カード
初投稿です。
至らぬ点もございますが暖かい目で見てください。
私は棺桶の枕元に立っていた。
呆然とその棺桶の中を覗き込むと毎朝、鏡で見ているものより少しやつれた顔が横たわっていた。
すぐにそれが自分の顔だといういうことに気づく。周りに集まっている親族、特に喪主の印である黒と白で作られたリボンをつけている妻の顔を見て少し悲しくなった。
彼女の前に立って肩に手を置き、うつむく顔を下から覗き見るが彼女は私に気づきておらず、また気づく様子もない。
仕方がなく立ち上がり周りをキョロキョロと見渡す。
沢山の花で彩られた祭壇とそこに飾られた満面の笑みが写った遺影に胸が熱くなり、視界にゆがみが生じる。そして、ゆっくりと目尻からしずくがポタリと落ちた気がした。
ふと式場の後方にある扉の付近に立っているコンパニオンと目が合った。私はたまたまだろうと思ったがどうにも彼女は自分を見ているのではないかと思った。
「こんにちは。」
ダメもとで彼女に声をかけてみた。
「こんにちは。」
驚いたことに、周りへの配慮か小さくだがハッキリと返事を返したのだ。しかも、彼女の視線はしっかりと自分のそれと交わっている。
「もしかして、私が見えてる?」
「まぁ、見えてますね。不本意ですけど。」
彼女はめんどくさそうな表情で返す。
「あの棺桶に寝ているのは私であってる?」
「あってますよ。」
彼女は興味なさげに式場の中に視線を向けた。
「君はここのスタッフ?」
「そうですよ。」
「私のような人はよくいるのかい?」
「いますね。あなたはまだいい方ですよ。なんせ、自分が死んでいることに気づいていますから。」
その一言に胸に閊えていた答えがストンと落ちてきたように納得した。
私は死んだのだ。
「そうか。そうだね。私は死んだんだ。」
「ええ、享年86歳です。お疲れさまでした。」
「86歳か。100歳まで生きてやると息巻いてたのだがな。人生は思い通りにいかないもんだな。」
「長生きしたいと思うような人生だったんですか?」
「もちろんさ。汗水たらして働いて、愛した女性と夫婦になり、生まれてきた子供たちも重い病気にもならずすくすくと育ち、多くの孫にも恵まれた。こんな幸せなことはない。」
そう考えると今までの自分の思い出が頭の中を巡る。これが走馬灯と呼ばれるモノなのだろうか。
「それがあなたの幸せですかですか?」
今度は彼女が質問をしてきた。
「ああ。私の幸せな人生さ。もし、生まれ変われるのならもう一度やりたいくらいさ。」
「そんなにいいものですか。」
「君にはそういった幸せな思い出はないのかい?」
「ないですね。」
少し考えるような素振りを見せたが彼女はすぐに答えた。
「そもそも、幸せというものがわかりません。」
彼女は興味ないとばかりに私から視線を外してしまう。
「それは悲しいね。」
「そうですかね。」
「見たところ君はまだ若いだろう?長い人生を何も感じずに息をしているだけでは死んでいるのと変わらないよ。死んだばかりの私が言うのも変だけど。」
死んだばかりの自分が死生観について語っていることに苦笑を漏らしてしまう。
「じゃあ、あなたの人生を教えてください。」
「私の人生かい?」
「そう。あなたの幸せと感じたその人生を教えてください。」
「君にとっては面白くないかもよ?」
「それでもあなたは幸せだと感じたのでしょう?」
「まぁ、参考になるかわからないし、長くなるけどいい?」
「大丈夫です。あなたの幸せの話を聞かせてください。」
私はそこまで言うならとこれまでの人生を振り返りながら口を開いた。
私が幸せだと自覚しているのは妻と結婚してからだ。それまでは下町の印刷所で毎日、新聞の印刷に精を出した。
そんな私に叔母が持ってきた縁談により私たちは出会った。お見合い当日、初めて妻の洋子ち対面した時彼女のまっすぐこちらに向ける強い眼差しに緊張し、しどろもどろになりながら会話したのは良い思い出だ。
そういえば、お見合いの後、何度かデートもした。その時、プレゼントに小さな青い鳥が刺繍されたハンカチを送ったな。少し涙ぐんだ笑顔でお礼を言われた時には胸に熱いものがこみ上げ、それから彼女が愛おしくてたまらなくなった。
妻と結婚した後は仕事にいっそう熱を入れた。
養うべき妻がいることは私に更なる活力をもたらした。そして、妻が長女を身ごもったことを聞いた時は嬉しさと、もっと頑張って、妻と子を守らねばと思った。
そうして、朝から晩まで汗水流して働いている間に私は二女一男の父親になっていた。
子供たちは大きな病気もせず、健やかに育ってくれた。
反抗期は大変だった。
特に長男の反抗期は髪を奇抜な色に染め、仲間たちと暴走族まがいなことをしていた。叱るだけで、とても苦労したのは今だからこそ笑い話にできる。
そんな子供たちもいつの間にか一人一人、我が家を巣立っていった。三人とも立派に大人になって、たくさんの孫に恵まれた。
そんな中私は倒れた。肝臓がんだった。毎日飲んでいた酒が原因だろう。すでに手遅れで、治る見込みは薄いと言われた。妻は泣いていたが、倒れた時心のどこかでどんなことだろうと感じていた。
だからか、私は病状を聞いてそこまで驚きを感じることも、悲しいとも思わなかった。
その後、1年ほど生きた。緩和治療を受けている間、妻はずっと私の病室で寝起きして一緒にいてくれた。皮肉にもその期間は仕事ばかりだった私と妻が一番長くいた時間だった。
私は病気だったがとても幸せな時間だったと今なら思う。
そして、死んだ。緩和治療のおかげでほとんど苦しまずに妻と子供たち、そしてたくさんの孫に囲まれて、私は幸せの中で死んだ。
「私の話はここまでかな。参考になるかわからないけど。」
「いえ、こちらこそありがとうございました。いい奥様だったんですね。」
「そうだね。私にはもったいないくらい、素敵な女性で、良き妻だったよ。」
式場の中にいる妻を見る。もうすぐ通夜が始まるようで先ほどよりも親族が集まっていた。
「まもなく開式でございます。式場の中にお願いします。」
彼女が突然言った。その視線は時計を見ている。もうそんな時間なのか。
「何か奥様に伝えることはありますか?」
彼女は私の目をしっかりと見てそう聞いてきた。
「伝えてくれるのかい?」
「私が口伝で伝えたらただの変な人になってしまいます。でも、一度だけあなたにペンを握らせることができます。」
そう言って彼女はわつぃに胸ポケットにさしていたボールペンと小さなカードを差し出した。
ペンもカードも何の変哲もない、その辺に売っていそうなものだったが私の手にしっかりと収まった。
式場に入ってきたコンパニオンは手早く祭壇の前にある導師の席を整えた。椅子の下にマットを敷き、大きな銀色の香炉を新しいものと取り換えた。そして、喪主である妻の席まで来ると膝を着いて声をかける。
「本日司会を務めます、佐藤と申します。本日の通夜、明日の告別式と二日間よろしくお願い致します。」
「よろしくお願いします。」
妻は目元をあの小さな青い鳥の刺繍がされたハンカチで拭いながら挨拶を返した。
「それでは本日の流れをご説明させていただきます。」
妻の目をしっかりと見ながらコンパニオンは説明を始めた。
「以上が本日の流れです。」
「はい、わかりました。」
妻は目線をを床へずらしながら答えた。
「最後にこちらを。」
そう言ってコンパニオンは一枚のカードを差し出した。先ほど私が書いたカードだ。
疑問を浮かべた表情のままカードを受け取り、それを見た妻の目はこれ以上ないほど見開かれた。
「まもなくご開式でございます。皆様、お心静かに御導師の御入道をお待ちください。
いつの間にかコンパニオンは司会台に立ちマイクを握っていた。その眼はしっかりと私を見て少し微笑んでいるような気がした。
「御導師、御入道でございます。皆様、合掌にてお迎えください。」
妻の目にはもう涙は流れていなかった。
あのいつか見た強い眼差しで私の横たわる祭壇をしっかりと見据えていた。
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この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。