3-16 アンゲル ヘイゼル エブニーザ 男子寮の部屋
アンゲルが『人生脚本』の本を読みながら『小さいころに無意識に書いた脚本……俺、7歳の時なにしてたっけなぁ……』と考えていると、電話が鳴った。
アンゲルが電話を取ると、ドゥーシンと名乗る低い声の男が、エブニーザに代われと言ってきた。エブニーザに代わると、見たことのないような楽しそうな顔でしゃべり始めた。
ふと見ると、ヘイゼルが、ソファーから白けた視線をエブニーザに送っている。
エブニーザが受話器を置くのと同時に、ヘイゼルが質問を発した。
「お前、まだドゥーシンと何かやってるのか?」
「え?」エブニーザが言いにくそうに目線をそらした「えーと……ポートタウンの管轄区側に森があるでしょう?ドゥーシンはあそこに住んでいるんです。近いから時々会いに来いって」
「やめとけ。ろくなことにならんぞ」ヘイゼルがサッカー雑誌をめくりながらつぶやいた「あいつ自身は悪くはないがな」
「ドゥーシンって誰?」
「友達です」
「犯罪組織だ」
アンゲルの質問に、二人が同時に答えた。
「犯罪組織?」
「違います。友達です。ちょっと変わっているだけです」
「シュタイナーの手下だよ」ヘイゼルが不愉快そうに舌打ちをした「かかわらんほうがいいって言ってるのに、こいつは言うことを聞かない」
「シュタイナー」アンゲルが身を乗り出した「エブニーザ、本物のシュタイナーってどんな人間だ?」
「え?」
「実物を見た事があるんだろ?」
「ありますけど……」エブニーザが言いにくそうに身を引いた「書斎で何か読んでいるところしか見た事がないんです。僕はほとんど資料室か自分の部屋にこもっていたので……」
「シュタイナーの屋敷に自分の部屋があるのか?」
「そうですけど……」
「もうなくなってるさ。戻ろうなんて思うなよ」ヘイゼルが二人の間に割って入ってきた「お前は一人立ちしないとだめだ。シュタイナーに頼るな」
「ヘイゼル……」アンゲルは、エブニーザの顔から血の気が引いてくのをはっきりと見た「そこまで言わなくてもいいだろ。大学に入ってから考えてもいいだろ、先のことは」
「大学に行くんですか?」
「えっ?」
「何ぃ?」
アンゲルとヘイゼルがそろってエブニーザを見た。
「行くだろ?この学校は大学に行きたい奴のためにあるんだぞ?」
ヘイゼルが驚きを隠さずにそう言うと、
「どうしても、行かないといけないんですか?」
と、エブニーザが弱々しい声で尋ねた。不安そうに。
「はあ?」
アンゲルはあからさまに呆れた顔をしたが、エブニーザは真面目に質問しているようだ。すがるような目でアンゲルとヘイゼルを交互に見つめている。
「だって、エブニーザ」アンゲルはなんとかまともな説明をしようと試みた「お前、いっつも本ばっかり読んでるだろ?人に会うのも嫌いなんだろ?大学に行かないで、どうやって生きて行くつもりだよ?頭使う以外に生活する道がないだろうが」
「そうなんですか?」
「そうなんですかって……」
エブニーザは『何の事だか全然わからない』という顔をしている。
「アンゲル」ヘイゼルがサッカー雑誌をアンゲルに押し付けた「これでも読んで寝てろ。エブニーザは世の中なんか何も知らないからな」
そして今度はエブニーザの方を向いて。
「大学に行け。じゃないと俺は縁を切るぞ」
「えっ……」
ヘイゼルは立ち上がり、二人を置いて自分の部屋に戻ってしまった。
「俺だったら、喜んで行くのやめるね。あいつと縁が切れるんなら」
アンゲルは雑誌を読みながらそんなことを言い、エブニーザは不安げな顔でヘイゼルの部屋のドアを見た。
「アンゲル」
エブニーザが、かすれた声でアンゲルを呼んだ。
「何?もう遅いから寝ろよ」
雑誌から目をそらさずにアンゲルが聞き返した。
「アンゲルは。生活するために心理学をやっているんですか?」
「違う。心理学をやるのが夢だったんだよ」
管轄区じゃ、心理学で生活なんかできないしな。
アンゲルは心でつぶやいた。
「夢……」エブニーザが近寄ってきた「誰かが、見えたりしますか?」
「は?」
アンゲルが顔を上げた。
「だれか、自分以外の人が、夢で見えたり、します?」
「は?」
アンゲルはエブニーザが何を聞きたいのかわからなかった。
「夢で、別な人の人生が見えたり、しないですか?」
「知らない人が出てくることはあるけど……それが何?」
「その人に現実に会ったことは?」
「あるわけないだろ。夢なんだから。まあ、知ってる人が夢に出てくることはあるけど」
「そうですか」
エブニーザは肩を落として、いかにも落ち込んでいるようなふらふらした歩き方で、自分の部屋に戻っていった。そしてドアをそーっと閉めた。
……何だ?何が言いたかったんだ?変な夢でも見たのか?
アンゲルはエブニーザの落ち込んだ様子が気になり、ふと、
あいつの人生脚本は悲惨そうだな。書き変える必要がありそうだ。
と思ったが、手元の雑誌に『アルターの競技場でサッカー世界大会の決勝戦が行われる予定……』という記事があるのが目に入って、夢中で読み進んでいるうちに、エブニーザのことは忘れてしまった。




