手を腹部へかざす。胃の辺りに、肝臓の辺りに、そして腸の辺りへと。
すると少年の血色が少し良くなったようだ。ここでエリーは治癒を止め、わたしは再度パン粥を少年の口へ運ぶ。すると少年は先ほどよりも力強くパン粥を飲み込んだ。
結局、少年は一皿分のパン粥を食べ切る事が出来た。




