36.村人の治癒
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わたし達が王都を出発した時には、穏やかに晴れ渡っていた空も、エステルスーン城にたどり着く頃にはどんよりとした雲に覆われていた。
エステルスーン城は国境からそう遠く無い場所に建っている。周辺は石や乾いた土が多く、丈の低い草とまばらに針葉樹が生えている程度の寂しいところだった。そんな場所に突如現れたその城は、堅牢な佇まいで軍事基地といった様相を呈していた。
「遠路はるばるようこそいらっしゃいました。『ナディールの大聖女』様にお越し頂きまして大変感謝しております。」
「出迎え感謝しますわ、エステルスーン辺境伯。私に『ナディールの大聖女』は過ぎた名ですわ。」
出迎えてくれたのは、この城の城主でもあるシュナイダー・エステルスーン辺境伯。日焼けなのか肌は浅黒く、立派な口髭を蓄え、笑うと目尻の皺が深く刻まれ、朗らかさと親しみを感じさせる壮年の男性だった。
「その謙虚な姿勢がそう呼ばれる所以なのでしょう───。」
そう言うと、先ほどまで穏やかに微笑んでいたエステルスーン辺境伯が、表情を堅くするとおもむろに跪いた。
急な態度の変わり様にちょっと驚きはしたけど、それだけ切迫している何かがあるのだと思った。
「到着早々、お願いがございます。略奪にあった村の者で、食糧倉庫の番をしていた若者が襲われました。頭部を殴打され意識不明の重体なのです。医師には今日が峠だと言われました。村の者にとっては貴重な若い男手なのです。是非、お力をお借り出来ればと・・・。」
一人の領民のために頭を下げるなんて、いかに領民を大切になさるのかが分かった。辺境の小さな村の民に対しても本気で助けたいと思っているのが感じられた。
「分かりました。辺境伯の領民を思いやるお気持ちに感銘を受けました。辺境伯の期待にどこまで応えられるか分かりませんが、一度怪我の状態を見せていただけるかしら?」
「王女殿下のご温情に感謝します。早速ご案内いたします。」
エステルスーン辺境伯は跪いたまま深々と頭を下げると、立ち上がり踵を返した。
エステルスーン辺境伯の後を付いて行くと、城内は『城』と言うより『軍事基地』といった様子で、花や絵画などの装飾は無い。その代わりに武器や鎧が展示されていて、廊下の角にはトナカイや狼の剥製が置かれていた。
すれ違う男性は皆剣や槍を身につけていて、革の鎧を纏っていた。下級兵士が使用人業務を兼ねるらしくシーツの束を抱えた兵士が通り過ぎるのが見えた。女性の使用人もいるのが見えるけど、どこかの村の娘と言った感じで、貴族に対応する教育を受けた感じはしなかった。
エステルスーン辺境伯が案内してくれたのは、村人の一時避難場所として解放している幾つかの部屋の内の一つだった。
その部屋にはソファ、簡易ベッド、ベンチなどの体を休ませる家具が運び込まれ、三十名ほどの避難してきた村人が身を寄せていた。
老人もいるし、子供もいる。怪我人も何人かいるらしく包帯を巻いた者も何人か見受けられた。
その村人達の真ん中の簡易ベッドでは、頭に包帯を巻いた若い男性が寝ていた。傍らには、奥さんだろうか?赤ちゃんを抱きながら不安そうに男性を見つめる若い女性がいた。
「こちらです。」
エステルスーン辺境伯がわたし達を案内する声に、村人達が気が付き一斉に振り向いた。その中で頭を殴打された男性の家族が立ち上がった。
「領主様・・・。どうか、どうかお力をお貸し下さい。息子は嫁を貰って子が産まれたばかりなのです。まだまだこれからだと言う時に・・・。」
頭を殴打された男性の父親が、泣きながら頭を下げている。愛する息子の為に、必死に頼み込む姿に胸が締め付けられた。
「落ち着きなさい。『ナディールの大聖女』と名高いナディール王国の王女殿下が王都からいらしてくれたのだ。
早速診て頂くから、そこを空けなさい。」
頭を下げていた父親は、驚いた様子で顔を上げた。周りの村人達も驚き、口々に「本当に?」「王女様が?」「夢のようだ。」と呟く。
「しっ、しかしっ、わしらには、献金なんてとても用意できません。」
一瞬期待した父親は、再び悲しそうに目を伏せた。
「私は国のため、延いては国民のために聖女活動をしています。そのため献金は一切受け取っていません。安心なさい。さあ、怪我人を見せなさい。」
エリーは鷹揚に、そして諭す様に言った。
そう言われて、ようやく頭を殴打された男性の父親と母親、そして赤ちゃんを抱いた奥さんが、頭を低くしながら後ろへ下がった。
わたし達は急ぎエプロンドレスを着ると、ポーションを取りやすい位置に用意する。
「マリー、包帯を取って。」
「はい。」
「ポーションはある?」
「大丈夫です。」
男性の頭に巻き付けられた包帯を取ると、湿布の効果のある薬草が貼られていた。それと外用ポーションを使ったのか、傷口は塞がれてはいたが、毛髪が削られるように禿げていて、その部分だけ頭皮がむき出しになっていた。
しかしよく見ると傷口のあった頭蓋骨の右後部が陥没しているように見えた。
「これは・・・脳挫傷のようね。」
「そのようですね。この状態でポーションを無理やり飲ませるのは危険です。」
意識不明の者に無理やりポーションを飲ませるのは、窒息させてしまう危険があるため決して飲ませてはいけないと教わった。
そうなると、エリーの治癒の能力に頼る事になってしまうから、聖力の枯渇は免れないと思う。
「エリー、先ずは脳の損傷だけを治癒しましょう。それで患者が意識を戻したら、頭蓋骨の骨折の為に骨継ぎポーションを処方しましょう。」
「そうね。それが良さそうね。」
エリーはわたしの意見に同意すると、手を組み祈りの言葉を唱え始めた。
「我らが唯一神で在らせられる女神
セディア神よ
我は御前で忠誠を誓う者なり
この清く穢れなき魂を以て祈り奉る我に
神の加護と治癒の御力を賜らん」
エリーの手がぽわっと淡く光り出した。そしてその手を患部にかざす。平民は聖女の能力を見た事がないから、初めて見る治癒の能力にどよめいている。ふふふ、エリーってほんと凄いのよ。
わたしは患者の頭を支え、脳挫傷よ治れ!エリー頑張れ!と心の中で応援する。
見た目ではあまり分からないから、脳挫傷が治癒されて、頭蓋骨の陥没が治癒され始めたところでストップをかけるために神経を集中させる。
────よし!今だ!
「エリー!ストップ!」
治癒を終えたエリーが、体ごとわたしの方にフラーッと傾きだした。やはり聖力の枯渇は逃れられないようだ。わたしがエリーの体を支えようとしたら、スッと手が伸びエリーの体を奪う様に抱きかかえる者がいる。
─────護衛騎士のケビンだ。
わたしはちょっとムッとした。ケビンはエリーと乳兄弟ということもあってか、わたしとエリーの間を割って入る事が多々ある。
ふんっ。乳兄弟として幼い頃は一緒にいたかも知れないけど、こっちは共に学び、共に成長し、時に友として支え合う『学友』として九年ずっと一緒にいたんだ。最高で完璧なわたし達の間に割って入ろうだなんて烏滸がましいわ!
と、ケビンに対する対抗意識が一瞬だけ湧いたが、今大切なのは目の前の患者だ。エリーの事はケビンに任せて、わたしは患者の様子を見る。
まだ意識が戻らない様だが、しばらくすると目を覚ますと思う。わたしは治癒力増強ポーションと、骨継ぎポーションを手に取ると、患者の父親へ差し出した。
「これで脳の損傷は治癒されました。
しかし頭の骨の陥没はまだ治ってません。
患者の意識が戻ったら、まずこちらの骨継ぎポーションを飲ませて下さい。
そして二時間以上の時間を空けてこちらの治癒力増強ポーションを飲ませて下さい。
それで安静にしていれば大丈夫だと思いますが、何か不調があれば遠慮なく呼んで下さい。」
「あ、あ、ありがとうございます。聖女の治癒を施して頂いたばかりでなく、ポ、ポーションまで・・・。なんて感謝していいやら・・・。」
患者の父親は手を震わせながら、二本のポーションを受け取った。
「あ、ありがとうございます。本当にありがとうございます。この人に何かあったら、乳飲み子を抱えてどうやって生きて行こうかと・・・。」
赤ちゃんを抱いていた奥さんも涙で声を震わせながら頭を下げている。
「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます・・・・。」
患者の家族が、何度も何度もお礼を繰り返しした。
わたし達はエリーを早く休ませる為にも急ぎ部屋を出たのだが、扉を閉めた瞬間、扉の向こうでわっと大きな歓声が上がるのが聞こえた。
わたしは思わずびくっとなって驚いたが、ケビンの腕の中にいるエリーは、少しだけ口角を引き上げて微笑んでいた。




