化石の大地
その世界には岩だけが存在していた。岩盤のような大地がどこまでも地平線の彼方まで続いていた。ほとんどの動植物は死に絶えて、文字通り、人間だけの世界となった。
水も食物も無い虚無の世界。しかし、人類の強靱さは、この星を造った神様をして、震え上がらせた。彼らは水も食事も摂取せずとも、生きていけるように自らを進化させた。いや、退化とも呼べるかも知れない。睡眠も必要無いので、彼らの一日は必然的に長くなった。
皮肉にも、多くの時間を必要としていた古代は、睡眠も神経質な程に欲していたというのに、何も無くなった途端に、この為体た。星を造った神様はもう終わりにしたかった。星の実質的な支配者であった人類が絶えれば、もう全てが終わると思ってた。しかし、存外、人類の生命力は強く逞しいものだった。彼らは見事にこの環境に適用して見せた。おかげで、この世界は何百年も形を変えずに、進化も退化も無く、繁栄ならぬ継続していた。
「じゃあ、行ってくるよ」
一人の少年が誰もいない洞窟から出て来た。恐らくは彼の根倉だろう。少年は色白の肌に金髪の美少年だった。この世界には相応しくない、神様が丁寧に造り上げた、ガラス細工のような少年。彼は照り付ける真夏のような太陽の下、険しい岩盤を歩いていた。ここには危険な生物はいない。だから、人類は、警戒心という感情を自ずと失っていった。
少年はある場所を目指していた。この虚無の世界にも、噂というか、ある種の口伝によって広まった物語が存在していた。彼自体は、自分以外の人間を見たことが無いので、口伝と言うと、語弊があるかもしれない。しかし、彼は確かに知っていた。この世界の中心には、緑があるということを。少年は緑というものを知らない。だが、こんな世界に置いても、好奇心だけは少年に残っていたらしい。彼は、その緑とやらを探すために、毎日、少しずつ、世界の中心を目指し歩いていた。
岩盤の間には大きな溝がある。この世界で唯一の危険は、この溝に落ちる事だった。岩盤同士の切れ目部分にある溝の奥は、真っ暗で、ただ、時折、日差しを浴びて、その一部だけを覗かせることがあった。中は案の定、岩盤が続いている。しかし、一度落ちたら、二度とは戻れなさそうな気がした。
少年の足下の岩盤が崩れた。
「あっ」
少年は慌てて、近くの別の岩盤へと飛び乗った。すると、目の前に、細い褐色肌の脚が見えた。自分以外の生命体を少年は初めて見る。見上げると、そこには、黒髪にツインテールの少女がいた。
「ああ」
少年は言葉を失った。自分以外の生命。そして、何より、愛おしく感じる。最も、愛おしいなんて感情を彼は抱いたことは無いので、自分の中にある高鳴りに、内心戸惑っていた。
「君、だぁれ?」
少女は口を開いた。自分よりもずっと慣れている口振りだった。彼女は宝石のような青い瞳で少年をじっと見つめていた。
少年は少女と歩いていた。緑を探しに行くと伝えると、彼女は自分も付いて行くといったのだ。自分以外の存在に慣れない少年は、生まれて初めて「気まずい」という感情を得た。少女と共に歩き、数日が過ぎた。そこには、相変わらず、岩盤だけが広がっていた。
「何も無いね」
「本当に緑なんてあるのかな?」
少年はふと思った。生まれてからずっと同じ光景を見て来た。今更、変化があるとは思えなかった。
さらに歩き続けること一か月。少年と少女はいつしか互いを愛し合うようになっていた。不思議だった。他の生命体が、こんなにも美しいなんて、鏡も無い、この世界では自分の姿も分からないが、きっと、彼女も同じことを思っているのだろう。二人は服を脱いで、岩盤の上で一つに重なった。初めてのことなのに、本能で知っていた。生殖機能はまだ失ってはいなかったようだ。まだ、この世界に置いても、人類は繁栄を目指していたのか。
「ねえ、来てよ」
二人して岩盤の上で並んで寝ていた。少女は美しい裸体を太陽の下に晒しながら、ゴロリと、少年の方に寝返りを打った。少年はドキッとした。張りのある乳房と、桃色の色素の薄い乳首が見えている。
「緑はあるのかな?」
「分からない。でも、君といると、知らないことがたくさん分かるようになる」
二人はさらに歩いた。ある時、少女は苦しそうに蹲った。少年はどうして良いか分からず慌てたが、それはしばらくすると、収まってしまった。
それからさらに歩いて、少女の腹部は山のように膨らんでいた。少年は驚いていたが、少女はそれが何なのか知っているように冷静だった。しかし、それが何を表すのか、少年には教えてはくれなかった。そして、さらに歩いて歩いて、ある時、少女は苦しそうに身体を動かすと、そのまま動かなくなってしまった。少年は彼女の身体を揺り動かしたり、声を掛けるが、反応は無い。少年は生まれて初めて涙を流した。
この感情は一体何なのか。少年には分からない。しかし、身が引き裂かれるような、苦しくてどうにかなってしまいそうだった。それでも、歩みだけは止めなかった。少女をその場で置き去りにする。埋葬するという概念が無い少年には、その場で悲しんでやることでしか、少女に報いることができなかった。
少年はついに足を止めた。目の前には茶色の草が生い茂った森が姿を現した。これがあの緑なのか。少年には分からない。しかし、これが自分の求めている物には見えなかった。すると、そんな彼に、優しい、男とも女とも取れる不思議な声が囁いた。
「もう終わりにしよう」
「え、どういうこと?」
「この星は終わりだ。いやとっくに終わってたんだ。もう、この世界には君以外の生物は存在していない」
「そんな、そんなことって」
「仕方の無いことなんだ。君達が選んだことなんだ。もう良いと、君達が諦めた。この前、君と一緒にいた少女は、君の子供を孕んでいたんだ。だが、人類はもう増えたいとは思っていなかった。もう終わりにしたいと願った結果、君の子供も君の最愛の人も死んだ。そして、君も死ぬ。人類がそれを願っているから」
「そんなこと願っていない」
「君個人の話じゃない。人類という集合体が望んだんだ。だから、もうお休み」
少年は静かにその機能を停止した。星を造った神様はそれを見届けると、自らも目を閉じた。岩盤だけだった世界は真っ暗な闇へと染まって行った。これは世界最後の神話にして、お伽噺。何の救いもオチも無い、残酷な逸話。




