第3話 月夜の逢引
雲ひとつない夜空に煌めく月の光は、まるでスポットライトのように私を照らし出す。
どうやら月さえも私の呪いが解けた事を祝福しているようだ。
「少し早かったか」
あの時は気分が高揚していたからか、夜に会おう、という一言だけで正確な待ち合わせ時間を決めていなかった。
どうやって時間を潰そうか考えていると、遠くから足音と共に草の葉が擦れる音が聞こえる。
「...いや、そうでもなかったか」
私が音の聞こえる方に振り向くと、ルーファスは息を切らせながら現れた。
「ハッ....ハッ...リ"、リリィさん!」
ここまで急いで走ってきたのだろう、ルーファスは膝に両手をつき息を上げる。
中々に可愛らしいところのあるやつだ。
「リッ、リリィさん!?」
私はルーファスに近づき、密着した状態で優しく背中をさする。
「ゆっくりでいいから息を整えよ」
まったく、16歳を越えれば成人だというのに、これではルーファスの妻になる者は大変だな。
犬みたいで可愛らしい所は好ましいが、もう少し落ち着いた方が女性にもモテるぞ。
私は、ルーファスの髪についた葉っぱを払う。
「あ、ありがとうございます」
ルーファスの呼吸が整ったのを確認した私は背中から手を離す。
ええい、体が離れたからといって物悲しそうな顔で此方を見つめるでない、ルーファス!
「礼を言うなら此方の方だ、あの時は助かった」
私はルーファスにガウンの入った袋を返す。
袋を受け取ったルーファスは、中身のガウンをちらりと見た。
「ちゃんと洗っておるが、翌朝までずっと羽織っておったからな、臭かったら弁償するぞ?」
メイドに洗ってもらったから大丈夫だとは思うが、一度は私が袖を通したものだからな。
「あ、いえ、そうじゃなくて...」
言葉に詰まるルーファスを見て、私は全てを察する。
「それとも匂いがついておる方がよかったか? ルーファスよ、私が言うのもなんだが、思春期とはいえお主、中々に業が深いな」
私が引き気味に軽蔑の視線を送ると、ルーファスはブンブンと首を左右に振る。
「ちっ、違います! 俺のガウンを、その、リリィさんがずっと着たのかと思うと...あ、そうじゃなくって!!」
ルーファスは自ら墓穴を掘っていくタイプだな。
こんな事で大丈夫なのかと、お姉さんは心配になるよ。
「とにかく! リリィさんは臭くないし、寧ろさっきもすごいいい匂いだったし、大丈夫ですから!」
少し涙目になっているので、ここまでにしておこうか。
普通であればそう思うだろう、だが、私は違う!
ここで追い討ちをかけるのだ!
「わかった、わかった、でも、思春期に溜めすぎるのは良くないからな、使用済みが欲しくなったらいつでも言うんだぞ?」
涙目になっているルーファスが悪いのだ。
男の涙は中々に唆られるものがある。
「リリィさん!」
完全に油断していた。
私はルーファスに押し倒される。
「る、るーふぁす!?」
ルーファスは私の両手を地面に押さえつけた。
私は振りほどこうとしたが、力が強くビクともしない。
「お、おちちゅくのだ、るーふぁす」
寧ろ、お・ち・つ・け・私!
「僕は落ち着いてますよ、リリィさん」
月の逆光に照らされたルーファスの顔は、夜の闇との陰影のせいかその黒い笑顔に背筋が凍る。
「リリィさん、僕も一応男です、こう言う事になったらどうするつもりだったのですか?」
淡々と諭すように声をかけるルーファスを前に、私はもはや借りてきた猫のようになっていた。
「...なさぃ」
ルーファスの鋭い眼光に耐えきれなくなった私は視線を逸らす。
「ん、なんですか?」
くそっ、絶対聞こえてるだろこいつ!
「あと、話す時は視線を合わせないと失礼ですよ」
私は瞳を潤ませつつもルーファスを睨みつける。
こいつ! あとでぜったいおぼえてろよ!
「ご...ごめんなさぃ」
ルーファスは私の両腕から手を離す。
「これに懲りたら、次からは気をつけてくださいね、特に僕以外の男の人に」
私は上半身を起こし目元を拭うと、ルーファスは優しい笑顔で手を差し伸べた。
ええい、これでは完全に立場が逆転しておるではないか!
「お手をどうぞ、お姫様」
くそっ! やっぱり、こやつ調子に乗っておるな!
絶対にこのままでは終われないと思った私の頭の中に妙案が思い浮かぶ。
「ありがとう、ルーファス」
私はルーファスの手を取り引き上げてもらう。
「これは私を諭してくれたお礼よ」
ルーファスに引き上げてもらった勢いのまま、私は彼の首の後ろに手を回し口づけをした。
「んんっ!?」
流石にルーファスも、私がここまでするとは思っていなかっただろう。
私の負けず嫌いを舐めるなよ!
時間にしてほんの一瞬だが、それでもルーファスを放心させるには十分であった。
してやったりと満足した私は、ゆっくりと唇を離す。
「おやすみルー君」
放心するルーファスをその場に残し、私はウキウキ気分で離れの寝室へと帰っていった。
この後、部屋に帰った私は、ベッドの中で先ほどの経験が前世を含めて初めてだったことに気がつき悶絶する。
ルーファスには絶対に内緒だからな!
◇
長い通路の左手側にある庭から、朝を知らせる小鳥の囀る音が聞こえる。
私は護衛の従者たちを連れて、家族と一緒に朝食を取るべく通路を歩いていた。
「リリィ?」
聞き覚えのある声が、私の晴れやかな朝の気分を害す。
「やっぱりリリィだったか、久しぶりだな」
筋骨隆々の体に、自信に溢れたその態度。
その、ギラついた野心すら隠そうとしない。
その証拠にこいつは無礼にも移動の最中の私を呼び止め、あまつさえ愛称で呼び捨てにしたのだ。
20年たってもやはりこの男は気にくわないな。
「久しいな、アーロン」
この男の名はアーロン・リバティー=ホーク・アナーキーバトルクライ。
年は私より上の35歳、6つある公爵家の一つで次期当主。
確か今は、この国の10ある騎士団の一つで団長を務めているはずだ。
「私は急いでいるのだが、何か用かな、騎士団長殿」
せっかくの家族との朝食を邪魔された私は、素っ気なく言葉を返す。
「そう素っ気なくしないでほしい、俺と君の仲じゃないか」
この男は一体何を言っている?
私が呪いをかけられた時、この男が私に向けた蔑んだ表情は今も忘れない。
「はて、何のことか、私には見当もつきませんが?」
どうやって切り抜けようかと考えていると、アーロンの後ろからノシノシと歩いてくる人物が目に入る。
その人物の正体に気がついた私は、心の中でため息を吐く。
全部こやつのせいだ、面倒な奴がもう1人来た。
「これはこれは、アーロン騎士団長と...おぉ! もしや、リリィヴァイス皇女殿下ではございませんか?」
小太りの男がわざとらしく声を上げる。
この狸めが!
「久しいな、ダミアン」
ダミアン・リバティー=ローグ・テラースクリーム。
アーロンと同じ6つの公爵家のうちの一つで当主の座につく58歳の男だ。
こやつはその権威を最大限に利用して、現在この国の内務大臣を務めている。
「呪いが解けたと聞きましたが、いやはや、まさかこのように美しく花開いておられますとは」
蛇のように全身に纏わりつくような視線に悪寒が走る。
目ざとい男だ、私に利用価値を見出し、再びすり寄ってきたのだろう。
私が呪われてすぐに、父上に自らの娘を当てがおうとしたのは忘れんぞ。
気丈に振る舞っていた母上だが、私の部屋で一度だけ涙を見せたことがある。
私はあの時の母上の苦しみを忘れはしない。
「すまないが、今は急いでおる、お先に失礼させてもらう」
これ以上この2人と一緒に居ても、私がイライラするだけだ。
私はアーロンをダミアンに押し付け、その場から退散する。
しかし、あの2人、随分と距離感が近かったな。
ダミアンと違い、アーロンは公爵家の権力よりも実力で周囲を黙らせ、その地位にのし上がった。
この2人は、水と油のような性格かと思ったが、そうではないのか?
何やらよからぬことを考えてなければよいのだが。
ブクマ、評価ありがとうございます
本日はお休みしようかと思いましたが、感謝の気持ちを込めて