4-2 アンゲル ヘイゼル 田舎からの荷物
授業のあと。
図書館で本をあさっていたアンゲルに、エブニーザが、
「お母さんから電話がありますから、帰った方がいいですよ」
と言った。無表情だったが。
あの『女の子が見える』でもめた日以来、久しぶりに自分から話しかけてきたので、アンゲルは嬉しかったのだが、顔には極力出さないようにした。
「お前が電話取ったのか?」
「いいえ、見えただけです」
それだけ言うと、エブニーザは無表情のまま去って行った。きっといつもの資料室に行ったのだろう。
見えただけって何だ……?
疑問に思いながらもアンゲルは一応、読みかけの本を借りて部屋に戻った。
30分後、電話が鳴り、取ると本当に母親だった。
「食料を送る、あれも送る、これも送る、心配だ。父さんがまた変なものを森から拾ってきて云々」
同じ話を何度も繰り返して、なかなか話が終わらないので、アンゲルは頭痛がしてきたが、かといって切ることもできず、ひたすら話を合わせててきとうに返事をし続けた。
一通り話が終わって電話を切った頃には、2時間ほど過ぎていた。
アルバイトに行く時間を大幅に過ぎていた。慌てて部屋を飛び出した。
数日後。
アルバイトを終えて、アンゲルが部屋に戻ると、母親から送られてきた荷物を、ヘイゼルが勝手に開けていた。
「人の荷物を勝手に開けるな!」
「まあまあまあ」ヘイゼルがにやけながら、封筒をアンゲルの目の前にかざした「それより面白いものが届いてますぞ。『拝啓、アンゲル、ちゃんと勉強してるんだろうね、こちらは相変わらずお父さんが変なものを集めて……』」
アンゲルは逆上してヘイゼルにとびかかったが、あっさりかわされて、ソファーの上に倒れた。
「『……置き場所がないのにどうしてそんなものを持ってくるんでしょうね?何度言っても聞かないんだから。あんたが注意した方が聞くんじゃないかしら?それと、この前郵便局でカペットのおばさんに会いました。あんたが夢中になっていたミレアちゃんが……』おおお、何かね、スキャンダルの香りがしますなあエンジェル氏!」
「人の手紙を勝手に読むなあああああああ!!!!」
ヘイゼルは爆笑し、手紙を朗読しながら部屋中を飛び回った。アンゲルは真っ赤な顔でそれを追いかけ回し……。
部屋をひととおり駆け回り、アンゲルがやっと手紙を取り返した頃、エブニーザが帰ってきた。
アンゲルはビスケットを渡そうとしたが、
「遠慮します」
エブニーザはそれだけ、小さな声で言うと、自分の部屋にこもってしまった。
「あいつは偏食だぞ」
そう言いながら、ヘイゼルがビスケットを奪い取った。アンゲルがすさまじい目つきで睨んだが、全く気にならないようだ。
ヘイゼルはほっといて勉強しよう……。
アンゲルは本を開く……ふと、エブニーザが母の電話を予知したことを思い出した。
どうしてわかったんだ?かかってくる前に?
ヘイゼルにその話をすると、
「予知能力さ」
口にビスケットを詰めたまま、ヘイゼルが答えた。
「予知能力?」
「前にも言っただろ?未来が見える。何でも当てる。天才だ、だから連れてきたんだ」
「だからって、うちの母親の電話なんか予知してどうするんだよ!?」
「俺に聞かれてもわからんね……ブッ!」ヘイゼルが食べかけのビスケットを吐き出した「なんだこれは!?足の裏みたいな味だぞ!教会っ子は味覚がないのか!?」
「勝手に食って文句を言うな!!」
アンゲルは、ヘイゼルからビスケットの袋をひったくった。
そして、妙なことを始めた。
まず、テーブルの上にビスケットを全て出した。
そして、一つ一つ選別し、二つのグループに分け始めた。
ヘイゼルはしばらく、アンゲルのこの奇妙な行動を見守っていたが、作業が半分ほど進んだところで、
「エンジェル氏」めずらしく控えめに質問した「何をしているのかな?」
「分けてるんだよ。これは生焼け。これは黒焦げ。これは材料が混ざってないから、うっかり口に入れるとまずい。さっき引っかかっただろ」
アンゲルは当然のことのように言った。手を止めずに。
ヘイゼルは、何か、見てはいけない物を見てしまったような、困惑の顔をした。
「それは……」うさんくさそうに目を細めながら、つぶやいた「なんというか……問題じゃないのかな?工業製品として、質が均一じゃないというのは」
「別に普通だろ。人間が作ったものなんだから、変なのも混ざるよ」
ヘイゼルはテーブルの上をじっと見ている。
アンゲルが分けたビスケットの山は、規格品より不良品のほうが多いように見える。
「……いちいち分けてから食わにゃいかんのかな?」
「何だよさっきから」アンゲルがヘイゼルに抗議の目を向けた「別にビスケットじゃなくたって、何だって、まず袋の中身がちゃんとしたものか、確かめてから食うだろ?」
「確かめなくても食えるものが入ってるべきじゃないのかね?」
「確かめないで変なもの食ったらどうするんだよ?」
「メーカーに電話して、苦情を言って金でも取るさ……」ヘイゼルは、ビスケットの空き袋を手に取った「何も書いてないな」
ヘイゼルは袋を持ったまま立ち上がり、
「ツルッパゲーノのレポートのネタにするとしよう」
と言いながら、部屋を出て行った。
アンゲルはしばらく『またツルッパゲーノ?』と考えながらビスケットを選別し、それが終わると、母親から送られてきた箱の中身を点検し始めた。
ビスケットがさらに2袋と、質の悪いノート。クルミが一袋。
空き箱を片付けようとした時、荷物の中に、見覚えのある黒い表紙の本を見つけた。
それが何か分かったとたん、アンゲルは身をひきつらせた。
聖書だ。
イライザ教の。
見間違いだったらいいのに、と思った。
しかし、どう見ても、それは、そこに存在していた。
アンゲルはそーっと、両手で『イライザ教の聖書』を箱から取り出した。
どうしてこんなものを送ってくるんだよ!?
アンゲルは頭の中で叫んだ。
いや、理由はわかっている。アンゲルの両親は普通の管轄区の人間だ。
つまり、『敬虔なる女神イライザの信徒』なのだ。
手の中にあるその小さな本が、アンゲルには、まるで、大きな鉛の塊のように、重く感じられた。そのまま押し潰されてしまうのではないかと思うくらいに。
頭がくらくらした。せっかく逃れた何かに、再び捕まえられたような感覚に襲われた。
アンゲルは、両手でその『黒い本』を本棚まで運ぶと、本棚の背につくように入れ、その上から大きめの本を何冊かかぶせた。視界に入らないようにするために。
自分は敬虔なイライザ教徒ではない。
そもそも、女神なんて信じていない。
親を騙しているようで辛かった。
アンゲルの両親は心理学のことを知っているのだが、それでも時々、勉強をしている最中に、アンゲルはふと、両親を裏切っているような気分になることがあった。
気にしないで勉強しよう。
そう思って本を開いても、いつのまにか、本棚の方を、虚ろな目でふっと見つめている自分に気がついた。
上から何をかぶせても、隠しても、確かにそれは、そこに存在していて、アンゲルに何かを語ろうとしていた。
知りたくもない、重苦しい何かを。




