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アンゲルとエレノア  作者: 水島素良
第十一章 里帰り

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11-11 アンゲル エブニーザ 地元の商店 

「おう!おうおう!」

「げっ」

 帰り道で、商店の年取った店員がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

 アンゲルは無視して早足で去ろうとしたのだが、エブニーザは店員に気づいて、興味深げに店の中を覗いた。

「ここはなんの店ですか?」

「なんの店だって!?」年寄りが大げさに声を上げた「なんでもさ。手に入るものは何でも売る。鉛筆でも燃料でも包丁も帽子でも、食いものでもね」

「ろくなもの置いてないけどね……」

 店先に並んでいるのは、雑な作りのがさがさした青色や赤の包み(中身の質も包装と大して変わらない)と、いかにもどこかから拾って来たようなへこんだ鍋や欠けた食器類だった。残念ながら、アンゲルは小さい頃、父親が川で拾ったものをここに売っているのをよく目撃していた。たぶん今でも拾っているのだろう。

 管轄区の製品には不良品が多い。ビスケットだけではない。たばこや酒の質は悪く、少しでも余裕のある市民なら、国内産ではなくイシュハや南の小国からの輸入品を買う。

「なんだと?」

「なんでもない」

 アンゲルは店と店員から目をそらした。あいにく、他に客は見当たらない。そもそも、買い物を『楽しむ』人間はこの国には(少なくとも、アンゲルが住んでいたこの町には)ほとんどいない。生活必需品を買うだけで手いっぱいだからではなく、もともと『買い物』という言葉と『楽しむ』という言葉が結びつかない生活文化だからだ。

 イシュハとはやっぱ、違うんだよな。

「なんだよ、ひさしぶりに会ったと思えばそんな顔か」店員がふてぶてしい顔つきでアンゲルにそう言うと、今度はエブニーザの方を向いた「えらい綺麗な友達だな」

 エブニーザは怯えた顔で、足をおどおどと揺らしながら数歩後退した。

「そいつ怖がりだからあんま脅かすなよ」

「脅かしてねえよ。人聞きの悪い。なあ~聞いてくれよ」店員がエブニーザに向かってしゃべり始めた「今じゃイシュハに留学して偉そうな顔してるけどな、こいつは困ったガキだったんだ。俺の店から勝手にキャンディを盗んでくし……それも何度もだ」

「そんな昔の話止めろって」

「ほんとに盗んだんですか?」

「5歳か6歳の頃の話だよ。全然覚えてない」

 アンゲルはそう言ったが、本当は良く覚えていた。ただし、盗んだキャンディの事ではなく、罰として閉じ込められた教会の地下の薄暗い懲罰室のことを。

「休日に学校の図書室に侵入して本を盗んでな」

「盗んだんじゃなくて借りたの!どうしてもその日に読みたかったんだよ!」

「アンゲル、やっぱりヘイゼルに似てますね、行動が」

「なにぃぃぃぃ」

 アンゲルが叫ぶと、エブニーザは笑いながら数歩歩き、店先の古めかしいポストカードの中から、メッセージ入りのカードを手に取った。

「エレノアとクーに送りませんか」

「エレノア?お、なんだ、女か?」店員が興味深げに眼を見開いた「お前、イシュハでもろくなことしてないな。いつこっちに連れてくるんだ?ん?」

 アンゲルはそれには答えず、ポストカードの代金を投げつけるように渡すと、逃げるようにその場を走り去った。

「待って下さいよ!」

 代わりにポストカードを2枚受け取った受け取ったエブニーザが、あわてて追いかけてきた。


 家に帰ってからアンゲルは、エレノアに何を書けばいいか迷った。エブニーザは何を書くか決めていたらしく、さらさらと手早く書き終えた。覗きこんでみたが、ノレーシュ語で描かれていたので、アンゲルには内容がわからなかった。

 対抗してアケパリ語で書くことにした。たぶんエレノアは読めるだろうと考えながら。

「ヘイゼルは今頃、フランシスの婚約者の家を荒らしているところでしょうね」

 エブニーザがそうつぶやいたので、アンゲルは驚いた。

「それ、ほんと?」

「本当です。婚約は解消です」

「うわあ……」フランシスよりも、荒らされた家が気の毒だな、とアンゲルは思った「あいつやっぱりフランシスに気があるよな?」

「本人は頑として認めませんけどね……」

 二人でため息をついた。

「でも、みんな、平和に暮らせるのは、今のうちだけですよ」

 エブニーザが不安げな顔でつぶやいた。

「……今って、平和か?」

 アンゲルは今の自分の状態(何だか知らないけど、狙われているらしい)を思いながら、つぶやいた。

「今以上に大変になりますよ。僕もアンゲルも、誰もかれも。特にヘイゼルは」

「ヘイゼル?一番楽そうに見えるけどな」

「イシュハ史上最悪の大統領になりますよ」

「……確かに」

 アンゲルは口元だけで笑った。そして、自分は『患者に刺される』と予言されていることを思い出した。

 信じたくはないけど……。

「エブニーザ」

「アンゲルが刺されるのは、30代の後半ですよ」

 質問する前に答えが返ってきたので、アンゲルは驚いた。

 エブニーザは無表情だった。しかし、その顔つきは、何も感じていないのではなく、何かを隠そうとしているように見えた。

「僕が死ぬ日も、たいして変わらない」

 エブニーザは平坦な声でそう付け足した。

 アンゲルは、何も言い返せなかった。

 ただ、もしエブニーザの予言が当たったとしたら、自分にどれだけの日数が残されているか、数え始めた。

 30代後半……あと二十年もないかもしれないな。

 365日が20年……。

 7300日。

 息をのんだ。

 残り時間は、あまりにも短い。



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