3-3 エレノア フランシス クー エブニーザ
姫君クー(本人が『クーと呼んで』と言ったのだ)はあいかわらずエブニーザに見とれている。
エブニーザがぼそぼそと、でも嬉しそうにノレーシュ語で何か話して、それを聞くたびにクーも嬉しそうに応答している。
エレノアには、二人の会話が全く分からない。
「ずいぶんご熱心ですこと」フランシスが嫌味を言いながらエレノアに耳打ちした「神話の話をしてるの。エブニーザを見た瞬間に『美しすぎて、神話の再来かと思った』ですって!ノレーシュでは、500年おきに神話と同じことが起こるって信じている人がいるのよ。ノレーシュは多神教だから神が4人いるのよ」
「わかるの?」
「第二外国語はノレーシュよ」
エレノアは、姫君とエブニーザの様子を見ているうちに不安になってきた。
やっぱりエブニーザって、だれから見ても美しいんだわ……。
姫君はさっきから、エブニーザと楽しそうに会話している。好意を持っているのが顔つきからわかる。
エレノアは何か、得体の知れない不快を胸の内に感じたが、相手が姫君ではそれを表現することはできない。もっとも、エレノアは控えめな性格なので、相手が誰だろうとそんな気持ちを表現することはないのだが。
「どうする?紹介するのやめましょうか?なんだか敵に回りそうじゃない?」フランシスが小声でエレノアに耳打ちした「いずれノレーシュに帰るのよ」
「だめよ。ちゃんと紹介して」
そう言いながら、エレノアはエブニーザから目を離さない。
フランシスはそんなエレノアとクー、そして『虚弱症の勉強オタク』を順番に見ながら、
こんな今にもミイラになりそうな奴のどこがいいってのよ、二人とも趣味悪いわね。
と思っていた。
「私、歌の練習に行くわ」
エレノアが立ち上がった。なんとなく、この場にいたくなかったのだ。
「これから?もう夕食の時間になるわよ?」
フランシスが非難するような声で言った。
「ブースは夜中にも開いてるし……歌いたいの」エレノアが力なく笑った「じゃあ、また」
エレノアは、姫君とエブニーザに向かって軽く一礼すると、外に出た。
日差しは弱まっていたが、まだまだ暑い。音楽科の校舎までは少し距離がある。
歩いている間に、自分の中にある不快感が何なのか考える……エブニーザと姫君が仲良くしていたから?自分にはわからない言語で仲良く喋っていたから?
それって、嫉妬?
嫉妬ほど手に負えないものはない。そんな歌があったっけ……あれはどこの歌だっけ?
考えているうちに校舎についた。中に入り、ブースが開いているか受付に聞いてみた。
「開いてるんだけどね」受付の丸メガネのおばさんが困った顔をしている「隣にうるさいアケパリ人がいるけど、それでもいい?ギターの音が普通じゃないんだよね。防音がきかないくらいひどいの」
「別にいいわ」
エレノアは、先日会ったアケパリ人のギタリストのことを思い出した、きっと彼だと思った。たしか、ケンダイ……いや、ケンタだったか。
手渡されたカードの番号の部屋に近づく。
すさまじい早弾きギターの音が聞こえてきた。一気に最高音まで駆け上がり、そして、最低音まで落ちて行く。それも、一つずつ確実に音を弾きながらだ。
エレノアはそのスピードに驚いた。エレノア自身もギターで弾き語りはするが、こんな高速で指を動かせる人間がいるとは、とても想像できない。
ブースのドアについている小窓をのぞいてみると、やはりそこにはケンタがいた。
クーラーが効いているはずなのに、全身汗だくになっていて、着ているTシャツが汗で濡れていた。表情も険しく、真剣そのもので、先日会った穏やかな人間と同一人物とは思えない。音は激しく上下しているが、本人はほとんど体を動かしていない。
真剣なんだわ。じゃましないほうがよさそうね。
エレノアは、自分のブースに入って、隣に対抗するように大声で発声練習を始めた。
すると、エレノアの声に合わせて、となりから聞こえてくるギターの音が上下した。
エレノアは一瞬戸惑ったが、隣の壁に視線を流してニヤリと笑うと、音が乱高下する難しい『自己流ソルフェージュ』を歌い始めた。ついてこれるものならやってみろというつもりで。
となりのギターは、ちゃんとついてきた。
面白いわ!
歌とギターの合唱は、そのあと、数時間続いた。
周りのブースの利用者が『あの二人、うるさいです。演奏はすごいけど』と受付にやってきてつぶやいた。




