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駅へ向かういつもの道から外れた。
俺は黒いスーツの男から逃れるようにビルの陰に入る。
そしてビルの壁に寄りかかった。
どうしよう……逃げる?通報?でもなんて説明すればいいんだ?
人を殺した回数がわかるんですー。
……誰が信じてくれるってんだ。
だが人殺しを逃がしていいのか?
また犠牲者が出る可能性だってある。
でも、俺には尾行する技なんて持ってない。
殺人の証拠だって出せない。
どうする?
俺がやる必要があるのか?
きっと警察が動いているに違いない。
動揺から抜けきれない俺の頭に色々な事が浮かんでは消えていく。
怖さ、それから焦り。
いくつかの感情が湧き上がっていた。
「カズちゃん!痛いよぅ!!」
「あ、ごめん」
「どうしたの?何かあった?真っ青だよ?」
詩織の腕を掴んだままだった。
魔法陣の影響?で上がった身体能力。
詩織が顔を歪ませていた。
慌てて詩織の腕を離す。
謝る俺。
俺が掴んでいた左腕を擦りながら俺の顔を覗き込んでくる詩織。
俺の顔色は真っ青らしい。
話す余裕なんてなかった。
怖い男に出会ってしまったのだから責めないでくれ。
詩織には話せる。
詩織も能力を持っているからな。
能力について詳細を伝えていなかったが教えよう。
「お前……」
ビルの壁に寄りかかっていた俺にかけられた声。
詩織ではない。
低い男の声。
俺の心臓が跳ねた。
俺は口から飛び出しそうになった悲鳴を飲み込む。
俺をお前と呼んだ男は黒いスーツの男だった……追ってきたのか!?
振り返って見ただけで!?
いや俺が急に逃げ出したせいかも知れない。
迂闊だった。
詩織もいるのに……。
「な、なんですか?」
「どうかしましたか?」
俺は何気ない風を装ってみた。
ちょっと声が裏返ってしまったが不自然に聞こえなかっただろうか?
俺とほぼ同時に詩織も黒いスーツの男に問いかけた。
こちらはいつも通りの声。
俺の様子を気にしているようだが、いつもと大差ない詩織。
「俺を見ただろう?」
低い声は抑揚がなく、淡々としていた。
それが逆に怖く感じる。
確かに俺はこいつを見た。
振り返ってまで見た。
だからって追いかけてくるほどの事だったか?
俺は焦りながらも考えを巡らせる。
どうしたらいいのかと。
「ふ、不良なんですかおじさん?目が合ったとかで因縁とかないわー」
俺の口から出た言葉はこんなだった。
動揺は隠しきれない。
だって追いかけて来たんだぜ?
人を殺した事のある奴が!
だが目が合ってケンカを売られた風の展開に持って行けたら……。
不良だのおじさんだの煽って見た。
馬鹿にしてんのかっ!?って殴られるくらいで済むならそれでいい。
こいつはヤバイ。
ヤバイ奴だ。
ヤバイおじさん……おじさんと言ったが年齢不詳。
三十歳は過ぎていると思う。
「そうなんですか?大人なのに……」
詩織からの援護射撃。
残念な人を見るような詩織の目。
これに喜ぶ特殊性癖の持ち主がいそう。
事情は解っていないだろうが、詩織は俺の味方だ。
だいたい味方をしてくれる。
俺と違って平然としている詩織は頼もしい。
相手もおかしいとは思わないはず。
「……どっか行け」
黒いスーツの男は俺から視線を外さずにそう言った。
行けって言っている割に逃がす気があるのか判らない視線。
何かおかしいなと思ったら、鞄を持っていない。
社会人なら移動中持ってるよな?
黒スーツにネクタイ、革靴は普通かな。
うーん。
何か言おうとしている詩織。
「ではー」
俺は詩織の腕を引っ張る。
離れるべき。
せっかく逃がしてくれるって言ってんだ、ありがたく受け取ろう。
頬を膨らませる詩織。
やりあう気満々だったな、こいつ。
元気なのも考え物だな。
危ない危ない。
俺と詩織は歩きだした。
しかし後ろから視線を感じる。
動かない気配。
一応難を逃れたが解決した気がしない。
まったくしない。
俺はため息を吐いた。
商業ビルの多い駅への道。
まだ夕方というほどの時間ではない。
人も多い。
何人もの人とすれ違う。
そういう人達の陰に入り、コッソリ振り返って見た。
「まだ見てる……少しは異常さを隠せよ……」
俺の目は小さくなった人影を見つけた。
黒いスーツの男はずっと道に立ってこっちを見ていた。
明らかに異常。
人を殺せるんだ、異常でないはずがないか。
俺はそんな事を思った。
「さっきの行動はあの人のせい?」
「ああ」
「なんか変な人だったね?ヤクザとかなのかしら?」
「ヤンキーではないな」
俺の呟きに反応する詩織。
詩織が言っている行動とは俺が詩織の腕を掴んで強引に歩いた事だろう。
変な人ってのは、さすがに判るよな。
歩きながら話し出す。
距離をとれたせいか、少し平常心が戻ってきた。
「『カウンター』は数字のカウントだったんだ」
「ん?」
「能力の話。詩織の『スリープ』、俺の『カウンター』」
「あー、その話ね」
「でな、俺の『カウンター』は頭の中で回数を数えられる質問をすると答えが人の頭の上にでるんだ」
「んー?」
「今までに食べたトーストの数とかな」
「へー!D.O様も真っ青だね!!」
「知ってるのか詩織!」
「淑女の嗜みですわん」
俺は前提から話しだした。
そして詩織もマンガに詳しいと解った。
黒いスーツの男の異常性を解っていない詩織は能天気だった。
俺は泣きそうなのに……でも詩織に引きずられて元気が出たかも。
「で、本題だ。さっきのパトカーと救急車を見て事件?事故って思って『今までに人を殺した数』ってのを聞いてみたんだ……」
「まさか……」
俺の言葉を聞いて俺を凝視してくる詩織。
詩織は勉強も出来るし察しもいい。
俺が言いたい事が正しく伝わった模様。
能天気な様子から一転し、真面目な顔になっていた。
詩織の大き目な瞳が見開かれている。
相当驚いているな。
俺はチラリと後方を見る。
小さな人影は未だ動いていない。
やはり異常。
怖すぎるだろ……。
「詩織は見るな」
「う、うん」
「あいつの上に三って数字が出てた」
「三人も……」
俺が振り返ったのを見て詩織も振り返ろうとした。
それを止める俺。
人影からコッソリ見ないといけないのだ。
不自然な動きはなるべく避けたい。
だから止めた。
そして数字の事も教える。
三人も……そう言った詩織は茫然としている。
詩織は俺の言っている事を信じてくれていた。
まったく疑っていない。
こんな場合なのに、少し胸が熱くなった。
「それでどうしようかなって思案している所」
「普通は信じてもらえないよね」
「だよな」
「お父さんとお兄ちゃんに相談してみようか」
「それが一番か」
「うん。私達じゃ危ないよ」
「危ないよな」
俺は今後の事に付いて話す。
人を殺した事のある人物、それをどうするかという話だ。
捕まえるにも証拠がいる。
俺にはそれを用意出来ない。
詩織からの提案。
詩織のお父さんとお兄さんは警察の関係者だ。
特にお兄さんはエリート。
特殊な役職についているらしい。
信じてもらえるかは判らないが、相談出来る相手だと思う。
あ、もう少し確認するべきか。
ちょっと曖昧過ぎたな……今までじゃなくてっと。
(『今日、人を殺した数』)
俺は『カウンター』を発動する。
そして後方をコッソリと伺う。
数字は一。
今日、黒いスーツの男は一人殺している……。
今までにって条件だと過去に殺して、既に罪を償っているって可能性もあった。
だが、こいつは違った。
少なくとも罪を償っていない殺人を犯している。
本当に先ほどのパトカーや救急車に関係がありそうな気がして来た。
ついでに数字のフォントを弄る。
人の頭の上に出ている数字の表記を変えられるのも解っていた。
授業中に色々と試したからな。
それでチョークも飛んできたけど……話を聞いてなくてスンマセン先生。
特定の人の数字に色を付けたり……縦長にしたりできるのだ。
縦長?意味あるのかって?
もちろんです!
ええ、そうすると出っ放しの数字が天に伸びるのですよ。
数字はまともに読み取れなくなってしまうけど、位置情報としては意味がある。
つまり追跡も出来るのだ。
建物の中に入っていようが移動中だろうが、天に伸びる数字は問題無く見える。
光の柱のようにだ。
それから数字の固定化。
これから他に『カウンター』を発動しても上書きされず残るのだ。
ずっと光の柱を出し続けるがいい。
あんな危なそうな奴を尾行なんてできませんとも!
誘いこまれて、グサッ!なんて事だってあるかも知れない。
『カウンター』さまさまです。
「あいつ、今日一人殺してる」
「!」
俺が詩織に教えると詩織が驚いた。
思わずといった感じで振り返ろうとしたが、それを抑えきった詩織。
詩織は振り返らなかった。
刺激が強すぎるかも知れない。
だが、もう巻き込んでしまった。
あいつに顔を見られている。
俺も詩織もだ。
怯える詩織。
人殺しが近くにいるなんて状況なんて今迄になかった。
少なくとも解っていて近くにいたって事はなかった。
自然と足早になった。
駅は近い。
人ごみの中がこんなに安心出来るなんてな……。
大勢の中の一人。
怖さが少し薄れた。
距離がとれたはず。
そう思い光柱を探す。
今、天に伸びている数字はあいつのだけ。
「なんでこっちに来ている……」
光の柱は思った以上に近くだった。
姿は見えないがあいつが密かに俺を追っていると思われる。
なぜなら、あいつが歩いていた方向とは逆である駅に来たのだから……。
俺は背中に汗が流れたのを感じた。
せめてもの抵抗として電車をずらそうと駅の階段を駆け抜けた。
詩織の方が速かったね。
短いスカートなのに凄い。
下にいても見えなかったろう。
特殊能力の持ち主なのかも。
そんなくだらない事が頭に浮かんだ。
ちょっとだけ落ち着いた。
電車のおかげで光の柱から遠ざかれた。
光の柱は駅にいると思われる。
危なかった……俺は電車の窓から遠のく光の柱を見て、安堵の息を漏らす。
詩織が心配そうに俺を見ている。
俺は離れたよと伝えた。
詩織の顔は笑顔とまではいかないが穏やかになっていった。
あ、駅のホームでは魔法陣に出会わなかったよ。