こちら滋賀県高嶋市安曇河町藤樹商店街 自転車・バイク販売・修理の大島サイクル
フィクションです。登場する人物・団体・地名・施設等は全て架空の存在です。
実在する人物・団体・地名・施設等とは一切無関係です。
『大島サイクル営業中 2017年度』の続きです。
俺は大島 中。藤樹商店街の片隅にある小さな自転車屋の店主だ。
一応自転車屋だけど、どちらかと言えば自転車よりバイクの方がメインの商売かな?
年老いた先代から店を継いで…何年やったかな?まぁええ、本年度も元気に仕事だ。
今日から2018年度が始まる。年度が変わったからと特に変化は無い。
「今日は早いんやね。はい、お弁当」
「行ってらっしゃいのチューは?」
「恥ずかしいから堪忍して」
「点検は午後からだから、よろしくね」
「行ってきま~す♪」
「いってらっしゃい」
昨年度から変わった事と言えば婚約した事だろう。下宿していた女の子…と言うには少し大人過ぎか。リツコさんといつの間にやら恋仲になり、とうとう婚約してしまった。挙式は少し先で10月の予定。俺は下宿人に手を出してしまった悪い大家だ。
いつもならリツコさんにお弁当を渡して店を開けるところだが今日は開けない。午後からリツコさんの勤務先である高校でバイクの点検があるからだ。滋賀県立高嶋高等学校は全国でも珍しいバイク通学を許可している学校。バイクと言っても原付の125㏄までではあるがバイクに違いない。交通法規を『乗らせることで覚えさせる』珍しい学校だ。
そんな高嶋高校だが、去年、生徒が単独死亡事故を起こしてしまった。事故の理由は色々ある。その辺りは警察の指導の下で学校が色々とやっているから我々がどうこうする事ではないだろう。
我が大島サイクルでは125㏄までの原付2種の車体が小さいバイクを得意としている。主力車種はスーパーカブを始めとする横型エンジン車だ。最近出た新型はまだ売れていない。10キロ先にある高校への通学がメインの顧客。予算が少ない高校生には値段が手ごろなキャブレター時代のバイクしか売れていない。
年度が変わって新学期までの間に売約済みのバイクの登録・ナンバー取付けをしなければならない。高嶋高校のバイク点検は午後から。空いた午前中は市役所で登録手続きをする。
「で、このバイクは登録したらナンボこれ…くれるんや?」
「登録に手数料は要らんでしょ?何言ってるんですか?」
「今都やったら小遣いくれる店もあったのに…これから安曇河は…)
「で、あなたの御名前は?」
毎回失礼な対応をされるので窓口の受付では必ず担当者の名前を聞く。5町1村が合併した滋賀県高嶋市。人事担当者が今都の者になってから妙に対応が悪い。他の町を見下す今都町の人間ばかり採用するからとか噂が流れているが、恐らく本当だろう。昔の安曇河町役場の暖かな雰囲気が懐かしい。
「あなたの対応が適切でなければ関係部署に問い合わせたうえで世界中に伝えますので」
ここまで言うと何とか世間並み程度の対応をしていただける。
ナンバー交付を待っていると知り合いから声をかけられた。
「中ちゃん、今日はお休みか?」
「今日は昼から用があるんや」
「あんたもいろいろ忙しいなぁ」
春先のバイクシーズンは登録で役所へ行くのが面倒だ。手続きが溜まると店を閉める事も在る。正直なところ店でバイクを直している方が忙しいと言えば忙しいのだが、店を閉めて出歩くとそう見えるのだろう。
今年は秋に結婚式を控えているのでその準備も忙しかったりするのだが…
時計が昼前を示している。昼飯を食いながら高校へ向かおう。
◆ ◆ ◆
今都町に有る滋賀県立高嶋高等学校。我が母校だが交通の便が悪い。通勤・通学時間帯は何とか30分に1本の電車があるのだが、それ以外は1時間に1本。しかも駅から学校までは20分ほど歩かなければならない。今都と言う街は特に時間潰しをする店も無い。治安が良くない。市の防災情報メール『ナウ高嶋』での不審者情報は9割方今都町。そんな街で遅くに歩いたり駅で電車を待つのは非常に危険。なぜこんな所に学校を建てたのか疑問だ。交通に不便な地域だからバイク通学が許可された経緯を持つ。
「お集まりいただきましてありがとうございます。生徒指導の竹原です」
サングラスを掛けたゴツイ体の生徒指導。生徒指導って俺たちの頃からこんなのばっかりだ。リツコさんの話によるとボクシングをやっていたとか。サングラスは眼を隠す為。サングラスの下にはもっと怖い虎の様な目が隠れているとか。
「今回は地域ごとに別れて点検します。各地域で分けてありますのでよろしくお願いします」
教師の指示で各地域のバイクの元へ行く。安曇河町の担当はリツコさんだ。
「おい、あれってお前の嫁さんやな?」
「籍は入れてないから嫁と違う。婚約者や」
まだ婚姻届は出していないから妻ではない。婚約者だ。
「おい、こっち見てるぞ」
「そうやな、ちょっと反応しとこか」
こっちを見たので軽く手を振ったらはにかんで振り返してきた。ちょっと可愛い。
安曇河から通う生徒のバイクは整備が行き届いたものが多い。
これは自動車関係の商売をする連中の集まりである車輪の会の力が大きい。得意分野を持ち寄って苦手部門を補い合う。それで隅々まで整備が行き届くのだ。
真旭・高嶋・朽樹は整備業者が点検をしているが、蒔野・今都のバイクは警察と教師だけで点検している。今都はバイク店が無い。農機具店に出している者も居る様だが整備が行き届いていないバイクが多い。
「大島ちゃんよ。例の話は知ってるか?」
「大津のバイク屋からの話か?引取り賃の話やろ?」
安曇河を始めとする各街で嫌われて整備を断られた今都のバイク乗りは整備工場を求めて南下し、浜大津まで行ったらしい。そこまで行くと無料で修理引取りなんか無理。浜大津のバイク店が引取り代を請求したら文句を言われたので整備お断りしたそうだ。今では草津まで整備に出そうとしている連中もいると聞く。まぁ例によって断られているらしい。そのうち琵琶湖一周する事だろう。
本年度から高嶋高校のバイク通学の規定が厳しくなった。学校から2キロ以内はバイク通学禁止。成績・素行不良が多いBコースの生徒は原則バイク通学の許可はされない。バス路線が在る場合はバス通学をする様に勧められる。もしも規則を破れば処分が下される。実質今都の生徒からバイクを取り上げる校則になった。
高嶋・安曇河・真旭の南部地域と朽樹のバイクは難無く検査に適合。ナンバー裏に特殊なシールが貼られた。今都・蒔野の北部地域のバイクは点検が終わらない。
「お疲れ様です。安曇河各店のバイクは無事点検終了です。ありがとうございました」
南部と朽樹の整備士は解散となった。
「磯部先生、こちらの点検もお願いします」
「はい」
リツコさんはウインクして今都のバイクが集められた方へ歩いて行った。
◆ ◆ ◆
日が暮れてしばらくしてからリツコさんが帰って来た。
「ただいま~」
「お帰り。今日はお疲れかな?」
「うん。先にお風呂に入っちゃおうかな?メイクも落としたいし」
「お湯は入れてあるから入っておいで」
「うん」
今日の彼女は公式行事用のフルメイク。通称タイプ1だ。
あるマンガの3姉妹に例えると長女な様なセクシーな感じの顔をしている。
リツコさんがお風呂に入っているうちに晩御飯を用意しておく。
特にご馳走を作るわけじゃない。ごく普通の煮物や炒め物の家庭料理だ。
「お先♡さっぱりした♪」
メイクを落とすと急に童顔になる。この状態がタイプ2。さっきの漫画で言うと
末っ子みたいな幼い感じだ。
「で、今日はどうやったん?今都の方にも借り出されてたやん」
「今都はボロバイクが多かったね。やっぱりメンテナンスが大事ね」
同じ高嶋市のバイクでも地域によって車種や整備状況に違いが在る。北部地域の学生は125㏄で排気量の割に大きな車体のバイクが好み。新車を買うが乗りっ放しなので寿命が短い。下手をすると3年間もたないほどだ。全体的に使い方が荒い。我々北部地域の生徒のバイクは小ぢんまりとした古めの車体が多い。でも、整備はしっかりできているから卒業後も乗り続けたり、両親が乗ったバイクに子供が乗るパターンもある。カブなんか祖父母から引き継いで乗る子も多い。
「リツコさんも酷い食生活を続けてたらボロボロになってたかも」
「今思えば怖い話よね。一緒に住んで良かったよね」
リツコさんは料理が苦手だ。一緒に住むようになったきっかけがご飯だったりする。高校を卒業して大学4年・社会人になって8年で30歳のリツコさん。我が家へ来るまで3食コンビニ飯だったんだとか。
ひょんな事から我が家でご飯を食べているうちに居付いてしまった。まるで餌付けした猫みたいだ。よく見ると少しつり気味な眼がニャンコっぽくもある。実際、良く布団に潜り込んできてた。
ご飯を食べていたら俺に食べられた…失礼しました。
ご飯と言っても俺は一流のシェフじゃない。独身男が生活するのに身に着けた生活の手段だ。最近流行のチート?なんだっけ?特殊能力とは違う。一人になってから必死になって覚えただけの家庭料理だ。
「俺も良かった。一緒にメシを食う相手がいるって良いな」
「食べるのはご飯だけなのかなぁ?」
悪戯っ子の様な眼で俺を見つめるリツコさん。ちょっと目がうるんでいる。
「そっちは週末のお楽しみや。朝寝坊するしな」
「朝寝坊する…ね。試してみよっか♪」
◆ ◆ ◆
「ああああああ!寝過ごした寝過ごした!」
「ほら見てみい!あんなに何回もするからや!」
リツコさんの言う通りに試してみたら案の定寝坊した。求められるまま限界まで頑張ったので俺も寝坊した。寝坊だけならまだ良いが、シャワーを浴びたりしていると時間は過ぎる。当然リツコさんは朝ごはん抜きで仕事へ行く事になる。
「だから、寝る前にシャワーを浴びてって言ったのに!」
「仕方ないでしょ!あんなに激しく動いたんだから!」
何をどう動いたのかは聞かないで欲しい。とにかく2人して疲れてぐっすり寝た。
「いいい行ってきますっ!」
フュルン…ファオン…フォオオオオン…フヲォオオオン
「ち・こ・く・す・る~!」
(ドップラー効果って人の声でも分かるんやなぁ…)
寝坊した朝、リツコさんはリトルカブではなくゼファー1100に乗って仕事へ行く。
学校へ行くまでにコンビニに寄る時間は無い。学校の購買は春休み中は開かない。
「さてと、早いところ食べもんを持って行かんとな」
お腹が空いたとうなだれるリツコさんの姿が脳裏をよぎる。
お弁当と握り飯を大急ぎで作る。
「せめて10時には間に合わせんとな…」
ゴリラのトップケースに握り飯とお弁当を積んで高嶋高校へ走り出す。
愛する婚約者に飯を作り、学生達にミニバイクを作る。
そんな俺の新年度はバタバタと慌ただしく始まる…。