大東京プラネタリウム計画(プロジェクト)
暦では7月も初旬だというのに今年の記録的猛暑は苛烈さを増す。
アスファルトの路上はホットプレートのように焼かれ、素足ではとても火傷しそうで止まっていられないほど、炎天下ただでさえ立ち尽くすこともつらい灰色の大都会の片隅。
僕はコンビニで涼しいクーラーの風に火照った体温を下げながら早々に買い物を済ませると、決まったように彼の住まいへ足を向けた。
小さな二階建てアパートの一室。
鍵を開け無駄に重厚な扉を開くと、極寒のような寒さとカーテンで締め切られた部屋の暗さにまず誰でも驚くのだろう。
僕はスマートフォンを光らせながらいつものように慣れた足取りで先に進むと、案の定そこにキーボードを奏でるように打つ彼がいた。
辺りには四角く鈍く光り聳える無数のパソコン機材、元官僚だったらしい彼は一年前に霞ヶ関を辞め、その資金で天井に着きそうなパソコン機材を幾つも揃え、目が追いつくのかモニターを大小五台見つめ毎日パソコンを叩く生活をしている。
「相変わらず毛布かぶってるね、お疲れさん」
「うん」
到着時間もきっかりだ、だから僕が後ろにいたのは毛布を頭からかぶっていても気づいていたらしい。
「はい、クリームあんぱんと牛乳」
「うん、いつもありがと」
簡素な会話だが、それも親しいからなのだろう。
彼が何をしているのかはまったく興味はなく、最初はオンラインゲームとか思ってたけれどどうも違うらしい。
最初は面白半分でつついたりもしたけれど、彼の口からは専門用語ばかりでわからなかったからそれからとくに聞くこともしないことにした。
どうやらモニターの羅列や単語から様々な施設や建前の名称やら個人名だろうか見受けられる、素人なりにおそらくアンケート調査らしいということだけは予測した。
ちなみに僕は、平日の昼間、仕事中だというのにサボるためにここに来ている。
仕事は外回りの営業、休みがお盆正月以外にはないというとんだブラック企業に勤め、公園でサボっていたところを会社の真面目な同僚に見つかり原棒をくらい。またせっせと仕事をこなし、だが、挫け、心折れそうになっていた。
そんな頃だった、ちょうど彼と出会ったのは。
とあるデパートで、店員におどおどして何を言いたいのか上手く伝わらず困っていた彼、後ろでイライラしていた僕はめんどくささをオブラートに包み彼の言わんとすることを聞き取った。
どうやら予約していた天体望遠鏡を買いに来たらしい。
そして自分の用事も済ませデパートから出ると、先に帰ったと思っていた彼が待っていて、お礼を言ってきた。
私は適当に相槌と適当に営業スマイルをし、後ろを振り向くと彼は唐突に僕に驚く話を持ちかけてきた。
「あの、その、ぼっ、僕は日差しに弱いから、その、時給一万でコンビニから僕の住まいまで買い物を、その、週一でいいから頼めないかなぁ?」
あまりのことに驚いた。
吸血鬼にも見えず、だが彼が嘘を言ってるようには見えなかった。けれど金額を聞き間違えたのか全部を聞き間違えたのかさえ疑しかった。
私は唐突に週一という言葉に思い当たる節があった。
週一でめぐり来る日曜日が欲しい。
近頃はそればかりが脳裏を過ぎり、周りの日曜日の笑顔が妬ましいこともしょっちゅうだった。
誰が為の労働基準法だ、何が月月火水木金金だ。
私は考える前に先に心の中の思いを飛び出るように口にしていた。
「お金はいいから、一日昼から晩までゴロゴロしてたらだめか?」
会社は寮で帰っても逃げ場はない。やすらげる場所が欲しい。
彼はこくりと頷くと交渉は成立した。
ずっとパソコンの前でモニターを見つめる彼。
名前は教えず、私の名前も教えなくていいそうだ。本当かどうか霞ヶ関なんて経歴を口にしたのはきっと、彼の生活に関わるお金の出処を検索されたくなかったからだろう。
一日中パソコンに耽っている人が儲かるとは思われにくい時代だから。
だが、それ以外は謎。
見た目三十代くらいとしかわからない、だいぶ特殊な人格ではあるようだ。
夏、太陽は頂上に一番気温が上がる時間帯なのに私はいつも置いている毛布を手に取ると、いつものソファーで横になり安眠に入った。
クーラーで部屋はガンガンに冷え、本人もだいぶ厚着を羽織り相変わらず毛布を頭からかぶり、なんでも部屋が寒いのはパソコンを冷やすためなのだとか。
どれぐらい眠ってしまったのだろうか、むくりと起き上がりスマートフォンを光らせてみればちょうどそろそろ会社に帰る頃である。
もし時間が過ぎそうなら彼が起こしてくれるから時間を忘れて寝てしまっても問題ない。
近頃は彼も忙しいらしく、キーボードを叩く音はたまにマシンガンのようだ。
まず覗きこんでも何をしているのかわからないだろうけど、なんとなく寝ぼけまなこで覗きこんでみた。
そこにはどこかで見たような気がするけど思い出せない文章がある。
私は彼のアパートを後にし、会社に戻りながら交差点で足を止めるとお洒落なショーケースに入ったテレビに気がついた。
テレビはテレビCMの途中に荒いノイズが入り、テレビ番組が乗っ取られたように切り変わった。
テレビ番組は声はなく、ただ淡々と文章を流すだけ。内容は、
【日本政府からの厳重事項】
大規模地震特別措置法に基づき、
全国民の皆様は2015年7月7日10時0分におよそ10分間のみ周りが広い場所に移動して待機してください。
当日は混乱を招く恐れがありますので通信機器は出来るだけ使用を控えてください。使用を発見した場合警察法に基づき罰せられる恐れがあります。
(各通信会社との連携に基づき通信は一時的に完全に使用出来ません。)
通行に際し、鉄道・飛行機・船等の運行は一時間前から停車致します。自家用車両の使用は大変危険です。運転はお控えください。走行を発見した場合は警察法に基づき罰せられる恐れがあります。
医療機関や特別区域(皇居・国会議事堂・各国大使館等)は対象といたしません。
これは訓練ではありません。科学的推移に基づき計算された期日時刻を参照しております。
日本政府の名前を使っている。文章も固くテレビのニュース速報にも載るものだから、きっと知識がない人はこの文章をそのまま、ありのままに鵜呑みにしてしまうかもしれない。
かく言う私も一時信じた。
だが、それに視線を送っていた人のほとんどがそっぽを向いた。
その文章がテレビやネット、新聞に取り上げられてここ二三日、この怪文書は真っ赤な嘘だったことが政府の見解で判明した。
だがそんなことは関係ないと謎の怪文書は連日昼夜通して容赦なく割り込み流れている。
国民が心の底でホントかもと不振がるそのXデー、あと十時間もすれば訪れる時刻まで迫っていた。
朝は清々しく雲ひとつない青空。ここ一週間は雨雲なんて寄せ付けない快晴。
天気予報では気温も鰻登りにぐんぐん上昇、いつもならカッターシャツとズボンはパンツまで汗でべとべとに、昨日は30℃を上回り日射病で倒れた同僚もいたそうだ。お気の毒に。
だが、人事などではなくそんな死に目に僕もあわなければならないのかもしれないが、今日は違う。
そう、一週間に一度の待ちに待ったサボる日だ。
スキップしながらコンビニに入ると、あの怪文書が相変わらず流れていた。政府は出処を調べているが調査中らしい。
「お客様?二点で280円になりますが、、、?」
「あ、はい、す、すいません」
急いでお財布を取り出し、お会計を済ませコンビニを後にしながら商品ぶら下げながら思い耽ってしまう。
そして、僕は意を決して聞くことにした。
彼の部屋からはマシンガンのようなキーボードを叩く音が扉伝いに聞いて取れる。とにかく慌ただしいようだ。だがそれはなんとなくわかっていた。
私はどこかにしまいこんだ筈の不安を拭うために暗い足元を彼の元へ一歩一歩ゆっくり足を進める。
彼の元へすぐに着くと私のことを知ってか知らずか、鑿岩機でコンクリートを抉り砕くようなキーボードを叩く騒音にいてもたってもいられないくら耳が痛い。
やはりあの怪文書は彼があちらこちらに送信しているようだ、私も聞かなければ加担したわけではないし知ることもないのに、好奇心とはどうしてこう抑えられないのか、私は一言だけ真意を聞いてみることにした。
「ほんとに地震はおきるのか?」
彼は聞こえたのかわからないが打つことをやめない、タイピング速度も緩まない。けれど返事は思いのほか早く、躊躇うこともなく返ってきた。
それこそまってましたと言わんばかりに、
「今日は七夕だね、何を願う?」
突拍子もない質問に言葉が詰まる。
毎日が何も変わることなくただただ仕事なものだから祭日や祝日、イベントなんて意味の無い僕はすっかりそのことを忘れていた。
「そうだな、お金持ち、とか?」
想定外だったものだから取ってつけたような返事に内心これでよかったのかと焦る、だが質問したのはこっちなのだ、僕は質問をもう一度言おうと口を開くと、彼から先にわかっていたように話し出した。
「大丈夫、地震は起こらないよ。僕がしたんだか間違いない、けれど青天の霹靂があるんだ。広いところで彼女がいるならその子と二人で、日付が変わるその時間、空でも見上げながらほんの十分でもじっとしてくれてればいいから」
彼はその後まるで石になったかのように何も言わず聞かず、僕はいろいろ聞きたかったが無意味だと悟るとアパートを後にした。
彼女はいないから公園のベンチでただただぼうと座っていると、携帯に今日はテロの危険性を踏まえ会社は休業になったとメールに入っていてそのまま携帯をポケットに仕舞った。
一度だらけると、とにかく何もしたくない人間なものだから寮に帰れば部屋の掃除やおざなりになっている書類の整理をやらなければならないのだけれど、それもほっといてひとまず公園のベンチでそのまま横になっていた。
いろいろ考えてもそれも意味がないこともわかっていてさらに虚しくなる。
だが、気温が人の温度ぐらいまで上昇したあたりで僕は飛び起きた、日陰だというのに背中も汗でぐっしょりなっていた。
平日の昼間ともなれば、こんな暑い日の公園は人気もない。茹だる暑さにたまらず寮にもどることにした。
それからすぐに寮で横になると身体のだるさに記憶が曖昧だ。だが覚醒もすぐだった。
「見ろよ!あの怪文書嘘じゃないのかもしれんぞ!
」
たたき起こしたのは寮の相部屋の住人だった。
口をパクパクしながらテレビを指さす彼に促されるまま画面に視線を送ると時間はあの予告時間の一時間前になっていた。
ニュースは全て同じ内容で、混乱を回避するため、車、飛行機、電車、船の運行を一時間だけ止めるようにという。そのまま怪文書の通り、国はテロという最悪の事態を踏まえたと発表しているが、それが逆に怪文書を真実めいたものにしているようにも思える。
それとやけに外が騒がしい。
窓を開けてみると家財道具を外に運び出す人や公園の真ん中にビニールシートを引いている人、同じように顔を出してこれらの光景を見て慌てている人や、大量に買い物袋を持っている人、窓から顔を出す人も沢山いた。
それから数分で昼間とは売って変わり、公園を中心に大物歌手でもきたような人だかりが出来ていた。わらわらと人の群れはまだ増えるようすもある。
スマホのニュースではどうやら同じ現象が日本中どこでも起こっているらしくパニックにならぬようにニュース速報は安全な行動をとるようにばかりがテロップで流れる。
警察も来ているが悪いことをしているわけでもないのであたふたしている。
時間は刻一刻と近づいてくる。
時計に目をやれば五分前。
人の波に押し流されるように外の公園に出てきたが、押し問答で案外外が寒いのに薄着で出てきてしまった事を後悔する。
五、
四、
三、
二、
一、
誰もがぐっと身構えた。
だが何も起きない。
静寂な空気に誰もがふうとため息を漏らすと、建物の明かりが最上階から順に消えていくのが見えてとれた。
それはビル群の建物全て例外なく、数分で東京タワーや東京スカイツリー、ベイブリッジ。全ての建物の明かりが消えてしまっていた。
暗いどよめきの中、子供が大声で空に声を上げた。
「すっ、すっごい星だ!」
少年が声を上げた方向、上空をみんな一斉に見上げると、そこには瞬く満天の星空がキラキラと瞬いていた。
たまに見上げる星は数える程度、見えないことが当たり前になっていたが、
澄んだ空の下、たった十分だったが、
星々はまるで東京の街を空に映し出したように明るく輝いていた。