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妖聖大戦  作者: 彼吉 岸花
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其の漆 母の遺志:後篇

「で?一体何をしてたのかしら?」


 白澤様は部屋に入ると私を奥にある薬品の置いてある机の前に座らせ、自分は薬品棚をがさがさと漁りながら私に問うた。


「えっと……ノウマが創院様のとこに報告行くのが見えて…何話すのかなーって、それで……」

「……()けてたの?」

「………」


 思わず押し黙ってしまう。彼女はそれを肯定ととったらしい。呆れ顔で短く溜息をつき、薬品瓶を片手に私の目の前に来ると私の左腕を取った。


「なんでわざわざ……話しかけて一緒に行けばよかったじゃない」

「それは……そうなんですけど」


 まさか昨日話を盗み聞いていたなんて言えない。腕を触診する彼女を尻目に何と言えば良いのか必死で考える。


「…はぁ、まぁいいわ。はい、これで終わり。経過良好みたいね、もう殆ど心配ないわ」


 余りにも私が悩んでいたからか、彼女はそれ以上の追求をやめた。

 心の内でホッと息を漏らす。しかし怪しまれた事には変わりないだろう。

 彼女は捲っていた私の袖を直してから立ち上がると、壁に掛かっている白衣の内側をごそごそと(まさぐ)り、お母様の面を取り出す。

 昨日の戦闘にも関わらず、面の表面は汚れ一つなく綺麗だった。きっと手入れをしてくれたのだろう。


「はい、大切なものなんだから、もう忘れちゃダメよ?」

「ありがとうございます…」


 それを受け取り、思わずぎゅっと胸に抱いた。欠いていた認識のなかった安堵感が溢れてくる。

 同時にお母様の事が途端に想起された。


 私がまだ本当に小さかった頃、庭の桜の木の下で私を膝に寝転がらせて子守唄を歌ってくれたお母様。見上げた先の表情は桜を透かして差し込む陽光が仄暗く影を落としたようで、上手く思い出せない。

 だけど、私がお母様と過ごした短い間の中で覚えている数少ない記憶の一つ。


「お母様は…」

「ん?」

「お母様は、とても強い鬼だったんですよね?」


 白衣を羽織り、裾を軽く払う白澤様の背中に問う。彼女は振り向かずに何かを懐かしむように軽く目線を上げた。


「……紫出雲(しでぐも)家第十六代頭首。鬼族最後にして最強の英傑、なんて言われてたわ。その武勇と麗しい姿は妖人全体の憧れだった」


 鬼族は元より他の妖人を束ねる存在だった。そして紫出雲家はその鬼族を束ねる長の家系である。

 鬼族の妖力は群を抜いて強大、妖人が古来から生き残って来れたのは鬼族の存在があったからだとまで言われている。

 しかしその力の代償か、鬼族は子を成せる事が稀だった。鬼族は長いものだと五百年近い寿命を有するとはいえ、永遠の命を持つ訳ではない。だから、数は減る一方だった。

 そして、およそ百年前、お母様の代で起きた大火によって鬼の里は滅んでしまった。

 生き残った鬼族はお母様ただ一人。

 しかし、母は強かだった。その後も一人で生き抜き、ここ隠里御亭に身を置く。そしてその後、直人との間に子ーー私を授かる。

 お父様の行方は不明だ、生きているのかすら分からない。


「だけど、そんなお母様でさえ、十五年前渋谷で…死んだ」


 十五年前、渋谷で起きた大量殺戮。そこで死んだのは数千の直人、そしてお母様だった。

 直人を救う為に誰よりも早く渋谷に駆けつけ、そして、死んだのだ。


「魅琴ちゃん…」


 昨日から押し込められていた心が決壊したのか、頬を涙が伝う。腿の上で手を固く握りしめた。


「どうして……あの事件は起きたんですか」

「それは…分からないわ…」


 鬼族がほぼ滅んでしまってから妖人は勢力をみるみる弱めていった。十五年前にそんな事件が起こせる勢力が残っているとは考えにくい程に。


「あれはだれが何のために起こしたのか、誰も知らないの。直人政府はわかりやすい標的を見つけて飛びついただけなんだと思うわ。いくら昔だからといって、実際に直人に危害を与えてた妖人が居たのも事実だから」


 鬼の里が滅ぶ前までまでは妖人の中にも直人を滅ぼし、自分達の世を作ろうという過激な考えを持つ者が多くはないが居たらしい。

 他にも生きるためにどうしても直人に迷惑がかかってしまう者やその外見を恐れられ迫害された者など、直人と妖人との摩擦はそれなりにあったのだ。


「だからってーー」

「ええ、分かってるわ。そんなものは今、私達が一方的に否定されていい理由なんかにならない。平和的に解決できるのが一番だけれど、それが難しい以上少なくとも私達には抗う権利がある。私達は生きる為に、守る為に戦ってるのよ」


 表情をキッと引き締め、しかしその中に少し悲しげな気配を感じさせて白澤様は言った。

 だけどその言葉は、今の私には針よりも鋭く刺さるものだった。


「そう…なんですよね。でも…だったら私なんて…」


 頰を伝い落ちた涙が手の甲に落ちる。


「お母様が勝てなかった相手に…私なんて敵うはずないです…。昨日だってノウマに助けられて、足引っ張るばっかりで…余計な人まで巻き込んで…!」

「……」


 不安が弱気に変わり、次々と口から飛び出した。私を途端に駆り立てたのは怒りか焦燥か哀しみか、それすら分からない。


「こんなんじゃ守るなんて到底…!私は…お母様みたいにはーー」

「こら」


 ふわり、と。目の前を温もりが遮った。涙で熱くすら感じていた頰が穏やかな暖かさに支配される。

 気付くと私は再び白澤様の胸の中にいた。


「何諦めた様な事言ってるの、少し落ち着きなさい」


 その暖かさに反して諌めるような言葉には厳しさが滲んでいた。


「あなたはまだ未熟よ、諦めるなんて早過ぎるわ。自分の可能性を自分で否定してどうするの?まずは自分の弱さに勝ちなさい。認めて、勝って、それを繰り返して強くなるの」


 そう言うと彼女は私の頭を離す。涙でぼやけた目線の先に彼女の真剣な眼が見えた。


「弱さに…勝つ…」

「そうよ。それにね、最初から強くあろうなんてそれは傲慢(ごうまん)よ。誰もが最初は弱いの。しかも、未だ妖力の扱いについては本格的に鍛えてないんでしょ?」


 私は初の務めに備えて鍛錬を積んでいた。しかし、間に合わなかったのだ。基本的な剣術と鬼化の安定はなんとか間に合わせたが、それで精一杯だった。


「だったら尚更、強くなれる余地なんて幾らでもある。打ちのめされてる暇なんてないわ。受け入れて、切り替えて早く自分を磨きなさい」

「……」


 そうだ、弱気になってる場合じゃない。こんなに私の事を気にかけてくれる人が居るんだ。

 思えば、そもそも私なんてまだ何もしてないじゃないか、甘えるな、報いるんだ、皆に、お母様にーー。

 一度俯いて目元を拭うと、口を横一文字に結び軽く深呼吸をする。


「……ありがとうございます、私、頑張らないと…!」

「ええ」


 情けなく(むせ)びながらも顔を上げた私に彼女は優しい笑みを浮かべた。

 そのまま立ち上がり軽く私の頭を撫でる。


「もう大丈夫みたいね、全く…昔を思い出したわ」

「ごめんなさい、取り乱して…でも、昔って…?」


 急には引っ込められない涙を引き続き拭っていた私はふと彼女の言葉が引っ掛かり問うた。


「ふふ、知りたい?ノウマの事なんだけど」

「!」


 それは是非とも気になった。おそらく言い方から察するに本人は絶対知られたくない事の筈だ。

 我ながら薄情だと思うが、その時の私の目は先とは打って変わって好奇心に輝いていた可能性すらある。


「教えて下さい…一体何がーー」

「よお、随分楽しそうに話してるじゃねぇか」


 急に私の肩が掴まれる。

 再び私の表情は一転して今度は血の気が引いていくのを感じた。


「あら、どうしたの?ノウマ」


 白澤様の目線が私の背後に向く。当然のように私は振り向けなかった。

 いつの間に入ってきたんだろう。ていうか、白澤様の場所から部屋の入口は見えてた筈だ。絶対わざと止めなかったんだ、これ。


「いやぁ、何、丁度こいつ探しててよ」


 私の肩を掴む手がぽんぽんと軽く跳ねる。


「ノ、ノウマ?これは…えっとね、そのーー」

「さて、随分気が晴れた様だしな。存分に鍛え直してやろう、ほら、行くぞ」


 手が襟首に移動してそのまま引っ張られた。


「ひっ、あっ、ちょっ、待って!白澤様、助けて下さい!」


 このままだとまずい、鍛錬は大歓迎だが今のままだと絶対酷い目に遭う!

 思わず白澤様の手を掴んだ。

 彼女は私の手をそのまま包み込むようにしっかり握ると、私を見てにっこりと笑う。


「ほら、頑張りなさい」


 凄い人だ。同じ笑顔のはずなのに裏に潜むものがまた変わった。

 頼みの綱も断たれた今、私に出来る事はひたすらに足掻く事のみだ。それも徒労ではあろうが。


「い、いやあああぁぁぁぁ……」


 その日、朝靄が晴れて明瞭になったばかりの山間に鬼の悲痛な叫びが木霊した。






 魅琴とノウマが去って静寂を取り戻した部屋で白澤は一人、薬品瓶を棚に片していた。

 彼女の顔に苦笑が浮かぶ。


「全く、安心しきった顔しちゃって。隠しきれてないのよ」


 そう言うと、薬品棚の上の古びた箱に手を伸ばして胸に抱える。


「菖蒲様、ご安心下さい。魅琴ちゃんはきっと優しく、強く成長していきます。そうすればいずれ創院様も……」


 彼女は暫く祈るように目を閉じると、再び箱をそっと棚の上に戻した。

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