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アンゲルとエレノア  作者: 水島素良
第三章

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3-8 エレノア 歌の先生を探す

 エレノアは、歌のレッスンを受けるために先生を探し始めた。

 しかし、どの先生にも、歌を聞かせたとたん、

『出て行って』

『あなたに教えたくないわ』

『悪いけど……別な先生に当たってくれない?』

 きっぱり、あるいは、遠まわしに、やんわりと、断られてしまった。

 どういうこと?先生にまで嫌われてるの?

 でも、学校の先生が生徒を拒否するなんてあり?

 困り果てたエレノアが、すがるように、ちょっと分野の違う先生(どこか小さな国の、民族音楽を教えている先生)のところに相談に行ってみると、

「ああ、わかったわ」

 派手なプリントのドレスを着て、南国風の花飾りを首に巻いた、通称『ニッコリ先生』が、エレノアの歌を聞いて、その名の通り、にっこりと笑ってうなずいた。

「あなた、上手すぎるのよ」

「えっ?」

「ここの講師って、自分がデビューに失敗したひねくれ者が多いから、あなたに教えられることがないのよ。黙って教える方のプロを目指せばいいのに、心の中ではいつまでも『俺の方が音楽の才能があるんだ!』なんて思ってる困ったちゃんばかりなのよね。ま、安心しなさい。本物のプロの先生に紹介してあげるわ」

 不安げな顔で黙りこんでいるエレノアを尻目に、ニッコリ先生は古風なダイヤル電話を回し始めた。

「あ~ケッチャノッポさん、お久しぶりね。相変わらずピザばっかりお食べになっているの?え?サラダ?珍しいわね、何が起きたのかしら?え?ああ、そうそう、実は歌を教えてほしい生徒がいるのよ。ここのクソ講師どもには歯が立たないような天才でね、え?そうそう、いじめられて困っちゃうのよ。そうそう、あなたと同じよ。いつの時代もここは変わらないのよ。イシュハ人ってどうしてあんなに妬みバカばっかりなのかしらね、オッホッホ。ええ、はい」

 ニッコリ先生が顔を上げた。

「今日の夕方4時、音楽科の西校舎のピアノ室3、時間OK?」

「え?あ、はい!!」

「じゃ~頼みますよケッチャノッポ先生、はいはい、夕飯くらいならお付き合いしてもよくってよ、ピザじゃなければね!バ~イ」

 ニッコリ先生は、楽しそうに電話を切ると、舌をぺろりと出してエレノアに笑いかけた。

「変人でやかましいダメ人間だけど、歌だけは一流だから、間違いないわよ」

 エレノアは何と答えていいかわからず、黙って愛想笑いに徹した。

 そして約束の4時。

 エレノアが『ピアノ室3』に入ると、

「いやぁ~待ってたよエレノアちゃん」

 という、ラジオのDJのような声(けっこう低温で、響く)に迎えられた。

「僕があの有名なケッチャノッポ・ウィリアムズ、よろしくね」

 有名なんだ……初めて聞いたけど……。

 ピアノの前に立っていたのは、想像していたのとは全く違う、かなり細身の、40代くらいの男性で、端正な顔をしていた。服装も上下黒の、ごく普通の現代人の格好で、音楽よりは、絵画や別な芸術が似合っているように見えた。

 見た目だけなら、ごく普通の、いや、かっこいい男性と言えなくもない。

「ささ、おいでおいで、おバカな他の講師の事は気にしないで、レッスンを始めましょう」

 ケッチャノッポ先生がエレノアを手招きした。

 そして歌のレッスンは始まった……のだが、

「ちがう、ちっが~う!」

 エレノアがオペラアリアの盛り上がるところを歌っていると、ケッチャノッポが突然甲高い声で、身をよじりながら叫んだ。

「ここは情熱の花が散る一歩手前、爆発寸前の愛の叫びなのよ!もっと声に色気がないとダメ!そして盛り上がったところで……」

 ケッチャノッポは、細い足をピアノにかけたかとおもうと、そのまま天高く飛び上がり、空中を回転しながら、スマートに、曲芸師のように床に着地した。

「華麗に決めるのよ!」

 何が起きたかわからないエレノアが呆然としていると、

「ぼーっとしないの!ほら!もう一回歌うわよ!」

 と、ケッチャノッポが伴奏を弾き始めたので、慌てて歌い始めた。

 するとまた、

「ちがう!ちっがーう!」

 が始まるのである。

 2時間ほど、この体育会系曲芸講師に振り回されることになった。

 レッスン後、エレノアが疲れ果てたうつろな目で、ふらふらと帰り道を歩いていると、オープンカフェにアンゲルの姿が見えた。本を読んでいるようだ。

『エンジェル氏はエレノアに夢中なんだけどそこんとこどう?』

 ヘイゼルに言われたことを思い出して一瞬顔が赤くなったが、

「エレノア!」

 アンゲルがこちらに気づいてしまったので、すぐ平静を装った。

「また勉強しているの?」

「いや、実習が上手くいかないから、気晴らしに来ただけだよ」

 自分が来るのを待っていたのでは、とエレノアは疑ったが、口には出さなかった。

「実習って何をするの?」

「カウンセリングを受けるだけ」アンゲルが力なく笑った「おかしいんだ、自分もカウンセラーを目指してたはずなのに、自分が受ける側になると何も話したくなくなるんだよ」

「そう……」

「エレノアは?元気なさそうだけど」

「疲れてるだけ……歌の先生がすごく変な人なの。ケッチャノッポって言うんだけど……」

「ケッチャノッポって……」アンゲルの目が大きく開いた「ケッチャノッポ・ウィリアムズ?」

「知ってるの?」

「知ってるのって、名テノールだよ!有名な!」アンゲルが突然元気になってしゃべりだした「20歳のときには『世界一のテノール』って言われて、世界中で公演してたんだ。俺の父親がよくレコード(台風で飛んで行ったけどな!)を聞いていたし、学校でも音楽の時間に聞かされたよ」

 真似して歌っていたバカな友達もいたが、それは言わないことにするアンゲルだった。エレノアに子供じみた話を聞かせたくないからだ。

「本当?」

「エレノア、プロなんだろ?どうして知らないんだよ?」

 エレノアは、今まで旅してまわった場所や人、聞いた話などを、一通り思い出してみた……名ソプラノの話なら聞いたことがあるし、有名なジャズシンガーや、同じ旅芸人の歌手には会ったことがある……。

「世界中を回っていたけど」エレノアがショックを受けたようにつぶやいた「そういえば、本当に有名な人には会ったことがないのかも……」

「あの、別に、気にすることじゃないと思うけど」アンゲルがあわててフォローした「とにかく、そんな人に教われるなんてすごいじゃないか」

「そう……そうね」

 エレノアはしばらく、コーヒーカップをくるくると回しながらぼんやりしていた。アンゲルはそれを見て『ああ、落ち込んでるな』と思った。

「そういえば!」エレノアが急に目を輝かせた「エブニーザは元気?」

「えっ?」

「クーと……ノレーシュのお姫様と仲がいいみたいなの。ノレーシュ語で話していたんだけど、何を言っているのかはわからなくて……」

エレノアはうきうきとそんな話を始めたのだが、アンゲルは機嫌が悪そうに立ちあがった。

「俺、そろそろ寮に戻らないと」

 アンゲルはいきなりそう言うと、カフェを後にした。

「じゃあね!」

 エレノアは一応声をかけてみたが、返答はなかった。

 しばらくその場に残って、コーヒーを少しずつ飲みながらあたりを見回したが、特に面白いこともなさそうなので、帰ることにした。とにかく疲れていた。

 帰ったらベッドに飛び込んでそのまま寝てしまおう!



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