5-1 アンゲル ロハン エブニーザ クラウス
冬の休暇前
道路には雪が積もっている。アンゲルは、よろよろと、慣れない雪道を歩いていた。
……雪なんて嫌いだ!!
アンゲルは、心の中で悪態をついていた。先日、いつもなら負けないイシュハ人(特にヘイゼル)の雪玉攻撃にあって、こてんぱんにやられてしまった。雪に足元をとられて、上手く逃げることができなかったのだ。
運動不足になっていると感じたアンゲルは、ロハンを誘ってジョギングを始めた。
しかし、ほんの4、5分走っただけで、ロハンは疲れ果ててうずくまってしまった。
「まだ全然走ってないだろ!?」
「だって……昨日バイトで遅かったし……もう1キロは走ってるじゃないか」
「それくらいで疲れるなよ!」
「金持ちには勝てないよ。いいもの食って高いフィットネスに通ってんだから」
ロハンが、よくわからない言い訳を始めた。
「なんだよそれ」
「今日だって夕方からバイトなんだからさあ、体力取っとかないと」
「1キロ走る体力もないくせに、なにを取っとくんだよ!?」
仕方なく、アンゲルは一人で外を走っていたのだが、ちゃんとした防寒具を着ていなかったため、体が冷え切ってしまい、気分まで異常に落ち込んでしまった。
エブニーザが図書館から帰ってくると、死人のような顔で、ヒーターの前に座り込んで震えているアンゲルの姿があった。
「……何してるんですか?」
「寒いんだよ」アンゲルが震えながらつぶやいた「さっきからヒーターの前にいるのに、ちっとも暖かくならないんだよ」
「寒い日に、長時間外にいると、冷え切ってしまうんですよ。それで、しばらく戻れないんです。ちゃんと保温しないで外を歩くからいけないんですよ。いきなり温めようとしても無駄で……」
アンゲルがきつい目でエブニーザを睨んだので、エブニーザは言葉を切って、自分の部屋に逃げた。
あいつ、自分も管轄区出身のくせに!!
そしてふと疑問に思う。エブニーザの口から、女神イライザとか、信仰とか、そういう言葉を聞いたことが一度もないな、と。
そういえば、祈ってるのも見たことがない……。
祈らない管轄区人なんて、俺以外に見たことがないぞ。
もしかして、あいつも女神なんて信じてないんじゃないか?
尋ねてみようかと思ったが、ヒーターから離れたくなかったので、やめた。
次の日、カフェで会ったエレノアに『寒過ぎて死にそうだ』と言うと、エレノアは笑ってこんなことを言った。
「体は常にあたためておかないとだめなの。声楽家は絶対に体を冷やすようなことはしないの。そうしないと声が出ないってわかってるから」
「ふーん」
「スポーツのウォーミングアップと同じよ」
「ああ、そういえばそうだな……」
アンゲルはサッカーを思い出した。練習しなくなってからもう半年は経っている。きっと、今チームに参加しても、前ほど上手くはプレーできないだろう。
「そういえば、この前ヘイゼルとサッカーをしてたわよね」
エレノアは何気なく言った(ついでにエブニーザについて聞こうと思った)のだが、アンゲルはびくっと体を震わせた。
「ああ、あれは、ヘイゼルが……」
「チームに入ってるの?」
もちろん、エレノアはわざと聞いたわけではない。
しかし、アンゲルにとっては、一番されたくない質問だった。
「そんな余裕ない」
冷たい声でつぶやくと、アンゲルは勢いよく立ち上がり、その場を離れてしまった。
……どうしたんだろう?
一人残されたエレノアは、アンゲルの後ろ姿を見ながら困惑していた。
休暇が始まる前の日に、アンゲルはクラウスと話をした。クラウスは管轄区の実家に里帰りしなくてはいけないのだが。
「行きたくないんだよ」
と力なくつぶやいた。
「行ったらまた、祈りだ聖書だ新年の行事だ……意味がわからないことを無理矢理させられるんだ」
「だったら行かなきゃいいじゃないか」
「寮が、新年の間、閉まるんだ。行くところがない」
「寮が閉まる?」
アンゲルはそんな話を聞いたことがなかった。安い寮だけだろうか?
「アンゲルは帰らないの?」
「帰らないよ。なあ。一度家を出たら、めったに帰らないもんじゃないのかな?なんていうか……出世するまで帰ってくるなみたいな」
「ずいぶん古臭い話だね」
クラウスが笑った。
アンゲルは衝撃を受けた。ごく当たり前の事を言ったつもりだったからだ。
こいつに古臭いなんて言われるようじゃ……。
クラウスは、いつもより明るく、元気そうに見えた。きっと休暇のせいだろうとアンゲルは思った。
いくら女神を信じてなくたって、慣れた家に帰れるんだから、多少は気が休まるだろう。
そういえば、うちの親はどうしているだろう……?
あの、標準的な、善良なイライザ信徒たちは……。
特に宗教の話にもならず、『また会おう』と約束して別れた。
アンゲルは、クラウスの事はすぐに忘れてしまった。休暇の時間をどう使おうか考えていたからだ。
もちろんアルバイトには行くし、勉強しなきゃいけないからな。でも、せっかくイシュハに来たんだから、もっといろんな所を見て回ったほうがいいかもしれないな……。
そんなことで頭がいっぱいだったのだ。
この日の事を、アンゲルは、一生後悔することになるのだが……。




