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「あれー、昨日のおじさんじゃないですかー。この学校の人だったんですね!」
無言、無表情で近づいてくる男に声をかけた。
年齢不詳だが、おじさんよばわりして煽る。
感情を出してくれた方が対応できるはず。
怒られたら謝る。
慌てたらそこを押す。
それだけだ。
だから学校の人だったのかと言い牽制。
最高なのは帰ってくれる事なんだが……。
後ろ手で詩織を押す。
俺から離れてくれ。
だが声はかけられない。
この黒いスーツの男の意図が判らないからだ。
たぶん俺を害するために来たんじゃないかとは思う。
だが話をするだけかも知れない。
詩織に逃げろ!なんて言ったら即、動かれてしまうだろう。
詩織は俺のブレザーを掴んだまま動かない。
それでも俺は押す。
顔は見えないが、泣きそうな顔をしてるんだろうな、詩織。
黒いスーツの男は暗い目をしている。
昨日と同じ感じだ。
そして歩いてくる。
五メートルほどの距離まで詰められ、詩織が俺から離れてくれた。
どんな対応をするにしろ、俺の動きを阻害する訳にはいかないと思ってくれたんだと思う。
詩織もこのままでは済まないと判断したんだな。
俺もそう思う。
「昨日はしゃべってくれたのに、今日はだんまりですか?やっぱりあんた学校の人じゃないな?人を呼びますよ?」
「えー、学校の先生じゃなかったの?部外者がこんな所に来ちゃいけないんですよ?」
もう対峙するしかなさそう。
せめてもの抵抗で人を呼ぶと脅してみた。
詩織も責めた。
タゲが移りかねないから黙っていて欲しい。
お前に怪我でもされた日にゃ、おじさん、おばさん、信兄、全員から責められてします。
まぁ、俺が無事だったらの話だがね。
「お前ら……何を知っている?」
立ち止まった黒いスーツの男から出た低く不気味な声。
なんかゾワゾワ来る。
こんな声を詩織に聞かせるんじゃねーよ!
男は、ようやくしゃべったと思ったら何かを感づいていたらしい。
お前ら。
俺と詩織。
俺のせいで詩織まで対象になってしまっている。
昨日、こいつの頭の上の数字を見て顔を合わし逃げ出したのは確かだ。
だがこんな所まで追ってこられるほどの事とも思えない。
超能力者かよ。
……あー、俺達がそうだったな。
本当にそういう可能性もあるのかも知れない。
それともただのカンなのだろうか?
そうだったらどんだけカンがいいってんだ。
怖すぎるだろ。
「スーツだし就活中だったのかなと。でも、手ぶらじゃ減点だと思いますよ?あ、もしかしてニート?いやリストラされちゃって家族に言えず出勤の振りをして公園で鳩に餌をあげてるとか?大変ですねぇ。後、顔が怖かったもので昨日は逃げちゃいました。顔をこっちにむけないでください」
何かを疑われている。
もう何ともならないだろう。
対決の予感がした。
だからもうどうでもいい。
煽りまくる。
俺の顔は相手にとってムカつく顔だろう。
そういう顔にしている。
元々じゃないよ?本当だよ?
信兄も向かって来ているはず。
時間も俺の味方だ。
しゃべって足止め出来れば助かる。
万が一襲われても、身体能力が上がっている今、負ける気はしない。
詩織を巻き込まなければ、勝てるはず。
ありがとう。
俺は一瞬の付き合いだった魔法陣に感謝する。
「ほぅ……」
俺の煽りは効いていなそう。
つまらん。
無表情がイラつく。
死んだ魚みたいな目をしやがって。
また男が歩き出した。
「近づかないでもらえます?キモイんで。いや、マジで」
あ、本音が出ちゃった。
黒いスーツの男は俺の声が聞こえていないかのよう。
俺と同じくらいの身長。
おそらく百七十前後。
中肉中背だが、妙な威圧感。
これが人を殺した事のある奴の気配なのかも知れない。
「もういい。もう何も聞かない」
「あ゛?ねむてーこと言ってんじゃねーぞ、おっさん」
しかし人を殺せる奴ってのは解らない。
あっさり決意出来るんだな。
人を害する事をさ。
暗い目に殺意が見えた。
歩いてくるのに合わせて下がりたくなるが、グッと我慢。
俺の後ろには詩織がいるんだ。
俺はブレザーの上着のボタンを外した。
動きの邪魔だった。
脱ぐ暇まではないだろう。
俺の背後で息を呑んだ音が聞こえた。
詩織、俺が守るからな。
迎撃体勢を整える。
前よりも力の入っている拳。
拳闘部ではまだ何も教えてもらっていないが、殴り合いくらいはしたことがある。
俺からケンカを売った訳ではない。
買っただけだ。
だいたい失礼なんだよな、目つきが悪いだのガンつけやがったなとかさ。
だいたい勝ったけど、全勝ではない。
数にも負けたし、逃げもした。
俺はそのくらいの強さだった。
今は、ちょっと違う。
男が走り出した。
縮む距離。
元々大した距離ではない。
一気に迫って来た。
おっさん、体は動くんだな。
俺は妙な事に感心した。
「カズちゃん!」
詩織が叫んだ。
悲痛な叫び声。
黒いスーツの男が振るった腕。
いつの間にか手にナイフを持っていた。
俺は殴る手を無理やりずらした。
「がぁっ!?いってぇな!」
熱い。
俺の右手、その手のひらが熱くなった。
ナイフを払ったのはいいが、結局傷を負ってしまった。
切られ、流れる血。
指は……無事だし動く。
腰だめに突いて来た訳じゃないのだから、そのまま懐に入ってぶん殴れば良かった。
そんな事を考えてしまったのも不味かった。
フラグだった?
「いつから手ぶらだと思っていた?」
どこかで聞いたようなセリフ。
密かに俺の煽りが効いていたのかも知れない。
仕返しのつもりだろうか?
本当はムカついちゃってた?
黒いスーツの男がナイフを腰だめに構え、体ごと突っ込んで来る。
ナイフを振り回すより、こっちの方が危ない。
「おらぁっ!!床に這いつくばってお寝んねしやがれ!」
俺の方が速く動ける。
っち!武道でもやってんのか?俺の拳を躱しやがった!
掠っただけかよ!
まぁいい。
無理に攻撃しなくても、ナイフだけを見ていればいい。
そして抑える。
それでいいはずだ。
奴の右手にはナイフ。
持っていない左手が俺に伸びていた。
何でだ?
こいつ、サトリか!?
意表を突かれた俺は接近を許してしまった。
それでもナイフを持っている右手、その手首を抑えた。
奴の左手が俺の首に……。
そっちにも俺の右手が向かう。
握りつぶしてやる……。
俺の右手も届いた。
「「ぐっ……」」
俺、黒いスーツの男、図らずも同時に声を漏らした。
俺は首を絞められて。
奴は左の腕がギリギリと締め付けられてだ。
それなのに首を絞めてくる手の力が衰えない。
何だ!?
何なんだこいつ!?
得体の知れない恐怖が俺を襲う。
そして息苦しさ、痛み。
俺は男の両腕を掴んでいる。
それなのに、こいつの左手が異常に頑張っていやがる。
なんつー握力だ。
奴は既に右手からナイフを落としている。
首を絞める左手だって同じはずなのに緩まない。
感触からして骨が逝ってるはずだ!
何かがおかしい。
俺は必至で蹴った。
空いているのは足だけだからだ。
鈍い音、肉の音。
蹴りは効いているはず。
やっぱりこいつは異常だ。
本当に人間なのか?
目の前にいるはずの男が歪んだ。
いや屋上の光景すら歪んでいた。
放課後とは言え暗くなるような時間ではないのに暗くなって来た。
雨でも降るのか?
傘なんてねーぞ。
なんか怠いな。
詩織、そんな泣きそうな声を出すなよ……。
大丈夫。
大丈夫だ。
屋上の出入り口に誰かの影が見えた気がした。
それも直ぐに見えなくなった……。