3-2 図書館の六人
ノレーシュの姫君、クウェンティーナ・フィスカ・エルノは、図書館内を物珍しげに見回していた。
姫君はもうこの学校に来て一年にはなるのだが、図書館には来たことがなかったのだ。欲しい本はいくらでも自分で買えるし、読むのはいつも最新のベストセラーばかりだから、本屋から直接取り寄せたほうが早い。
ノレーシュ人はみな大柄で、姫君も他の女性に比べると体格が一回り大きい。王族らしい気品のある顔立ちで、褐色の肌に金色の髪、明るい茶色の目をしている。
服装は目立たないように地味に収めている。こんなところで目立ったところでいいことは何もないからだ。ファッションの目的を『目立つこと』だと思っている人間を見るたびに、クウェンティーナは『頭が悪いんだな』と思った。そんなことをしても敵を作るだけ、あるいは、変な目的を持った人間の標的になるだけだと、どうしてわからないのか。
奥の方を見てみようと通路に出たところで、姫君はあっと声をあげそうになった。
なんて美しい少年だろう!
姫の目の前を、今まで見たこともないような美少年が、すました顔で通り過ぎた。
エリ・クレマーシュの天使?神話の再来?
高名な画家の絵を思い出しながら、少年の後をついていった。
少年は、かなり奥の古びた部屋に入り、棚から古臭い革表紙の本を取り出し、古ぼけた椅子に座って読み始めた。窓から入り込む光が、少年の顔をミステリアスに照らし出す。
姫君はずっと、ドアの影からその様子をじっと見つめていた。
本当に天使のようだ。そういえば、神話の再来から500年経っている……もしかして、ほんとうに神の子なのか?
ノレーシュ人らしい神話的な発想で、姫君がうっとりと『天使』を眺めていると、後ろから誰かが姫の横を通って部屋に入って行った、そして、少年の背中をつかみ上げると、
「またここか!帰るぞ!」
と少年を椅子から引きずりおろし、無理矢理引っぱっていこうとした。
「どうしてそんな乱暴なことをするのよ!」
姫君は思わず止めに入った。そして、その男が良く知っている人物だということに気がついた。
ヘイゼル・シュッティファント!
すると、相手も姫君にすぐに気がついたらしい、奇妙な、芝居がかった声でこう言った。
「あれ~?ノレーシュの姫君が、こんなところで何をしているのかな?」
少年が『ノレーシュ』という言葉に反応した。そしてなんと、ノレーシュ語で、
『いつものことだから気にしないで』
と言うではないか!
『いつものこと?』姫君が叫び、そしてヘイゼルにイシュハ語で注意した「あなた、いつもこんなに乱暴なわけ!?」
「おいおいおい、いつも世話になっているって意味だよ。自分の国の言葉を間違うな」
ヘイゼルは全く気にしていない様子だ。クーはヘイゼルのあまりにも横柄な(というか、変な)態度に驚きつつ、口論をしながら外に出ると、ちょうどフランシスとエレノアがやってきた。
「ちょっと!なんであんたがここにいるのよ!」
フランシスがヘイゼルを見るなり叫んだ。
「図書館で大声出しちゃだめよ、フランシス」
横からエレノアが注意したが、全く聞いてないようだ。
そのころ、自習する席を探しに来たアンゲルが、図書館の中に入ろうとしていた。
読めるものはできるだけ読んでおかないとな……。
精神医学、心理学……とつぶやきながら本棚の間を歩き回る。
管轄区にいたころは、心理学の本は全く手に入らなかった。検閲で落とされてしまうからだ。
なぜアンゲルが『心理学』というものの存在を知ったか。
それは、旅行に来たイシュハ人が家に泊まりに来た(なぜ来たのかは未だにわからない)とき、本を置いて行ったからだ。
タフサ・クロッチマーという、風変わりな名前の精神科医が書いた本を。
そうだ、タフサの他の本も探そう……本屋になんか行かなくても、図書館で借りればいいんだよな。金かからないし、学校で推薦している書物はたいてい揃ってるし……なにせここは、世界中から学生が集まってくる名門校だからな。
専門書が並ぶ本棚を物色しながら、アンゲルは、入学前に読んだ学校案内の一文を思い出していた。
『最高の頭脳が、世界中から集まってくる……』
「いいかげん付きまとうのやめろってんだよ!バカ!クズ!死ね!」
そんな怒鳴り声と同時に、アンゲルの視界に入ってきたのは、こんな人々だ。
逆上して本をぶん投げているヒステリックな女性と、それをかわしながら下品な笑い声を上げて飛びまわっているバカそうな男と、泣きそうな顔で二人を見つめている気弱そうな少年と、困った顔がやっぱり可愛いエレノアと、見たことがない、人種の違いそうな褐色の肌の女性。
『……幼稚園だ!』
今、目の前を走りまわっている連中は、『最高の頭脳』とは程遠い有様だ。
呆れたアンゲルは、みなに気づかれないうちに帰ろうと向きを変えたが、後ろから飛んできた何かが後頭部に激突。
倒れた自分の上を、誰かが跳ねながら通り過ぎるのを感じ、顔を上げると、見覚えのある赤いジャケットが前方を楽しそうに飛び跳ねているのが見えた。
「……ティッシュファントム!!」
アンゲルはがばっと飛びあがって、全力疾走で『赤いティッシュお化け』を追いかけた。
「二度とあたしの前に姿を現すんじゃないわよ!!」
後ろから『シグノーの令嬢』の怒鳴り声が聞こえた。
足の速さに自信のあるアンゲルは、図書館を出て数メートルのところで、あっさり『ティッシュお化け』をつかまえた。
「お前は一体何をしてるんだよ!」
「俺は何もしてないぞ!文句はご令嬢に言え!」
「どうせお前が怒らせるようなことを言ったんだろ!?」
「レポートの資料を集めに行って、ついでにエブニーザを引きずり出そうとしただけだ!」ヘイゼルがいまいましそうに叫んだ「ボルディ・ツルッパゲーノめ、提出日を前倒ししやがって」
「ボル……誰それ?」
名前だけでは、頭が禿げていることしかわからない(いや、この名前が本名だとももちろん思えないが)。
「ハゲの教官さ」
「何の教科だよ?」
「知らん、いちいちそんなことを記憶していられるか」
「……何の教科かわからないのに、どうやってレポートを書くんだよ?」
「細かいことをいちいち突っ込むんじゃない……シグノーの悪魔め!あいつはそのうち女神を締め殺すぞ!」
「うるさい!」
道の真ん中でがなりたてているヘイゼルを、アンゲルが隅に引っぱっていく。
怒りが収まると、なにもかも馬鹿げているように思えた。
ヘイゼルも、フランシスも、そして自分も。
「そんなに嫌いならちょっかい出さなきゃいいじゃないか。フランシスだって嫌がってるだろ?」
「そういうわけにはいかん」
「何で?そんなに惚れてんの?そうも見えないけどな」
「あいつは絶対俺の言うことを聞かない。人のいいなりにもならない」ヘイゼルが何かの演説のように朗々とした声を出した「だが、シグノーの家の方針には逆らえない。あの家は超古風だからな、女が何か仕事をするなんて認めないのさ。でもあいつは何かしたくてたまらない。だからいつもヒステリーに物を投げたり金切り声を上げたりしてるんだ。黙って従えない、でも文句も言えない。だからそうやって反抗するのさ」
「だから何?」
あきれながらもアンゲルは、ヘイゼルの言うことは、下手な精神分析より当たっているんじゃないだろうか?と思い始めた。フランシスのことはよく知らないが。
「黙って言うことを聞く奴なんか、俺は嫌いだね。そんなの召使いと同じだろ?俺はまともにぶつかってくる奴が好きなんでね。そいつが悪魔だろうと、世界一性格の悪いヒステリー女だったとしてもね」
「わからない趣味だな……だからイシュハ人は戦争ばかりしてるのか?」
アンゲルは心底からの本音を呟いた。
「そうかもしれん」
ヘイゼルがめずらしく同意して黙り込んだので、アンゲルはぎょっとした。
そんな理由で戦争されちゃ回りは大迷惑だ!
外国人アンゲルは、本当に不安になってきた。
こんな奴が政治なんかやったら、イシュハだけじゃなく、近隣諸国も、もちろん管轄区も、大変なことになるんじゃないか?




