10-29 二人でコンサート
そして当日。
アンゲルは仕方なく、自分の安いスーツを着て、アルター駅に向かった。エレノアは、ドレスではなく、いつかの乗馬服に似た、女性用のスーツを着ていた。
似合うなあ……。
「何を着て行けばいいのか、すごく迷ったよ」
アンゲルがそう言うと、エレノアはきょとんとした顔をした。
「何って、スーツしかないじゃないの。クラシックのコンサートなんだもの」
「そうだけど……」
この日、アンゲルを悩ませたのは、意外にも、コンサートそのものだった。
楽器演奏はすばらしいが、歌い手の声がことごとく甲高く、オペラに慣れているはずのアンゲルでさえ、その声が苦痛だった。
なんだよこれは、プロの演奏なんだろ?
一人くらいエレノアより上手い歌手が出てきてもいいだろ?
そう思って耐えていたのだが、出てくるのはことごとく、
『ミス金切り声』
そして、
『ミスター絶叫』
……だった。
幸い、エレノアは演奏に夢中で、となりのアンゲルが、耳をふさいで苦痛にうめいていることには、全く気がつかなかった。
演奏が終わってから、二人は、会場のラウンジでコーヒーを飲みながらこんな話をした。
「今日のコンサートはクラシックでしょう?みんな熱心に聞いているわよね。それが、歌になったとたん、現代的なロックやポップスじゃないと『ダサイ』っていうことになるのはどうしてなの?」
どうやら、エレノアはまだ『ロックとポップス』が気になっているらしい。
「うーん、俺にはよくわからないけど」
アンゲルはやたらに耳を触りながら話していた。まだ耳がジンジンと痛んでいた。
「正直言って、今日歌ってた歌手の声なんて、みんな、ただの金切り声にしか聞こえなかった」
「アンゲル!」
エレノアがあわてて回りを見回す。演奏者に聞かれたら大変だ!
「でもさ、エレノアの声はちゃんと歌に聞こえるし、素晴らしいと思うよ。俺は音楽なんてわからないけど。フェスティバルで聞いた時も、レコードで聞いたプロの声だと思ったんだ。別世界の人間みたいだと思った。本当に。お世辞でも何でもなく。何か特別なものを持ってる。そういう声だよ」
アンゲルがとぎれとぎれにこんなことを言ったとき、エレノアが、きょとんとした、何か、わかるような、わかってないような、微妙な顔をした。
「俺、なんか変なこと言ってる?」
「何でもないわ」
エレノアは、ガラス張りのロビーの外に顔をそむけた。
二人が会場を出ようとすると、オーケストラの団員らしき格好の男が、エレノアとアンゲルの間に割って入って来た。
「君、エレノア・フィリ・ノルタだね?」
「え?ええ……」
エレノアは戸惑ったような声で答えた。
何だ、ナンパか?俺は無視か?
アンゲルが、突然現れた男の背中を睨みつけていると、
「私はヘニング・エッカー。オペラハウスの運営の一人だ」
「オペラハウス?」
エレノアの声が高くなった。あこがれのオペラハウスの人間だ!
「君の歌をコンサートで聞いた。ぜひ入団テストを受けてほしい」
エッカーが、名刺と応募用紙をエレノアに渡した。
「待ってるよ」
キザったらしい態度でそう言うと、エッカーは出口の方に消えて行った。
「今の聞いた?」
アンゲルが半ば飛びあがりながらエレノアの前に回ると、エレノアは、書類を持ったまま、呆然と立ち尽くしていた。
「受けろよ!絶対受けろ!こんなチャンスめったにないぞ!」
アンゲルは一人、興奮して叫んだ。
エレノアはやはり動かない。
周りの客が、そんな二人を、妙な目つきで遠くから眺めていた。




