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アンゲルとエレノア  作者: 水島素良
第二章 

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2-8 エブニーザ

 エブニーザは、授業中も、廊下を歩いている時も、常に女の子がきゃあきゃあ言う声や、回りのざわつく音に怯えて、手が震え、足はすくみ、顔は真っ青になり……。

 授業が終わるや否や、全力で走って部屋に戻った。

 そのまま部屋にこもって本を読む予定だったのだが、ヘイゼルがやってきて彼をいろいろな所に連れ回した(正確に言うと『引きずり回した』)ため、今は疲れ果てて、ぐったりと横になっていた。

 どうして、こんなことになってしまったんだろう?

 エブニーザにはどうしても理解できなかった。わざわざ外国の学校に連れて来られ、うるさい人ばかりの授業(周りの学生の様子から、講師の話を真面目に聞いていたのは自分だけだと確信していた)に出なければいけないのか?

 ヘイゼルは『彼女』のためだって言ってたけど……。

 エブニーザの思考はそこで切り替わる。

 彼女。

 目つきがぼんやりしはじめた。彼はもはや自分の部屋にはいなかった。

 どこか遠くの、薄汚れた部屋を見ていた。そこに、ぼんやりと座っている女の子……髪と目が茶色で、痩せていて、あごがとがっていて、窓の外を何も感じていないような無表情で眺めている……。

 ああ、また窓の外を見ているんだな。

 エブニーザがそう思って薄笑いを浮かべた。

 その瞬間、映像は急に切り替わる。薄暗いが照明があり、両側に本棚があって、そこを奥まで進んでいくと、誰も使われていない、古代の書物や、化石が並んでいる部屋がある……。


 20分後。エブニーザは学校の図書館の奥深く、誰も使っていない古代の資料室の中にいた。夢で見たとおり、その部屋はあった。何もかもにほこりがかぶっていて、置いてある本もことごとく、数百年は前のものばかり。

 どうやら、何年も使われていない部屋のようだ。

 勝手に戸棚を開け、何百年も前に書かれたと思われる、手書きの黒魔術の本を見つけて読みふけった。

 どうしてそんなものを自分が手に取っているのかはわからない。

 しかし、ここが一番安全なのだ。少なくともこの学校の中では。

 エブニーザは心から思った。本や、自然や、夜の闇の神秘に、溶け込んでしまって、二度と出てこなくても済んだら、どんなに幸せだろうと。

 しかし、平和な時間に終わりがあることも、エブニーザは知っていた。

 夕方には、探し回っていたヘイゼルに見つかり、寮の食堂まで引きずられていった。そこでも食器を落としたり、びくびくして全然食事が進まない。まわりの物音、話声、そんなものに耐えられず、結局、ほとんど食事に手をつけずに走って部屋に逃げてしまった。

 ヘイゼルは食べ終わってからゆっくりと帰ってきて、エブニーザの部屋をノックしたが、返答がない。

 ドアには鍵がかかっておらず、中に入ると、エブニーザはベッドに、倒れ込んだようにうつぶせになって、ぐったりと眠っていた。

「こりゃ、思ったより厄介だな」

 とヘイゼルはつぶやいた。



 ヘイゼルが部屋を出ると、そこに帰ってきたアンゲルが突然、

「この国の広告はどうなってるんだ!?」

と叫んだ。

「広告?」

「ビールの、なんか、素っ裸のだよ!!」

「ああ、あれか」ヘイゼルがうんざりした顔をした「あれが何かな?まさか、不道徳だとか女神がどうとか言うんじゃないだろうな、真面目な教会っ子め」

「うっ……」

「だから管轄区は嫌なんだよ」ヘイゼルが軽蔑の声を発した「くそ真面目にイシュハを批判するくせに娼婦の数は世界一だろ。トップレスの広告くらいで驚くなよ」

「そういう問題じゃないだろう!……今何て言った?」

「娼婦の数が世界一」

 ショックを受けた顔のアンゲルに、ヘイゼルがいかにも愉快そうな顔で繰り返した。

「娼婦の数が世界一多いんだろ、管轄区は」

「管轄区にそんな職業はない」

「ハア?」ヘイゼルがあからさまに呆れたような大声を上げた「何をバカなことを。娼婦のいない国なんてあるわけないだろ?知らないのか?イシュハの倍だぞ?しかも、イシュハの場合はみんな自分から志願して保険もついて、男から大金を巻き上げられる華々しい職業だが、管轄区じゃ、貧しい家の娘がタダ同然で売られてるんだろ?」

「そんな話は聞いたことがない」

 アンゲルは本当に衝撃を受けているようだが、そんなことで攻撃の手を緩めるようなヘイゼルではない。

「聞いたことがない?まあ、確かに管轄区のメディアは教会様女神様シュタイナー様だからな。報道はされないし新聞にも載らないだろうな。でも、そういう話は生きた人間の間では隠しようがないものだろ?知らないはずないだろ?親父とか学校の奴から聞いたことないか?そこらへんのおっさんとか」

「ないよ」アンゲルがかすれた声でつぶやいた「本当にない」

「本当はそういうのが好きなんじゃないですかぁ、エンジェル氏」

 ヘイゼルがにやにやし始めた。

「うるさい!俺は勉強しに来たんだ!」

「イシュハに留学してきた奴はみんなそう言うよ。でも本当は自由に遊びたいだけなんだろ?知ってるか?このアルターでは、非行で捕まる奴はたいてい、外国から『勉強しに』来た奴らなのだぞ?麻薬の密輸入も暴行事件も、この変じゃほとんど外国から来た留学生の仕業なのだぞ?迷惑極まりない連中だ!勉強したきゃ自分の国でやれってんだよ。今時どこの国にも大学くらいあるだろうが。なんでわざわざイシュハに来るんだよ」

「心理学の学校があっちにはないんだよ!」

 おもしろおかしく喋っていたヘイゼルが、突然真面目な顔になった。

「……本当に心理学やるのか?」

 その表情の変化にアンゲルは一瞬ひるんだが、すぐに言い返した。

「うるさい!お前こそ勉強しろよ、ティッシュファントム!」

「ティッシュファントムって言うなぁぁ!!!!」

 建物中に響くヘイゼルの怒鳴り声。アンゲルも次々と怒鳴り返し、結局大げんかに発展した。

 二人の怒鳴り声でエブニーザは目を覚ました、そして、

「似てるな……あの二人」

 枕に向かってうめきながら、ぼそりとつぶやいた。





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