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アンゲルとエレノア  作者: 水島素良
第八章

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8-8 鳥騒動

 エレノアが相談?

 俺に?

 何を?

 部屋に帰ってくるなり、妙にニヤニヤしているヘイゼルから伝言を受けたアンゲルは、頭が真っ白になった。

 しかも、勉強に使っているテーブルの上にはなぜか、鳥の死体が山のように積んである。

「おい、なんだこれは!新手のいやがらせか?外国人バッシングか?」

「いやがらせじゃない。狩猟に行ったんだ。雉だよ。俺が撃ったんだ。これから食うんだよ。旨いらしいぞ」

「はあ!?」

「エブニーザが今、食堂に、料理人を説得しに行ってるから」

「はあああ!?」

 真っ白になったアンゲルの頭に、雉が何匹も飛び交い始めた。つまり、大混乱だ。

「まあまあ、ゆっくり話そうじゃないか」一人楽しげなヘイゼルがソファーにどかっと、偉そうに腰を下ろした「ほんとは狐でも仕留めて剥製にしてやろうと思ったんだよ。でもな、最近異常気象で、前はたくさんいた狐が少なくてね。かわりに変な鳥がたくさん飛び始めた。どうも、アケパリから飛んできてるらしい。うちの召使にアケパリ人がいて、雉は旨い、あっちの国では普通に食べるっていうから、試しに撃ち落としてみたら、これが俺に合ってたんだな、バカみたいに獲れたよ。あまりにたくさん獲れたから、シグノーのご令嬢にも送りつけたがね」

「何ぃ!?」アンゲルが混乱きわまって変な声で叫んだ「フランシスのところに!?つまりエレノアのところだろ?鳥の死体を送ったのか?お前は変態か!?」

「鳥の死体とは何だ!?雉だよ雉!食えるって言っただろ?鶏と変わらないだろ?」

「鶏をまるごとテーブルに山積みにする奴がいるか!?」

「ヘイゼル」エブニーザが帰ってきた「食堂の人が言うには、調理したことないって」

「ああ?いい機会だろ。初挑戦しろって言ってこい」

「でも……」

「料理にしてから持ってこいよ!」アンゲルがまた叫んだ「どうすんだよこれ!?俺は今日どこで勉強するんだよ!?」

「今日は勉強なんかしなくてもいいだろ?」ヘイゼルがにやにやと笑い始めた「明日、エレノア様と大事なご相談があるんだろ?勉強なんかしてる場合か?」

「エレノア?」

 エブニーザがアンゲルを見た。顔が不愉快そうに見えた。

「別に何でもない」

 アンゲルは、エブニーザのその表情を見て不安になった。

 まさかこいつもエレノアを……いや、こいつは妄想の女に夢中だしな、でも……。

 電話が鳴った。ヘイゼルが受話器を取ったとたん、部屋中に聞こえるようなすさまじい金切り声が、受話器から放たれた。

『あんた!何考えてやがんのよ!雉をまるごと送るなんてバカじゃないの!?』

 フランシスだ。

「耳が痛い!超音波を出すな!」ヘイゼルも負けずに大声で怒鳴った「まあ、雉ってわかっただけましだな。アンゲルなんか『鳥の死体を置くな!』だぜ?育ちが知れるってもんだよ」

 アンゲルがヘイゼルに向かってサッカーボールを蹴りつけたが、ヘイゼルは口笛を吹きながら余裕で攻撃をかわした。

「それより、とっとと料理にして食えよ。何にするんだ?そっちはシグノーの料理人がすく飛んでくるだろ?ついでに俺の分も作ってくれって言っとけ。材料はまだあふれんばかりにあるぞ」

『なんでうちの料理人があんたの分まで……』

 ヘイゼルは受話器を置いた。すぐにまた、電話がけたたましく鳴り始めたが、ヘイゼルは取らずにテーブルに戻ってきた。

「アンゲル、鶏を解体したことあるか?」

「あるわけないだろうが!」

「管轄区に住んでたんだろ?血は撃ち落とした後に抜いてもらったから」

「管轄区は関係ないだろ!?」

「未だに鶏を飼ってる家が多いんだろ?」

「俺の家には鶏なんかいない!」

「……僕、やったことありますよ」

 エブニーザが遠い目をしてつぶやいた。ケンカをしていた二人の動きが止まった。

「えっ」

「はあ?」

「でも、この鳥は見た事ないですね」

 驚いて目が点になっている二人を尻目に、エブニーザが部屋に戻って、ナイフを持って戻ってきた。

「おいおいおい、まさかほんとに……」

 ビュッ。

 二人の目の前で、エブニーザが鳥の尻から内臓を引きずり出した。

「できそうだ」エブニーザがヘイゼルの方を向いた「肉の部分だけ取ればいいんですよね?」

「へっ?」さすがのヘイゼルもこれには驚いたようだ。「あ、ああ、そうそう。たぶん内臓は食わないだろ。よく知らんが」

「わかりました。でも、羽を取るのにちょっと時間がかかりますよ」

 そう言うやいなや、エブニーザは、雉の羽根をむしり始めた。ピリッ、ピリッという音がリズミカルに部屋に響く。アンゲルはその音を聞きながら、自分が切りつけられているみたいに顔をしかめて身を固くした。

 エブニーザが机に乗っている鳥を次々と『解体』していった。羽をむしった後、ナイフで肉を腿、胸、手羽などに切り分けて行く。アンゲルとヘイゼルは、そんな作業を平然とこなすエブニーザを唖然として見守っていた。まるで肉屋の主人のようだが、見ようによっては凶悪な犯罪者にも見える。目つきから何も感情が感じられないからだ。終始無表情で、ひたすら、一定のリズムで鳥の羽をむしり、肉を切り刻んでいく。

「ヘイゼル」アンゲルはだんだん、目の前の光景が怖くなってきた「こいつ、監禁されてたときに一体何をしてたんだ?」

「俺はてっきり重いものでも運んでたのかと」ヘイゼルがめずらしく困惑しているようだ「牛の解体工場にでもいたのかな?」

「お前、思いつきで言ってたのか?ほんとに何が起きてたか知らないのか?」

「昔の話をすると泣き叫ぶって言っただろ?」

「ヘイゼル……」アンゲルがテーブルの上を見て顔をしかめた「頼む、頼むから、これが済んだらあのテーブルは処分して、新しいのを買ってくれ」

「わかったよ」

 ヘイゼルが文句を言わずに承諾した。珍しい。

 アンゲルはますます怖くなってきた。

 それから2時間ほど、エブニーザはその『羽をむしって解体』という作業を繰り返していた。いつもなら延々とおしゃべりをするヘイゼルも、今日は黙ってエブニーザを見つめて、何か考え込んでいるようだ。アンゲルに至っては、テーブルの上が内臓や羽や肉の山になっている光景に耐えられず、かといって他の部屋に逃げるわけにもいかず、ひたすら部屋の隅で実習の資料を見ていたが、もちろん頭にはなにも入ってこない。

 電話がまた鳴った。アンゲルが、電話に向かったヘイゼルを突き飛ばして受話器を取った。目の前の光景から逃避したかったのだ。

「アンゲルです!」

『エレノアですけど』

 アンゲル、その声で固まってしまった。

『ねえ、聞こえてる?どうしたの?』

「いや、あの、ごめん」アンゲルは真っ赤になった「ヘイゼルが鳥の死体を俺のテーブルに乗せて、それをエブニーザが切り刻んでるんで、気が動転して」

『ああ、雉ね。こっちにも来たわ。でもエブニーザ?意外だわ。動物に触るの嫌いそうに見えるけど』

「それが全然平気らしい。今目の前がちょっとした惨劇だ」

『惨劇?大げさね。こっちは私が羽をむしって調理室に持って行ったわ』

「えっ?」

『今焼いてもらってるの。私の母がアケパリ人だから、普通に食べるわよ……ハロー?アンゲル?聞いてる?』

「いや、うん、聞こえてるよ」アンゲルは軽いショックを受けた「それはよかった」

『そういえば……管轄区の人って鳥は食べないのよね!』エレノアが突然思い出したように叫んだ『大丈夫?』

「今頃思い出してくれて嬉しいよ」

 アンゲルが弱々しい声で皮肉を言った。

 女神イライザの神話では、鳥は女神の使いであるため、絶対に食べても殺してもいけないのだ。ただし鶏と卵は例外である。空を飛ばないので使いにならないということと、貧しい管轄区では鶏が貴重な食糧であるため、簡単に禁止できないという事情らしい。

『明日の昼なんだけど……』

 エレノアが言いにくそうに話しだした。アンゲルは胸の鼓動が早まるのを感じた。

「あ、明日、昼に図書館だろ。聞いたよ。相談って何?」

 言ってからアンゲルは後悔した。

 今聞いてどうするんだ!?

『電話で話せることじゃないの。あした話すから……さっき電話した時、ヘイゼルが出たのよ。心配だからかけなおしたの。どうせまた変なこと言ってたんじゃない?違う?』

「いや、そんなことは、ないと思うな」

「おい、俺に代われ」

 ヘイゼルが受話器を奪おうと手を伸ばしてきた。

「ああ、ティッシュファントムが俺を襲ってる!また明日な!エレノア!」

『また明日』

 電話は切れた。

「お前、また俺をティッシュお化けにしやがったな?」

「そんなこと言ってる場合か……」

「全部終わりましたけど」

 エブニーザの声がした。見ると、テーブルの上が肉と皮と内臓だらけになっていた。エブニーザの白い シャツも血と内臓の色に汚れている。

「どうするんですか、これ」

 アンゲルは急に胃のあたりに激痛を感じ、うめき声をあげながら床に座り込んだ。今日はいろいろなことが、重なって起こりすぎたのだ。

「あー、とりあえず肉は焼いて食おう。ほかは捨てろ」

 ヘイゼルは平静を装っているが、目のまわりがピクピク痙攣している。

「どこに?」

「……今確認する」

 ヘイゼルがどこかに電話をかけ始めた。

「大丈夫ですか、アンゲル?」

 エブニーザが座り込んでいるアンゲルに近づいてきた。ナイフを持ったまま。

「近づくな!俺に近づくなあああああ!」

 床に転がりながらアンゲルが叫んだ。まるで殺し屋にでも狙われているかのようだ。

「おい!電話中に大声を出すな!」

 ヘイゼルがアンゲルに向かって怒鳴った。

 アンゲルはエブニーザを避けるように転がり、ソファーの前で立ちあがって、どさっと倒れこみ、テーブルの上が見えないように背もたれの方を向いた。

 ああ、どうしてこうもわけのわからない奴が俺の周りに集まるんだ!?いや、それよりエレノアだ。『電話で話すことじゃない』っていったい何だ?そんなに重要な話か?もしかして……いや、そんなことは期待しないほうがいい。でも、そうじゃなかったら何だ?何を相談されるんだ俺は?

「エブニーザ。調理室の裏に生ごみを集めてるところがあるから、肉以外はそっちに持っていけ。ついでに肉も焼いてもらえ。さばいた後なら調理できるってよ」

「わかりました……でもこれ、一人で運ぶんですか?」

 エブニーザがナイフで、目の前の肉と骨と皮の山を指した。

「アンゲル!行け!」

 当然のことのようにヘイゼルが命令した。

「俺は嫌だ!死んでも嫌だああああ!」

「何だよ!?鳥のバラバラ死体くらいで怯えるな!教会っ子は軟弱だな!」

「お前だってさっきまで困ってただろぉ!」

「あー調理師さん?悪いけど人手が足りんから、肉だけ取りに来てくれ」

 ヘイゼルが電話の向こうに命令した。

『自分が持っていく』という選択肢は、彼の頭にないようだ。



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