卒検
このお話はフィクションです。往生する人物・団体・地名・施設等は全て架空の存在です。
実在する人物・団体・地名・施設等は実在するものと一切関係がありません。
今日は卒業検定。今津・藤樹・小島の新1年生3人組みは順調にコースを周り終えた。
「麗ちゃんは坂道がヤバかったよね」
「うん、一瞬焦ったけど多少は大丈夫…だと思いたい。瑞樹ちゃんは?」
「急制動でリヤがちょっとロックしてしもたかな?教官は笑ってたから…」
「ヘルメットを投げてた人…来てないね」
「タイムオーバーかな?」
「怖い人だったよね~」
そんな3人以外に何人か他のクラスの生徒も来ている。
「一本橋も何とかこらえたし、坂道は完璧。急制動は音が凄かったけど…お願い、受かって!」
その中には大島サイクルでホッパー購入を予約した女の子の姿も有った。
真旭自動車教習所は電光掲示板での合否発表ではなく、紙で張り出しての発表だ。
「は~い、合格発表で~す。『5月2日 技能検定受験者 全員合格』っと」
受付のお姉さんが貼りだした紙を見て高嶋高校の生徒たちは安堵した。
午後からは学科検定。これに関しては若さゆえの素直さと記憶力が生きる。
引っかけ問題もなんのその。3人とも余裕で合格した。
「でもさ、結局免許センターでも学科を受けんとアカンのやな」
「4輪の免許が先なら行って免許を貰うだけなのにね~」
「守山まではどうやって行く?麗ちゃんは大津出身だから詳しいよね?」
――――翌日――――
「堅田駅からバスで守山か…高嶋市だと路線バスは滅多に乗らないからね」
「う~ん、バスが在ると便利なんだけどね」
「在っても使わへん、使わへんから便が少ない。で、使わへんの悪循環や」
堅田駅で免許センター行きのバスを待ちながら見回すと高嶋高校の制服が多い。
これは生徒の就職活動の一環として認められているからである。学校外ではあるが学校と同じ。
クラブ活動や高体連の大会に出るのと同じ扱いだからである。
「他のクラスの人も来てるみたいやな」
「それにしても、『就職活動の一環』でバイクの免許なんて珍しいよね」
「お父さんの頃に『バイクに乗らせて警察に任せる方がマシ』てなったんやって」
瑞樹は父の高校時代の話を2人に話した。
「……で、お父さんが卒業した翌年からバイク通学が出来る様になりましたとさ」
「ふ~ん。大島のおっちゃんも似た事を言ってたね」
「瑞樹ちゃんのお父さんって何歳だっけ?おっちゃんと同じくらい?」
「今年で…43か44」
「私のお母さんより少し上…それでお母さんは(バイクの)免許を持ってる訳か」
「四葉ちゃんのお母さんって高嶋高校のOGだっけ?」
◆ ◆ ◆
さて、3人が免許センターへ本試験を受けに行っている間、高校時代に散々自転車で悪さをしてバイク通学の道を開いた悪ガキの成れの果ては個人的に気になっていたバイクを弄っていた。
「ウチへの入庫は初めてやな…パーツリストを買わんとな…」
大島の前に在る大柄なオレンジの車体はホンダの3輪スクーター『ジャイロX』
1980年代初頭に販売が開始され、今や新聞配達・乳酸菌飲料販売・小口配達などに大活躍の
3輪バイクである。残念ながら不動となり、修理をするのが面倒と思った前所有者がバイク回収業者に引き取らせたものだ。
そのバイク買い取り業者は金にならないと判断した。そこで以前から大島と付き合いがある業者は潰すのは勿体ないが金にもならないポンコツ3輪バイクを昼飯代にしようと大島の元へ運んだのだった。
「よう大島ちゃん、面白いのが入ったから買わね?」
「ああ?何やいな…お?面白い奴やんけ」
「1200円でどうよ?」
「もう一声」
「じゃあ1000円」
「ん、買った」
そんなやり取りの後でやって来たのはオレンジ色の角ばった車体の3輪バイク。
「キャブレターは…排ガス規制前か、古いな…部品は出るんかな?」
このジャイロXは2ストロークのエンジンを積んだモデル。
「フレームナンバーはTD01-1300…前期型か…デフが無いやつやな…」
ジャイロXの前期型は右のタイヤを駆動して、左のタイヤはそれと合わせて動く。
左右のタイヤを1本のシャフトで繋いでしまうとカーブで左右のタイヤの回転差を
吸収できない。曲がり易くするために旋回時の左右の回転差を滑って吸収する
ディファレンシャルクラッチが付いているのだが…
「何となく弱い気がするな…それで右タイヤばかり減ってるんかな?」
左右の回転差を吸収する部品の中に入っている多板クラッチ。これが減ると
右のタイヤからの駆動力が左のタイヤに上手く伝わらず、結果として右のタイヤばかりが減る。
「ロックして手で回るって事はそれだけの駆動力しか伝わってないって事やな」
まぁ駆動力云々の前にエンジンがかからない訳だが。
「まずはエンジンをかける所から始めるか」
数か月前までは動いていたらしい。急に動かなくなってキャブレターが詰まったと
判断した前持ち主が分解掃除はしたらしいのだが…
「プラグが減ってズルズルやな…とりあえず交換。在庫は…あ、あった♪」
良い混合気・良い圧縮・良い火花が揃えば大概のエンジンはかかる。
キックした感じでは圧縮は大丈夫、外したプラグからガソリンの匂いがしたので
とりあえず混合気は来ているだろうと大島は判断した。
「となれば、火花が在ればエンジンはかかるはずなんやけど…」
スパークプラグを車体の金属部に接触させてスタートボタンを押すがウンともスンとも言わない。
「バッテリー上がりやな…仕方ない」
キックペダルを踏み下ろすがスパークプラグは何も反応しない。
「電気が来てないな…コイルまではどうや?」
試しにスーパーカブのイグニッションコイルを取り付けてキックペダルを踏むと
ピチピチと音を立ててプラグから火花が飛んだ。
「これを付けとくか…エンジンはかかるかな?」
プルンッ…ブブブブンブブン…
「よっしゃ、エンジン始動…おいおい…おおっ!」
キック1発でエンジンが息を吹き返したのは良いのだが、今までエンジンをかけようと前の持ち主が散々キックしたのだろう。燃焼室にたっぷりと在った2ストロークオイルが燃えて工場の中は白煙に包まれた。
「ゲホッ!……ドリ○のコントかよ…」
このあと、この三輪車は中を楽しませる事になるのだった。
◆ ◆ ◆
「何だか妙にオイル臭くない?」
「ゴメン。ミスった」
家に漂う2ストロークオイルの香り。昔乗っていたミントの事を思い出した。
「何したの?マフラーを焼いたとか?」
「リツコさんはメカの事は知らんのじゃなかったっけ?」
中さんは不思議そうに私を見てるけれど、実際に私はメカの事はあまり解らない。
「お父さんがバーナーで焼いてたのよ。炙って着火したらエアーを吹き込んでた」
「あのジャイロも焼かんとアカンかもしれんな」
へぇ~ジャイロ。3輪車だね。中さんってカブ系専門だと思ってた。
「ジャイロ?珍しいよね?中さんが触るのって」
「興味は有ったんや。連休の間にちょっと触ろうと思ってな」
明日からは連休。ゴールデンウイークは中さんも休む。
琵琶湖一周するサイクリストの扱いが難しいんだって。
「ふ~ん、ところで、私も明日から連休だけど…私は触らないのかな?」
「触ってほしいんか?」
お?珍しく乗り気だ。
「触りたい?」
「触りましょう」
明日からは連休。この晩、それはそれは丁寧に潤滑されてホーニング(?)された。
「リツコさん?その2つ丸い黒いのが付いたカチューシャは何?」
「ツ・イ・ン・カ・ム♡」
「(大人の都合上名前を出せない)みたいやな」
「今日の私はCR110…ブンま・わ・し・て♡」
「OK、AC15の様な夜を過ごそう」
「うん♡……あ♪」
中さんも絶好調。私はレッドゾーンまでブン回されることになった。