出会って1年
フィクションです。登場する人物・団体・地名・施設等は架空の存在です。
実在する人物・団体・地名・施設等とは一切無関係です。
リツコさんと出会ったのは2017年の10月だったと思う。あれから約1年。まさかこんな事になるとはお互い思っていなかっただろう。少なくとも俺は思っていなかった。こんな俺とうら若き……若くは無いか。お嬢さん……でもないな。うん、中身は理恵あたりと変わらない女の子だ。相手が俺で良かったのか不安になる。でも好いてくれてるし、まぁいいか。
「もうすぐ出会って1年やな。リツコさんは記念日とか気にする?」
「ん~っと、気にする方じゃないけど記念日は欲しいかな」
そう言いながらリツコさんが差し出したのは婚姻届だ。
「式の準備もあるし、忘れないうちに籍だけ入れたらどうかなって思って」
クールに装っているつもりかも知れないが視線が踊っている。これは気まずい時や嘘をついている時の目だ。
「本当の所は?」
「出会ったのが10月の始めだからそこで籍を入れたいの……」
良く見ればすでにリツコさんの欄はハンコを押して記入済みだ。
「ん?リツコさんの誕生日は7月やん、何で言わんかったんや」
「忘れてた」
難しいお年頃である。
「ケーキでも買ってお祝いしたのに。本当の所は?」
「歳を取ったって認めたくないのよ」
若い頃なら誕生日を盛大に祝うのだが、今のリツコさんは歳をとる事を認めたがらない微妙なお年頃の女性である。まぁアレだ、あまり無粋な事を言うのは止めておこう。ちょっと不機嫌になってしもたし。
「それにしても、ようけ沢山書くとこが有るなぁ」
本籍地や何やかんやと書いていくが保証人と言うか証人の欄が開いている。証人の欄の片方にはリツコさんの弟分というか、舎弟の竹原さんの署名と捺印が有る。
「中さんは誰に書いてもらうの?」
「ん~っと、やっぱり大事な事やしなぁ……」
◆ ◆ ◆
「お?証人の欄か?よっしゃ書いたる」
気楽に引き受けたのは市役所の運転手を定年退職して悠々自適な生活を楽しむ安井だ。独り身だった大島の事を誰よりも心配していた男である。
「これで良し、ハンコをギュッと」
「なんでそんなもんを持ち歩いてるんや?物騒やで」
普段から印鑑を持ち歩くのは非常に危険な事だが、今日の安井が印鑑を持っているのは銀行へ用事があってそのついでに大島の店へ寄ったからだ。
「普段からこんなもんを持つかい、用事があってこっちに来たから寄っただけや。それに招待状ももうてるしな。ほれ、お祝いや」
「おおきに」
「開けてみ、感動するで」
貰ってすぐに本人が居る前で祝儀袋を開けるなんて変だと思った大島だったが、渡した本人が言うならと祝儀袋を開けた。
「3万円……」
「妥当なところやろ」
御祝儀は割り切れない数するのがお約束。
「泥が付いてる。何で?」
「その方が盛り上がるやろ?」
安井のおじさんも、そのドラマを見ていた訳で……そして、高嶋市にも秋がやって来た。
――――― 大島サイクル2018 秋・結び―――――
♪~
頭の中でタイトルが出て『あの曲』が流れた。歌詞は出てこなかった。
◆ ◆ ◆
安井さんに署名してもらった翌日、俺達は市役所へ行って婚姻届を提出した。俺たちにとって記念日ではあるが、役所の人間からすれば単なる業務の一環だ。祝いの言葉などは特に無く「はい、書類に不備は有りませんね」であっけなく受理された。
「何だかそっけなかったね」
「役所なんかそんなものや、仕方ないで」
市役所を出て初めての会話は普段と変わらない淡々としたものだ。若いカップルならキャッキャと燥ぐかもしれない所だが、残念ながら俺達はそこそこ歳を取っているから燥ぐ事は無い。
「リツコさん、ちょっとデートしようか」
「うん」
悲しいかな、大人がデートする様な場所は安曇河町には無い。狭い町だから二人で腕を組んで歩いていたら知り合いに会いまくる。かと言って観光が目玉な北部へ行けば治安が悪くて神経を使う。大切な女性と連れ立って行くようなところではない。
「どこか行きたい所は有る?」
「どうしよっかな、琵琶湖でお散歩とか?」
「悪くない」
軽バンを走らせる。途中でちょっとした飲み物とお菓子を買って、目指すは琵琶湖。他県の人からすると琵琶湖へ行くなんて観光かも知れないが、滋賀県民からすると日常茶飯事。滋賀県の6分の1は琵琶湖なのだ。つまり、歩いたら6歩目で琵琶湖に足を突っ込んでしまうと言う事だ。12歩目で両足がずぶ濡れだ。
湖岸にある駐車場に車を停めて砂浜に出ると思ったより風が強い。浜の方は先日の台風の影響か松の葉が散乱している。
「ちょっとプラプラしよう」
「うん、浜まで来るのは久しぶり」
若いカップルならキャッキャうふふとイチャつく所かも知れないけれど、俺達は大人なのでそんな事はしない。しないつもりだった。
「ねえ、中さん」
「何?」
「手~繋いで」
「はい、こうかな」
普通に手を繋ごうとしたらリツコさんは指を絡ませてきた。
「こうよ」
「なるほど」
若いカップルがやっている指を絡ませてする手つなぎだ。リツコさんの指はアクセルやクラッチを操作しているからか思ったより力強い。それでもおれの手に比べると細くて華奢だ。節くれだってオイルが浸み込んだ指の俺の指と対照的なリツコさんの女性らしい指。絡ませた指の様に2人で過ごしていくのだと思う。
「この手はバイクを組み立てて私にお料理を作ってくれる働き者ね」
リツコさんがキュッっと手に力を入れたのが解った。俺はリツコさんが握りしめたのと反対側の右手で彼女の顔を触り、
「ガブッ」
「あうっ!」
アイアンクロ-をした。
「それは左手。料理をしたり工具を握ったりするのは主にこっちの手!」
「にゃう~!」
冗談はさておき、リツコさんの掌は柔らかくて華奢だ。
「どうしたの?真剣な顔をして」
「ん? そんな顔してる?」
元気だとは言えリツコさんは女性だ。華奢で柔らかくて弱い。この手に苦労の跡を刻まない様に精一杯生きなければと思うと気が引き締まる。それが顔に出てしまったらしい。紙切れ一枚出しただけなのに昨日と今日で俺達の関係は大違いなのだ。
「何か思いつめてるみたい。こんなダメ女と結婚なんて後悔してる?」
「リツコさんはダメ女と違う。後悔なんかしてへんで」
「じゃあ、どうしてそんな顔なのよ。スマイルスマイルっ!」
「ほい、ニ~ッ」
これからもリツコさんは俺に刺激を与え続ける。俺はリツコさんに何を与える事が出来るだろうか。そんな事を考えると身が引き締まる思いだった。




