御心のままに
いったいどこまで我慢すればいいのだろう?
エルフリーデ・フォン・リーデンシュタイナーは目の前の茶番劇にため息をついた。
「それで?」
目の前にいる若者たちーー婚約者であるこの国の第一王子、その恋人の子爵令嬢、宰相の嫡男、騎士団長の末子、成金男爵家子息ーー全員の顔を一人ずつゆっくりと見回した。彼らの表情、眼差しが全てエルフリーデへの敵意に満ちている。この場所が国王主催の夜会であるという意識すらないのか。自分たちを中心に縁に広がって余興を待ち望む野次馬たちが見えないのか。
それとも、すべて見ないふりをしているだけなのか。
どうせなら、自分の関わりのないところでやってほしかった。
「私がそこにいる子爵令嬢をいじめたということですが。身に覚えは全くございません」
「惚けるな!」
胡桃色の髪の子爵令嬢の肩を抱き寄せ、赤ら顔で叫ぶ王子を止めようとする人間はいないようだ。貴族たちは高みの見物を決め込み、侍従などは顔を青ざめてはいるものの、身分的に口を挟むことができない。唯一止められるであろう王夫妻はまだ会場入りしていない。
「彼女は今までの夜会やお茶会でドレスにワインをかけられたり会話に入れられないなどの嫌がらせを受けていたんだぞ!」
「夜会でお話をしたことはございませんし、お茶会に彼女を招待した記憶はございませんが。嫌がらせを受けたのはいつの夜会とお茶会ですの?私が参加していたかどうか確認いたしましょう」
エルフリーデは、ため息を隠すために口元に扇子を広げた。ワインをかけらられたり会話の輪から外されたり。社交界ではこのような嫌がらせなどかわいいものだ。耳を傾ける価値もない。
特に件の子爵令嬢は第一王子はおろか複数の若者を虜にしていると噂されているのならばなおさら自分から敵を作りに行っているも同然である。
「どうせ、すでにアリバイを作り上げているのだろう。無駄に年を食って悪知恵ばかりが働くと見える。政略だからお前のような年増を娶ってやろうというのに、なんという態度だ!」
確かに自分は王子より7つも年上である。世間では行き遅れと言われても仕方がない年齢だ。だが、今の発言はこの場の年上女子を全て敵に回したに違いない。
現にあそこの伯爵夫妻など、奥様は可愛らしい笑顔なのに目が笑っていない。あそこは、奥様が2つも年上なのだ。腕を組んでいる旦那の体が震えているのは気のせいだと思いたい。
「……殿下。名指しで告発なさるということは、私が子爵令嬢に対する嫌がらせに私が実行、または指示をしたという明確な根拠があるのですよね?」
「もちろんだ!」
「ならば、その旨を報告し、然るべき処置を行うのが筋ではありませんか。このような公衆の面前で晒し者にする必要がありましたか?」
「それでは、いじめの実情が周知されない。うやむやに終わってしまうだけだ。それでは告発の意味がない。必要なのは、真実を白日のもとに晒すことだ」
確かに、この国は貴族でも罪に問われる仕組みはあるものの、賄賂やコネによって罪状が減刑されるどころか無罪になってしまうことも多い。公の場を選んだのは逃げ道をなくすためか。
それなりに頭は回る男だが、いかんせんつめが甘い。
「国王陛下主催の舞踏会を台無しにしてまで必要なことですか」
今は社交シーズン最後の締めである国王主催の舞踏会の真っ最中である。この会を最後に領地を持つ貴族たちは自分たちの所領へと帰っていく。社交シーズン最初の舞踏会とともに国で最も重要な行事の一つであることを知らないはずがないのだ。それを目の前の男は。
「ええい!ああ言えばこう言う!いつまで言い訳をするつもりだ!さっさと白状してしまえ!」
訂正。こいつはただのバカだ。
「なぜ無実無根の罪を認めなければならないのですか。舞踏会やお茶会は共に子爵家が出入りできるものではありませんでしたし、嫌がらせどころか、彼女とまともに会話したことすらありません。数回顔を合わせたことはありますが、その時はいつも殿下方のどなたかが一緒でした」
王子に気に入られた子爵令嬢の噂は会う前から知っていた。初めて顔を合わせた時は王子がそばにおり、王子から一方的な罵声を受け足早に去っていった。他のメンバーも同じような調子だったので内容は推して知るべし。
「そもそも、私に彼女を嫌がらせする必要はありません」
「ふざけているのか?」
「いいえ」
王子たちは気づいていなかった。エルフリーデの子爵令嬢に向ける視線がひたすら無関心だったことに。
「彼女と殿下が恋仲になろうとなかろうと、私の立場は変わりませんから」
王子とエルフリーデとの婚約を決めたのは王子の父である国王だ。
たとえ息子で次期国王であろうとも勝手に婚約破棄はできない。当然、エルフリーデからもだ。
別に愛人を作ってもらっても構わないのだ。エルフリーデと結婚し、跡取りとなる子供を作ってもらえるなら。
エルフリーデの心はどこまでも凪いでいた。
「……どこまで傲慢なのだ、貴様は」
今までの怒声とは違う押し殺した声だ。キャンキャン吠えているよりもよほど迫力があるが、凪いだ心は恐ろしさを感じなかった。
「婿のなり手がいないだろうと最後の慈悲を与えたつもりだったが……まさかそこまで腐っていたとは」
慈悲とは何のことだろう。公衆の面前で貶められ、謝罪を求められたことか。少なくとも、エルフリーデはこれを慈悲とは言わない。
そこで周囲が静まり返ったことに気づく。嘲笑混じりに見物していた烏合の衆が今や固唾をのんで見守っているのが何だかおかしかった。
(伯母さまの時もこうだったのかしら)
幼い頃に亡くなった伯母もまた、自分と同じように舞台に立たされ、自分の行く末が決まるのを見つめていたのか。それとも無様に踊っていただけだと気づき、深い絶望の中にいたのか。今となってはわからない。
「お前を妃に迎えるということは王家の名誉を引き下げることと同じこと!よって私、マリウスはエルフリーデ・フォン・リーデンシュタイナーとの婚約を破棄し、このプリシラを新たな婚約者として迎え入れる!」
会場じゅうに響く大声に、全てが終わったことがわかった。
だからこそ、ドレスの裾を持ち優雅に淑女としての礼として頭を下げた。
「御心のままに」
舞台の観客席から爆発的な怒声があがった。
「どういうつもりだ」
怒り失望嘆き。様々な感情を内包する声は息子の罵声よりもずっと迫力がある。その差は経験だけなのかまではわからない。謁見の間において、視線を斜め下におくエルフリーデにはどうでもいいことを考えることで平静を保っていた。はたから見れば堂々とした謁見姿に感心のため息をつかれるだろう。隣に体の震えが隠せない状態で頭をさげる王子が並んでいるのならなおさらだ。
「マリウス。余が決めた婚約を勝手に破棄した理由を述べよ。余が納得するような理由があるのだろうな?」
締めの舞踏会が最後まで大混乱のうちに終わって5日。自宅に篭っていたエルフリーデに届いたのは王宮への召喚命令だった。
大急ぎで身支度を整え王宮に馳せ参じると、そこにいたのは真っ青な顔をした王子と赤ら顔で怒り狂う王だったというわけだ。正直すぐにでも帰りたい。
怒り方が同じなのはさすが親子と半ば現実逃避しながらどうでもいいことを考えていると、恐れながらと王子が発言の許可を求めた。
「陛下の意向は存じておりますが、彼女との婚約をこれ以上続けることは不利益であると判断いたしました」
「なぜ」
「エルフリーデは私と親しい友人となったプリシラに嫌がらせを繰り返しました。時には品性を疑うような言動もあったとか。下劣極まるとはこの事でしょう。そのような人間が王妃になどなれば国の恥となり汚点となりえます。故に婚約の破棄を願ったまでです」
「では新たな婚約者として子爵令嬢を指名したのはなぜだ。王族に嫁ぐのはそれなりの爵位の家でなければならないのだぞ。そう特筆する点があるとは思えないが」
そもそも王族に嫁ぐ女性の実家は大抵同じ王族か外国の王族、国内から探すのなら侯爵以上、格式などを考慮しても伯爵以上が基本だ。さらにその下の子爵令嬢となるとまず無理。その無理を通すにはそれ相応の理由が必要だ。
エルフリーデの脳裏にいつも男性の後ろに隠れる胡桃色の髪の少女を浮かべる。少なくとも令嬢個人に無理を通せる理由があるとは思えなかった。
「確かに彼女の実家は特筆すべき点はありません。しかし、彼女の母方の実家はかのアリスン商会を経営するアリスン一族です。彼女との婚姻の際には一族から持参金を出す事に同意しています」
アリスン商会は隣国を拠点に持つ巨大な商会のことだ。貿易面においてどの国でも大なり小なり影響を与えている。金貸し業も兼任しておりとある大国の王族も世話になっているとか。
エルフリーデもその商会の名前を聞いていた。一級品と呼ばれる商品をこの国へ運んでくるのは大抵アリスン商会だったからだ。個人でいうなら商売人と顧客としての関係のみだが、この国の中に融資してもらっている貴族も何人かいるはずだ。
しかも、この国は先代国王の代に深刻な経済難に見舞われている。現国王が王太子の時代から政策を打ち出す事でどうにか持ち直し始めているが、まだ油断の出来ない状態だ。国王としては息子の代までには粗方の問題は解決できるだろうと踏んだでいたのだろうが。
果たして王子が続けた持参金の額は王の怒りを鎮め、黙り込ませるだけの力を持っていた。しかも子爵令嬢が嫁いだ後も必要なら支援すると商会長の署名付きの書類を持ち出されれば場の空気が明らかに変わっていった。
「子爵令嬢の身分は如何する。子爵家、それも平民を母に持つ娘を王家に迎え入れることはできん」
「養女とするしかないでしょう。すでにバルトミュラー侯爵家は承知しています」
バルトミュラー侯爵家は子爵令嬢の取り巻きの1人の実家で、侯爵家以上の家で年頃の娘がいない唯一の家だ。思いがけず強力なカードを手に入れた侯爵家は王子の馬鹿さ加減に拍手を送りたいに違いない。
「……しばし時間をもらおう」
王はそう言ってすぐに席を立った。だが、結論はすぐに出る。
一週間後、王太子とエルフリーデの婚約破棄と王太子と子爵令嬢との婚約が発表された。
10年後。
社交シーズン最後の舞踏会のため、多くの貴族が王宮に詰めかけていた。
例年盛り上がりを見せるこの会だが、今夜は先日発表された慶事に興奮を隠せない貴族は多い。
エルフリーデもまた臣下の一人として慶事の当事者に祝いの言葉を寿いだ。
「この度はご懐妊おめでとうございます。王太子殿下並びに王太子妃殿下。無事の出産をお祈りいたします」
「感謝する。リーデンシュタイナー女大公。貴殿も無事跡取りに恵まれたようで何よりなことだ。我が子のことも今後よろしく頼む」
「まあもったいなきことでございますこと」
扇で口元を隠しながら微笑んでみせる。喜びで頬を染める王太子と顔色の悪い王太子妃の二人を見比べて。悪阻がつらいのか、王太子妃の口数は少ない。自身の体調不良を周囲に悟らせるような真似をするなんて、と心の中で減点をつけると王太子妃にも声をかける。
「王太子妃殿下におかれましては今回が初の御出産。経験者としてお教えできることがあればいくらでもお伝えしますわ」
ああでも、と小首を傾げて続ける。恐らく自分の唇は暗い愉悦で歪んでいるに違いない。
「カテリーナ様がいらっしゃいますから私は必要ありませんわね」
ピクリと王太子妃の体が跳ねたのがわかった。
王太子は妻の顔が強張っていることに気づいている筈だが気にも留めない。
「そうだな。カテリーナは3人産んでいるから色々知っている筈だろう。彼女に話を通しておく。参考にするといいよ」
目の前の体が硬直した姿を見て暗い満足を覚える。王太子はエルフリーデの予想以上に無神経だった。子供も4人目となれば余裕なのだろう。そのまま王太子は視線を廻らせ目当ての人物を見つけると大声でその名を呼ぶ。呼ばれた人物は素早くだが貴婦人としての優雅さを残したままこちらまでやってきた。
「やあカテリーナ。相変わらず美しい」
「いつもと変わらずですわ、殿下」
これが二人の定番の挨拶だとエルフリーデは知っている。
貴族でも稀な美しさを持つカテリーナはとても3人の子を産み落としたとは思えないスタイルを維持している生粋の伯爵夫人だ。同時に王太子が十年近く寵愛している愛人でもある。子供は全て王太子の子だが、王位継承権は持っていない。カテリーナの子が生まれるたびに王太子妃に対する圧力は比重して行ったと聞く。王太子妃がカテリーナに良い感情を持てるわけがない。
「妃に色々教えてやってくれ」
「もちろんですわ。無事の御出産をお祈りしております」
仲睦まじいと評判の二人。王太子妃の表情はすでに凍り付いていた。
「……何でよ」
「妃殿下?」
しばらくの歓談の後、王太子とカテリーナはダンスを踊りに会場の中央へと向かった。ワルツに合わせて踊る2人は妖精の王と王妃のように美しい組み合わせだった。取り残された王太子妃とエルフリーデはしばらく2人を見物していたが、押し殺した声が無言の空気を壊した。
「どうして、私は、ここにいるのに」
「妃殿下」
王太子妃の昏い眼差しが彼女の心情を語っていた。哀れなことに、目の前の娘は王太子に恋をしている。その心を独り占めにしたいと望んでいるのだ。決して叶うはずがないのに。
「愛しているって、言ったのに」
「妃殿下」
顔色が悪くなる一方の王太子妃は今にも倒れそうだ。近くの侍従に彼女を休ませるための部屋に案内させる。彼女の体調を考え、事前に専用の休憩室が用意されているはずだ。
「何で、どうして」
「妃殿下」
休憩室まで付き添い、部屋を出ようとすると、王太子妃に裾を掴まれてしまう。振り払うわけにもいかず、そのまま椅子に座ることにした。
「王太子殿下は真実、あなたを大切に思っていらっしゃいます」
エルフリーデは知っている。結婚式の日新妻に微笑みかける王太子を。妊娠が分かったとき、外聞も気にせず妃の元に駆けつけたことも。
「でも」
「あの方はそれが当たり前なのです」
繰り言を繰り返そうとする声を押しのけ、エルフリーデは続けた。救いではない言葉を。
「愛情も何もかも与えられることが当たり前で、自分が何かを差し出すことを思いつきもしないのです」
産まれた瞬間から父の跡を継ぎ、この国の王になることを望まれていた。欲しいものは全て望む前に与えられ、飢えを知ることもなく。だからこそ、王太子はわからない。周囲の心の内を。嘆きを。
受け取ることを知っていても、与えることを思いつきもしない。無邪気な傲慢者。それが王なのだ。
エルフリーデ・フォン・リーデンシュタイナーの幼少期は幸福に満たされていた。
若くして大公家を継いだ父、社交界の華と謳われた美しくも優しい母、そして当時の王太子と婚約していた伯母。憂い一つなく、家族に愛し愛され、その幸福が生涯続くと信じていたあの頃。
全てが崩れ去ったのはエルフリーデが6歳の時。伯母と王太子の婚約が破棄され、国家反逆罪で家族が全員処刑された時だった。
『とうさま、かあさま、おばさまどこー?』
夜になるたびに家族を探して広い屋敷を探し回っていた幼子は、家族の死を受け入れることができなかった。自分の体を抱き上げてくれた腕、愛していると額にキスをしてくれた柔らかな感触。失ってはたまるかと必死に抱えていた思い出は、次々に降りかかる困難に押しつぶされていく。
大公位は男性でも女性でも継げる。だが、法で継承できるのは成人の18歳からか、結婚するかしかない。エルフリーデが大公位を得るには10年以上かかる。それまでは親戚筋の人間が管理し、エルフリーデが成人したのちに大公位を継ぐ筈だった。
しかし、その計画は王家の勅令で瓦解する。
『エルフリーデ・フォン・リーデンシュタイナー大公女と我が長子とを婚約させる』
伯母の死から間をおかずに結婚した時の王太子は翌年産まれた嫡男とエルフリーデとの婚約を命じた。
実情を知らない貴族たちは、これは婚約破棄に後ろめたさを感じた王が侘びの形としての婚約だろうと噂した。後ろめたさを盾に大公家が婚約を強く求めたという噂も。
余談だが、のちに成長した王太子はその噂を信じてエルフリーデを嫌っていた。特に訂正しようとも思わなかったのでその思い込みを放置していた結果が婚約破棄なのだから笑えない。
法で継承条件が決まっているこの国に、継承者が未成年である場合、後見人が必要となる。そして継承者が未成年で且つ婚約していた場合、婚約者の家が後見人に立つことになる。
つまり、エルフリーデと婚約することで、エルフリーデの後見は王家へと変更されることになるのだ。
大公家側としては受け入れがたいことだが、勅命には逆らえない。泣く泣く王家が派遣してきた役人に実権を渡す羽目になる。しかも大公家の領地からの収入のほとんどが王家に流れていくことも目を瞑るしかなかった。王家は大公家を金のなる木としか見ていないことがよくわかる。以来、様々な理由で大公家は王家からカネを搾り取られることになる。
『あらあら。あんな格好で夜会にいらっしゃるなんて殿下も恥ずかしく思いでしょうに』
『壁の花になるのもいたしかないことですわね』
『皆さま、品のない香水の匂いが移ってしまいますわ。こちらに移動しませんこと?』
王太子に嫌われた年上の落ち目の大公家の娘。元からの噂も合わさって王都は地獄と化した。煌びやかな衣装に隠された悪意にエルフリーデは滅多打ちにされた。寝室で息を殺して泣くことが当たり前になり、いつしか泣くことすら無くなった。それでも、決して逃げ出さずに社交界を乗り切ったのは意地と誇りのためだ。
『子供さえくれればいい。子供でさえ』
諦めたのはいつからだったのか。
年少の王太子に蔑みの眼差しを向けられた時か、冷笑と嘲笑の中で迎えた社交デビューの時か、18歳で大公位を継承を望むも婚約者が未成年であることを理由に退けられた時か。
『子供さえくれればいい。子供でさえ』
周囲からの悪意を受け流しつつ、エルフリーデは家を守るために心血を注ぎ、王太子との婚姻を指折り数えて待っていた。
婚姻が成れば大公位の継承が可能となる。そうすれば王家からの影響から逃れることができる。
今後ともよしなに、と挨拶してきたカテリーナと対面した時もどうでもよかった。ただ、このような娘が好みかと考えただけで。遊び相手に夢中になりすぎるときは排除を考えなければならないが、彼女はエルフリーデを立てる姿勢を見せたので大丈夫だろうと判断した。
胡桃色の子爵令嬢もそうだった。やや面倒だとは思っても、適当に飴を上げてあげれば手のひらの上で転がせるだろう。キャンキャン吠えるのは鬱陶しいが無視できないほどのものでもない。まさか婚約の破談につながるとは思っていなかったが。
「御心のままに」
あの時、エルフリーデは自分の首に巻きついた鎖が欠ける音を聞いたと思った。予感はそのままに音は続き、最後には粉々に砕けた。
王家の忠実な犬は大公家を去り、長年の支配から逃れることができた。大公家の立て直しはまだまだこれからだがエルフリーデは諦めるつもりは毛頭ない。これからの可能性に心が浮き立つのを止める必要もない。
自分の未来が明るいことを、エルフリーデは確信している。