4-21 エレノア フランシス 女子寮の部屋
エレノアがレッスンを終えて道を歩いていたとき、誰かに足をかけられて転んでしまった。
うずくまったまま後ろを見ると、音楽科の生徒らしき数人が、笑いながら去っていくのがわかった。
「こっちの校舎は質の悪い生徒が多いですな!」
いつのまにか、ヘイゼルが目の前にいて、エレノアに手を差し出していた。
「大丈夫かな?」
「ありがとう……どうしてここに?」
「あそこに用事があってね」ヘイゼルは音楽科の校舎の隣の、集会場を指さした「女神アニタ様を信じている哀れな古代イシュハ人の集会があったんだが、またご令嬢がヒステリーを起こしてね」
「フランシスが?」
「隣の席の女とケンカして、水を浴びせて平手打ちして飛び出して行った」
「えっ?」
顔をしかめたエレノアに、ヘイゼルは両手を振ってなだめるような顔をした。
「いやいや、今回ばかりは相手が悪いのさ。『暇つぶしに学校に来てるんでしょ?どうせお金持ちとお見合いして終わりですもんね。シグノーのご令嬢は気楽でいいわね!』なんて言われてみろ、誰だって怒るさ。水どころか、灯油をかけて火をつけてやってもいいくらいだ。そう思わんかな?」
「火なんかつけちゃだめよ!」
「わかってるわかってる、たとえ話さ。そんなことを言われたら、シグノーのご令嬢じゃなくたって怒るだろ」
「でしょうね……フランシスを探すわ」
「頼みますよ。俺はボルディ・ツルッパゲーノの授業に出なくてはいかんのでね」
ヘイゼルは、偉そうにそう言いながら去っていった。
もしかして、わざわざ私に知らせるためにここで待ってたんじゃ……?
と疑うが、すぐに女子寮に向かって走り出す。
寮に戻ると、やはり中でガチャーン!と何かを破壊する音が聞こえた。
おそるおそるドアを開けると、皿と花瓶と、何本かの化粧品のビンが割れて床にちらばっていて、フランシスが荒い息で肩を上下させながら立っていた。後ろ姿なので顔は見えない。
「フランシス?」
エレノアが声をかけるとフランシスが振り返った。涙でマスカラが流れていて、顔がめちゃくちゃだ。
「どうしたの!?」
エレノアが叫ぶと、フランシスが声を上げて泣きながら抱きついてきた。まるで、いじめられて泣いている小さな子供のようだ。
フランシスの背中をさすってなだめながら、エレノアは不思議に思った。
この間の映画のときもそうだったけど、いいところのお嬢様が、どうしてこんなに子供っぽいんだろう……?
数時間経ってフランシスが落ちついたあと、エレノアは恐る恐る、気になっていたことを口に出してみた。
「ヘイゼルって本当は優しい人なんじゃない?今日のことも、エブニーザを連れ回していることも……面倒なことは避けるでしょう?普通は。どうしてあんな高慢なふるまいをするのかしらね」
意外にもフランシスは怒らず、冷静に、
「シュッティファントだからよ」
と答えた。
「黙っていたら、シュッティファントっていう家に押し潰されるからよ。私がシグノーに潰されているみたいに」
エレノアをじっと、深刻な目で見つめた。
やっぱり子供のような目だ、とエレノアは思った。成長していない目。成長したいのにできない人間の目だ。
「私だって同じ……そうね……家の名前が呪いみたいに、どこにいっても付きまとってくる。みんな、シグノーとかシュッティファントっていう名前しか見ない。ヘイゼルとかフランシスっていう人間がいるって知ってもらうには……そうね、だからよ、だからあんなとんでもない言動をするのよ。みんなが私やヘイゼルを家の名前でしか判断しないから……だからムカツクの」
そして、
「あなたがうらやましいわ、エレノア」
と、ささやいた。
「暴れたり物を投げたりするより、もっとましな方法がいくらでもあると思うけど……」
とエレノアはつぶやいたのだが、フランシスはそれを無視して、他人の悪口を延々としゃべりはじめた。
おおよそ脈略も根拠もない内容だったが、『イシュハの上流階級が大嫌い』だということと『自分も地位が高いはずなのに、好きなこともできずに親のいいなりになっている』ことが気に食わないのだということが、エレノアにはなんとなくわかった。




