其の捌 離にて
魅琴の初の務めの後、ノウマは報告の為隠里御亭一階の最奥にある離を訪れた。
「ノウマです、報告に参りました」
「入れ」
入口の木戸の前で声を掛けると中から少し嗄れてはいるものの、通りの良い声が返される。
「失礼します」
中は香の匂いで満ちていた。壁には札や縄が張り巡らされ、光源の蝋燭が赫赫と揺らいでいる。
奥には一部畳の敷いてある部分があり、そこを遮るように御簾がかかっている。中の様子は影でしか確認できない。
木の床を音を鳴らしながら進み、御簾の前に来た所でノウマは跪いた。
「先程、務めより帰還しました。御目通り感謝します、創院様」
「仰々しい挨拶などよい、それよりも、だ」
創院と呼ばれた御簾の向こうの男は脇息に保たれていた体を起こして、ノウマに向き合った。
「忌鬼の所在は掴めたか?」
「…申し訳ありません、口封じの術式が施されておりました。末端の者は捨て駒のように扱っているようです」
「そうか…」
ノウマはより一層目を伏せ陳謝する。
「今回の事で奴らに我らの動きは気付かれただろう、次回の務めは組み直す、指示を待て」
「承知致しました。…それと、気になることが」
「どうした」
伏せていた目を上げるとノウマは少し険しい顔をしていた。
「聖人が我らを察知するのが序列の割に少々早かった様に思われます。しかも、今回は指示通り魅琴を先行させました。鬼族とはいえ、半妖のあいつは一層察知され難い筈です」
暫くの間沈黙が流れた。その後、創院が口を開く。
「…どう思う」
「…恐らくは駒の一つ一つを通して監視をしている者がいるかと。四季家以上の聖人の可能性も十分にあり得ます」
「…やはり関わってはおるか。わかった。御苦労だったな、下がりなさい」
「…はっ」
ノウマはもう一度深々と頭を下げると立ち上がり、そのまま出口へと向かう。
しかし、木戸まであと二、三歩の所で創院の方を向き直った。
「…申し訳ありません、最後にもう一つだけ宜しいでしょうか」
「……」
創院は答えない。
ノウマの顔には仄かに歪みが浮かんでいる様にも見えた。
「…どうして今回の務め、魅琴を参加させたのでしょうか。時期尚早だとは分かっていた筈です」
「…重い被害の報告は受けていないが」
「ですがー」
「ならば良いのだ、主の気にすることではない。いいから、下がりなさい」
「…申し訳ありませんでした、失礼します」
まだ何か言いたげな表情ではあったが、ノウマは諦めて離を後にした。
すっかり陽が沈みきって暗くなった辺りには灯りはなく、虫の声だけが煩く響く。
「…どうしてそんなに余所余所しいんだよ」
本殿へと戻る渡り廊下で呟いた言葉は周囲の喧騒に巻かれて消えた。