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アンゲルとエレノア  作者: 水島素良
第十章

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207/294

10-29 二人でコンサート

 そして当日。

 アンゲルは仕方なく、自分の安いスーツを着て、アルター駅に向かった。エレノアは、ドレスではなく、いつかの乗馬服に似た、女性用のスーツを着ていた。

 似合うなあ……。

「何を着て行けばいいのか、すごく迷ったよ」

 アンゲルがそう言うと、エレノアはきょとんとした顔をした。

「何って、スーツしかないじゃないの。クラシックのコンサートなんだもの」

「そうだけど……」

 この日、アンゲルを悩ませたのは、意外にも、コンサートそのものだった。

 楽器演奏はすばらしいが、歌い手の声がことごとく甲高く、オペラに慣れているはずのアンゲルでさえ、その声が苦痛だった。

 なんだよこれは、プロの演奏なんだろ?

 一人くらいエレノアより上手い歌手が出てきてもいいだろ?

 そう思って耐えていたのだが、出てくるのはことごとく、

『ミス金切り声』

 そして、

『ミスター絶叫』

 ……だった。

 幸い、エレノアは演奏に夢中で、となりのアンゲルが、耳をふさいで苦痛にうめいていることには、全く気がつかなかった。


 演奏が終わってから、二人は、会場のラウンジでコーヒーを飲みながらこんな話をした。

「今日のコンサートはクラシックでしょう?みんな熱心に聞いているわよね。それが、歌になったとたん、現代的なロックやポップスじゃないと『ダサイ』っていうことになるのはどうしてなの?」

 どうやら、エレノアはまだ『ロックとポップス』が気になっているらしい。

「うーん、俺にはよくわからないけど」

 アンゲルはやたらに耳を触りながら話していた。まだ耳がジンジンと痛んでいた。

「正直言って、今日歌ってた歌手の声なんて、みんな、ただの金切り声にしか聞こえなかった」

「アンゲル!」

 エレノアがあわてて回りを見回す。演奏者に聞かれたら大変だ!

「でもさ、エレノアの声はちゃんと歌に聞こえるし、素晴らしいと思うよ。俺は音楽なんてわからないけど。フェスティバルで聞いた時も、レコードで聞いたプロの声だと思ったんだ。別世界の人間みたいだと思った。本当に。お世辞でも何でもなく。何か特別なものを持ってる。そういう声だよ」

 アンゲルがとぎれとぎれにこんなことを言ったとき、エレノアが、きょとんとした、何か、わかるような、わかってないような、微妙な顔をした。

「俺、なんか変なこと言ってる?」

「何でもないわ」

 エレノアは、ガラス張りのロビーの外に顔をそむけた。

 二人が会場を出ようとすると、オーケストラの団員らしき格好の男が、エレノアとアンゲルの間に割って入って来た。

「君、エレノア・フィリ・ノルタだね?」

「え?ええ……」

 エレノアは戸惑ったような声で答えた。

 何だ、ナンパか?俺は無視か?

 アンゲルが、突然現れた男の背中を睨みつけていると、

「私はヘニング・エッカー。オペラハウスの運営の一人だ」

「オペラハウス?」

 エレノアの声が高くなった。あこがれのオペラハウスの人間だ!

「君の歌をコンサートで聞いた。ぜひ入団テストを受けてほしい」

 エッカーが、名刺と応募用紙をエレノアに渡した。

「待ってるよ」

 キザったらしい態度でそう言うと、エッカーは出口の方に消えて行った。

「今の聞いた?」

 アンゲルが半ば飛びあがりながらエレノアの前に回ると、エレノアは、書類を持ったまま、呆然と立ち尽くしていた。

「受けろよ!絶対受けろ!こんなチャンスめったにないぞ!」

 アンゲルは一人、興奮して叫んだ。

 エレノアはやはり動かない。

 周りの客が、そんな二人を、妙な目つきで遠くから眺めていた。




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