其の参 魅琴:後篇
辺り一面を包んだ白はほんの数秒で薄れ、再び赤い世界が戻る。男は先程と変わらぬ涼しい顔でそこに立っていた。
足元には両腕のみならず頭部も失った少年が転がっている。
「………チッ」
男は軽く舌打ちをしながら苛立ちをぶつける様に路傍の石を蹴飛ばすと、未だ地面に倒れているそれの元へ向かう。そして、傍らに立つや否や放射状に広がる白髪の中央を思い切り叩いた。
「痛ッ!」
「みっともねぇ姿晒した挙句にいつまで狸寝入りしてやがんだ魅琴!」
それが顔を上げると、先の衝撃で顔につけた面が外れ、顔が露になる。
そこに居たのは猫の様な大きな目に涙を浮かべ、端正な顔立ちを恨めしそうに歪めた少女だった。真っ白な肌は頬だけが少し赤らんでいる。
また、少女は訴えるように男を睨む。
「だ…だって……怒るもん…」
「当たり前だ!是清の三男坊なんかに一方的にやられやがって……いくら結界特化の家だからって序列十四位!下から三番目だぞ?分かってんのか?」
「うう……」
思わず目線を下げ気弱になる少女。そんな彼女を見て男は呆れたように眉間を抑えた。
「……はあ、そんなんじゃ四季家とやり合えるのは当分先だな……まあいい、で?腕はどうなんだ」
「え?」
それ以上のお咎めがないのが予想外だったのか、少女はキョトンとして男を見上げる。
「腕だよ!結界に馬鹿みたいに真正面から対抗してたろうが!物理で!怪我してんじゃねぇのか?」
「あ、う、うん。多分大丈夫だと思…ッッ」
戸惑いながらも軽く手を振ろうとした少女の顔が痛みに歪む。彼女の腕は左だけが歪な形になってしまっていた。
男はそれをじっと見つめると、仕方ないといった様子で少女に背を向け体勢を下げる。
「ほら、乗れよ。さっさと帰って白澤に診させる」
「え…でも、その……処理は?」
数メートル先の胴と脚だけになった亡骸をチラリと見遣って少女が問う。
「鳥頭衆に頼んでおく。人避けの結界もあと一時間位は保つから大丈夫だろ。ほら」
「で、でも、足は何ともないし!おんぶしなくても…」
もごもごと語尾を弱め、恥ずかしげに俯く少女。
「時間かかるだろうが、なるだけ早い方がいいんだよ。それに鬼化した状態での実戦は初めてだったんだ、無理も遠慮もすんな」
少女はますますキョトンとし、やがて微笑む。
「何だよ、早くしろ」
「…ううん、やっぱ優しいね、ノウマは」
「……うるせぇ」
少し悪戯な笑みを浮かべながら男の背中に体を預ける少女。男がその重さを確認し立ち上がる。
ガタガタッーー
その時、急に聞こえた物音。男は血相を変えて音の方を向き、構える。
しかし、そこに人影はなかった。
「……。ここにいろ」
彼はゆっくりと少女を下ろし路傍に立たせると、音源を探す。すると、少年の亡骸の向こう側にゴミ捨て用の物置があるのに気付いた。
構えたままで一歩二歩とゆっくり近付く。
そしてガラリと勢い良く戸を引いた。
「こいつはーー何だ?」
男が中身を引っ張り出す。
その時少女が近付き、ハッとして声を上げた。
「あ、その子、さっき聖人と一緒にいた女の子だ」
中身は人。先程まで少年と共に歩いていた大人しげな少女だった。
「何だと?てことはーー」
「うん、多分アレ見ちゃったんだと思う、あの聖人の事好きだったっぽいし……」
背後の亡骸を見遣って言う。それを聞いた男は頭を抱えた。
「はあ……んなこたどうでもいいんだよ。…それより問題なのはお前の顔が見られたかもしれねぇって事だ、面倒くせぇ……」
しゃがみ込んでしばらく黙り込む男。少女は申し訳なさそうに口を噤んでいる。
しかし、暫くして男は一つ大きな溜息をつくと、言った。
「仕方ねぇ……始末するか」
思わず驚いて少女が顔を上げる。
「なっ…!ダメ!ダメだよそんなの!この子関係ないじゃん!」
「関係なくはねぇだろ。もし顔見られてたら、お前今まで通り暮らせなくなるんだぞ?」
「っ!だからってーー」
「それに!」
男が語気を強める。
「お前に直人の道を捨てさせないで欲しいってのは菖蒲様の遺志でもあるんだ……それを忘れんな」
「…お母…様の…」
急に塩らしくなる少女。それを見て男は少し顔を顰めたが、直ぐに振り返る。
「いいな、お前と、菖蒲様の為だ」
少女は何も返さない。
「許せーー」
意を決して地面の彼女に目を向ける、がーー
「っ‼︎やっぱりだめ!ーーッッ!」
少女が男の胴にしがみ付く。同時に拉げた腕の痛みに少女の顔が苦悶に歪んだ。
「おい!何やってんだお前!」
「やっぱりだめ!嫌だよ!無関係の人まで殺したらあいつらの言う通りになっちゃう!」
「っ!それは……」
「ノウマにだけはあんな馬鹿げた言い分を肯定して欲しくない……だから……お願い……」
涙ながらに訴える少女。男の目が揺らぐ。
「……だぁっ‼︎くっそ…」
男が叫ぶと同時に風が吹き、転がっていた少年の亡骸が消える。
潤んだ目で少女が男を見上げると、男は口元を拭いながら険しい顔をしていた。
「…行くぞ」
「え……?」
「これで少なくとも証拠が見られる事はねぇ、家系の奴らにはどの道気付かれるだろうがな」
「……いいの?」
「良かねぇよ……ほら、行くぞ」
涙を拭い頷く少女。それ以上は何も言わなかった。
彼は彼女を抱えると、既に半分以上沈んでいる夕日に向かい、駆けた。