6-14 アンゲル タフサの研究室
首都のタフサ・クロッチマーの研究室で、アンゲルは、自分の事やクラウスの事をぽつぽつと、慎重に、話していた。正確に話さないといけないような気がしたのだが、自分でも何が正しいのか、何が間違っているのか、わからなかった。
一つだけ確かなのは、自分は女神なんて『信じていない』し、『いるとも思えない』ということだった。
ひととおり話し終わったところで、タフサは『あくまで僕が思っただけだけど』と前置きして、話し始めた。
「君はきっと、管轄区にいながら、信仰の輪の外にいたんだ」
「信仰の輪?」
「文化の輪と言ってもいい。同じ文化、同じ価値観で暮らしているグループがあるとする」
タフサが、紙に鉛筆で、大きな円を書いた。
「君は、生活していたのは管轄区だけど、心理的には、輪の外にいるわけだ」
タフサが、最初に書いた大きな輪から離れた場所に、小さな輪をぽつんと描いた。
「そして、クラウスはたぶん、ここにいたんだよ」
最初に描かれた大きな円の内側に、小さな円を描く。
「女神は信じられないかもしれない、そう疑ってはいたが、まだ確信を持っていたわけじゃない。文化の内側から、外の、異教徒の文化を見ていたわけだ。でもアンゲルはどうだい?最初から信仰の外にいたんじゃないか?そして、さしてそのこと自体に疑問を持っているようにも聞こえないんだが」
「それは……そうですね」
アンゲルは、クラウスが自分を見た時のあの異様な目つきを思い出した。教会信者が異端者を見る目つきだった。
「良いとか悪いと言う問題じゃない。ただ、同じ文化圏にいても、感じ方も信仰の度合いも、立ち位置も違うものなんだ。これは覚えておいた方がいいかもしれないね」
「はい」
『立ち位置の確認』ということで、最初の日は終わった。アンゲルは、定期的にタフサのところへ行く約束をしてしまった。
交通費は?
アンゲルは『バイトを増やす』というきつい選択をした。
おかげで、ほとんど寮には戻って来られず、タフサのところへ通う時間も入れると、ほとんど、エレノアや他の友人と話す機会もなくなってしまった。
それでも、死んだクラウスや、台風のときの悲鳴などを思い出すと、生きているんだから、文句を言うべきじゃない、今は勉強するべきだと思えた。
首都では、タフサと管轄区について話したり、精神病院の患者の話し相手になったりした。
とにかく忙しくしていないと、また余計なことを思い出してしまいそうだ……管轄区の狂信的なイライザ信者の事、台風のこと、まとわりついてくる悲鳴、クラウスの話し声、それに……。
実際、精神病院での体験は実践的で、学校の授業よりも得るものが大きかった。
しかし、アンゲルはまた疑問に思い始めた。
カウンセリングって……話し相手がいれば必要ないんじゃないだろうか?
どうせ勉強するなら、やはり精神科医の資格を取った方がいいんじゃないだろうか?そうすれば、管轄区に帰らなくてもイシュハで生きていけるし、人を助けることもできるはず……。
バイト先では終始無言で、ソレアとは全く話そうと思わなかった。余計な気力を使いたくなかったのだ。
「シフトが増えて、一緒にいられる時間が長くてうれしいけど、何かあったの?」
「そういう言い方やめて」
アンゲルはできるだけ黙り込んでいたが、ソレアは自分の事とか、故郷の事を延々としゃべりつづけるので、それを聞いているとますます疲れた。
ヘイゼルは最初、ぐったりと疲れ切っていたアンゲルをからかっていたのだが、日が経つにつれて疲れすぎて、からかっても反応しなくなってきたので、
「お前そのうち死ぬぞ。アケパリ人みたいに、過労で」
と言い始めた。
見かねたエブニーザが貯金をおろしてきて、
「お願いだから受け取ってください」
と懇願すると、アンゲルは怒りだした。
「俺をバカにしてんのか!」
「だって!毎日疲れた顔して、ヘイゼルともほとんど話さないじゃないですか!おかげでヘイゼルもいらいらしてるし……二人とも最近怖いですよ」
「そんな理由で人に金を出すな!」
「それに、最近アンゲルを見かけないってエレノアにも言われたし……」
アンゲルはその言葉で怒鳴るのをやめた。
「……今大事な時なんだよ。会ってる暇がない。エレノアはどうせ俺に興味ないしな」
いじけてソファーで寝始めてしまった。
「そんなことないですよ。だってエレノアは……」
「出てけ」
アンゲルは毛布にもぐりこんでしまった。エブニーザは、落ち込んだ様子で部屋に戻り、ドアをそーっと閉めた。




