175.交渉
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会議から二日経ち、今日はパシク孤児院を手に入れるためハーパーベル伯爵家へ出向く。
昨日は四カ国目となる最後の王と王妃に『守りの祝福』を授けた後、マンゴージュースの移動販売や真珠養殖事業に必要な備品の注文や、決裁書類の処理などのデスクワークをした。
ドニミクをパシク孤児院へ遣り、テレサ院長とマリンを交えて子供達への仕事の内容や、報酬についての説明、既に成人している者達との労働契約も順調に進んでいる。
そしてケビンからデニス・ハーパーベル伯爵の人物像について報告があった。
マリンの父デニスは、やはりお金が好きな男だった。
実際はお金が好きと言うより、ブランド好き、遊び好き、流行り物好き、ステータスが好きという必然的にお金がかかるものばかりが好きだった。
お金で孤児院と孤児院の建物と土地を手に入れられたらそれでいいんだけど、交渉で変に渋られたり意固地になられたりしたら厄介だ。
多めにお金を積んで速やかに契約書にサインをさせる方法で行くしかない。
先触れと一緒に転移水晶もハーパーベル家へ行っている。
わたしとボルトン神殿長、スーザン、護衛のシャルロッテとグローリア、そして金貨をたくさん詰め込んだ白い箱を持った白神官を連れて、総勢六人でハーパーベル城へと転移した。
転移先の玄関ホールには、当主のデニスを筆頭に夫人のイザベラ、次女のチェルシーが並び家宰や執事、侍女や侍従、そして使用人に至るまでが一堂に会してズラリと跪いていた。
そこには当然のようにマリンはいなくて、この家がマリンをどう扱っているのかが垣間見えた。
「本日はハーパーベル伯爵家へお越し下さいましてありがとうございます。
私がハーパーベル伯爵家当主、デニス・ハーパーベルでございます。
そしてこちらが妻のイザベラ、そして娘のチェルシーでございます。
大聖女様にお目見え致しましたこと恐悦至極に存じます。」
そう恭しく挨拶をする中年の男、デニスは燃えるような赤毛とブラウンの瞳、すらりとした体躯をした舞台俳優のような彫りの深い顔立ちの美丈夫だった。
その隣に控える派手なドレスを身に纏ったイザベラとチェルシーも瞳の色は明るいブラウンであるものの赤毛の持ち主で、クリーミーベージュの髪に榛色の瞳を持つマリンとは異なる色彩だった。
「わたしがマリエッタ・シューツエントです。急な訪問に応じて頂き感謝します。」
わたしは淑女の礼などせず鷹揚に返す。スーザンと神殿長も挨拶を返すと応接室へと案内された。
応接室では上座の二人掛けのソファーにわたしとスーザンが座り、後ろに護衛の二人と白神官が控え、左手の一人掛けのソファーにボルトン神殿長、わたしの向かい側には当主のデニス・ハーパーベル伯爵が座り、ハーパーベル伯爵の後ろには家宰が控えていた。
使用人がアイスティーを出してくれている間、ボルトン神殿長とハーパーベル伯爵は以前から面識があったらしく、「久しぶりですな」「以前お会いしたのは娘の成人の儀の時でございます」ととりとめのない会話をしていた。
ハーパーベル伯爵はわたしのことが気になるらしく、落ち着かない様子で時折こちらへ視線を投げかけていた。
あらかじめ“相談したいことがある”と手紙に書いておいたので、どんな用件なのか不安なんだと思う。
「本日ハーパーベル伯爵にご相談したいことがありまして、こちらへお邪魔いたしました。」
「ええ、私でお応えできることでしたら何なりと。」
話を切り出したのはスーザン。
ハーパーベル伯爵は余裕の笑みを浮かべているがどこか身構えた感じが隠せないでいる。
「実は最近、大聖女様が孤児院運営に関心をお持ちになりまして・・・。」
「孤児院?!ですか・・・。」
こくりと一つ頷くわたし。
ハーパーベル伯爵にとって意表を突かれたようで、返ってきた声は少し拍子抜けしたような感じだった。
孤児院は、教団が設立して管理運営するものも数多くあるけど、その全ては神殿と併設されていて、運営費は信者の献金で賄われている。
それがわざわざ大聖女が個人的に運営するとなると大聖女の気まぐれや興味本位でのことだと思われたかも知れない。
「ええ。ハーパーベル領で管理運営されているパシク孤児院を大聖女様がいたく気に入りまして。是非とも大聖女直轄と致したく譲っていただきたいとお願いに参りました。」
とスーザンが説明して、また一つこくりと頷くわたし。
「なんでまた・・・当領地のパシク孤児院をお気に召されたのでしょうか?」
ハーパーベル伯爵はチラリとわたしに目を向けたが、わたしは無言のまま。
この交渉では、わたしはなるべく話さないでくれと言われている。
交渉のほとんどはスーザンが行う予定だ。
「先日、大聖女様はお忍びでこちらの領地へ参りました折に、真珠貝の殻剥きをしていたパシク孤児院の子供達に出会われました。
その時に真珠貝の殻剥きを体験なさり、子供達に親切にしてもらったのが忘れられないそうです。」
わたしはこくりと大きく頷く。
その瞬間、ハーパーベル伯爵の目が賎しく光った気がした。
「なるほど。
私が面倒を見ている孤児達の行いが、大聖女様に喜んでいただけたとは私としても大変悦ばしいことでございます。
しかしパシク孤児院は我が家との付き合いが大変深い孤児院でございまして。
現に長女のマリンを毎日慰問に遣わせているほど目をかけております。
それほど大切な孤児院ですから、そう簡単に譲るわけには・・・。
はて、どうしたら良いものか・・・。」
伯爵は白々しく困ったように眉尻を下げた。
く、くぅ~!!
この人なんなのよ!
金か!金なのね!
今まで見向きもしなかった孤児院を急にもったいぶって!
しかもマリンが孤児達のために尽くしているのを自分の指示かのように言ってる!!
あの子達が困窮している原因はあんたなのよ!!
わたしは怒りでこめかみに血管が浮いてきそうになるのを何とか堪えた。
「伯爵のおっしゃる通り、
”下さい““はいどうぞ”と簡単に譲るわけにはいかないことは理解しておりますわ。」
さすがはスーザン。
スーザンもムカついているだろうに、顔には一切出さず淡々と進める。
そして後ろに控えていた白神官に目配せをした。
小さく頷いた白神官は抱えていた白い箱を丁寧にテーブルの上へ置いた。
それはガチャリと重い音を立てると、一瞬ハーパーベル伯爵の目がギラリと光った。
「中には金貨八百枚収めてございます。
孤児院の不動産の査定価格が、土地が金貨五百枚、家屋は老朽化が激しかったのでゼロ、そして諸費用として金貨三百枚を上乗せ致しましたわ。
女神の代理人とまで言われている大聖女様が望んでおられるのです。
これでどうかご一考いただけませんでしょうか?」
「ふうむ・・・。」
考え込むハーパーベル伯爵。
孤児院の売買なんてしてしまったらそれは人身売買と同義になる。
ここでお金のやり取りをするなら土地代や諸費用の名目とすれば問題なく受け取れるはず。
金貨八百枚とは小さな屋敷が建つような金額で、わたしとしてはかなりの額を積み上げたつもりだった。
しかし贅沢が大好きな伯爵みたいな人はお金を引っ張れるところからはできる限り引っ張ろうとする訳で・・・。
「実は、パシク孤児院の土地ですが、あそこはかなり収益性の高い立地でございます。
近い将来、パシク孤児院を解体してそこに商業施設を造る計画がございまして、金貨八百枚ではなんとも・・・一千枚なら考える余地があるのですが・・・。」
やっぱり金額つり上げてきた!!
ついさっきまで『大切な孤児院』とか言っていたのよ?!
同じ口でよく解体とか言えるわよね?!
あまりにもムカついて鼻息が荒くなってきちゃった。
「マリエッタ様、やはり他人の孤児院を手に入れたいとは我が儘が過ぎますぞ。」
ボルトン神殿長が我が儘娘を窘めるように言う。
ま、これも作戦の一つなんだけど何だかモヤッとする。
「マリエッタ様、あまり我が儘を通してはよろしくありません。
これ以上ハーパーベル伯爵を困らせる訳には行きませんわ。諦め下さいませ。」
スーザンも我が儘上司を窘めるような言い方をする。
これも作戦通りなんだけど、ちょっとモヤッとする。
白神官が金貨の入った箱を持ち上げようとして、わたしは少し俯き加減で悲しそうな顔をしてみせる。
「ちょっとお待ちください!
わざわざ大聖女様が我が家までいらしてくださったことですし、これも何かの縁でございます。
大聖女様の庇護の下なら孤児達も喜ぶことでしょう。
金貨八百枚で承諾致しましょう。」
「まあ、ハーパーベル伯爵のご厚意、痛み入りますわ。
では早速、契約の方を・・・。」
そっからは早い早い。
スーザンがさっと書類を取り出すと、あっという間にパシク孤児院の譲渡契約は締結した。
契約の内容としてはパシク孤児院の管理運営をわたしに譲渡すること。
土地、建物、備品等の全ての所有権も譲渡すること。
現孤児院院長のテレサ・ポートモーリアの人事権も譲渡すること。
次期院長としてマリン・ハーパーベルを登用することを認めること。
それらを盛り込んで、ハーパーベル伯爵も異議なく両者がサインをして終了した。
最後に、このハーパーベル領でマンゴージュースの移動販売と、真珠養殖事業を興すことの断りを入れておく。
予想通りハーパーベル伯爵は真珠養殖事業に興味を示した。
だけどまだ成功するかどうかも分からないと説明すると掘り下げて聞かれることはなかった。
「デニス殿、孤児院の運営には我らも全力でお助けする故、安心して任せられよ。」
と神殿長。
「本日は有意義な話し合いができました。」
とスーザン。
「こちらこそ、大聖女様のお役に立てられて光栄にございます。
真珠養殖事業が成功致しましたら、特別に高価買い取りをさせて頂きますので、いつでもご相談下さい。」
心なしかニヤついて見えるハーパーベル伯爵。
わたしがもう既に【真珠仲買割符】を手に入れてるのを知らないから、成功したら全ての真珠は自分の手元に来るとでも思っているのだろう。
だけどその思い込みは訂正する必要もないし、そのままにしておく。
「ええ。その時は宜しく頼みます。
そろそろお暇致しましょう、マリエッタ様。」
「ええスーザン、行きましょう。
ハーパーベル伯爵、こちらの申し出に応じて下さり感謝します。」
「もったいないお言葉でございます。」
わたしが一言だけお礼を言って交渉は終了した。
帰るため玄関ホールまで戻り、来たときと同じように伯爵だけでなく夫人や次女、使用人に至るまで大勢の人に見送られる中、南神殿へと転移した。




