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チェコのジャンヌダルク〜自由を歌い続けた女”マルタ・クビショヴァ”〜

小説の魅力とは何でしょうか?


まぁ、人それぞれ求めるものは違うのかもしれませんが、共通する点を挙げるとすれば、非現実的な世界を文章を通じて疑似体験できるという点ではないでしょうか。


主人公に自分を投影し、その経験を共有する。

そこには、現実世界では体験し得ない素晴らしい世界が広がっています。


そして、ここで少し実在の英雄の話をば、ひとつ。


皆さんはマルタ・クビショヴァをご存知でしょうか?


そう、チェコ民主化の英雄、言うなればーー

リアル「リ◯・ミンメイ」…ちょっと違うか( ;´Д`)

…個人的には熱気バサ◯笑


それは、ともかく本題に入ります。

チェコは、1968年当時、社会主義国家ソ連の支配下にありました。

皆さんも聞いたことがあると思います。


「プラハの春」


当時の共産党政権による独裁政治に反抗しておきた民主化運動。

その最中さなか、ひとりのアイドル歌手がいたのです。

そう、それが「マルタ・クビショヴァ」です。


確か一年前位にNHK総合で再放送された番組で、彼女の激動の人生を特集していたのを、たまたま目にする事が出来たのですが、素晴らしい内容でしたので、個人的な歴史解釈を交えまして、以下に記します。


そもそも、何故、チェコで自由化の波が起きたのかという点ですが、起こりは第二次世界大戦まで遡ります。

当時、欧州で台頭した亡国ナチス・ドイツは、ファシズム、つまり、反自由、反共産、反保守であり、徹底した民族主義ナショナリズムーー

要は選民思想…人種差別による理想郷を目指しました。

この思想は、当然、周辺各国との対立を呼び起こします。


武力をちらつかせた積極的な領土要求を行い、隣接するチェコスロバキア、オーストリアは早々にナチス・ドイツに占領され、1939.9ポーランドへ侵攻します。

欧州における第二次世界大戦の始まりでした。

間も無く、欧州の大部分を支配地域と化したナチス・ドイツは、次の獲物を見据えます。


そう、北の大国ーーソビエト連邦


相反する主義に基づく国家体制、にも関わらず、ポーランドを同時侵攻、分割統治していた両国が開戦に至るには、そう時間はかかりませんでした。

国家の危機に際し眠りから覚め、繁栄をもたらすと言われる英雄「フリードリヒ一世」の渾名「バルバロッサ」の名の下に、ナチス・ドイツは、ソ連を急襲、これを発端とした、後に、独ソ戦と呼ばれた両国の一連の戦いでは、死者合計2500〜3500万人という、想像も出来ないほどの犠牲者を出しています。


戦線は拡大し、やがて西側連合国軍と、東側ソ連軍に挟撃されることとなったナチス・ドイツは、徐々に領土を、力を失っていき、欧州における第二次世界大戦が終結を迎えました。


1945.1ソ連軍がポーランドを占領し、ドイツ国境付近に迫り、西部戦線においては連合軍がライン川に迫っていた。

この時行われた連合国主要3カ国首脳会談「ヤルタ会談」において、第二次世界大戦後の処理に関するヤルタ協定が結ばれたのであります。

それは、英米仏ソの4カ国によるドイツの分割統治、ポーランドの国境策定、バルト三国の処遇などの戦後処理に関するものでした。


そして、このヤルタ協定が、世界を東西に二分し、冷戦へと突入させる最大の要因となったのです。


ドイツに占領されていたポーランドをはじめとする東側諸国では、当然反ファシズムの機運が高まり、都市を解放したソ連の影響が色濃く残りました。

マルタが生まれたチェコスロバキアも、共産化の波を受け、チェコスロバキア政変が起こり「チェコスロバキア共和国」という社会主義国家に生まれ変わります。


しかし、1956年にフルシチョフによって公表されたスターリン批判が起因となって、チェコスロバキア内に社会主義体制の批判を叫ぶ声が出始めました。

さらに、1960年代にはいると、経済の鈍化が顕著に現れ国民の不満が爆発、当時の第一書記ノヴォトニーへ矛先が向かいます。


そして、1968.1スロバキア出身のドゥプチェクが第一書記に就任する。

この、改革派と保守派の間の中間派と目されたドゥプチェクが「人間の顔をした社会主義」を掲げ、「プラハの春」と呼ばれる改革運動を主導した人物でした。

彼は、ノヴォトニーが兼務して個人への権力集中を図った党第一書記職と共和国大統領職の分離を行い、これまで指導部が行ってきた強権的な抑圧政策の廃止を進めました。


とはいえ、当時の彼自身の思惑は、自由化を進めることで民衆の支持を確保し、共産党指導体制を維持することでした。

ですが、自由化政策は、自由化と民主化を求める民衆の原動力となり、ドゥプチェクの意図を超えて急進的な改革の波を起こしたのです。


ここで、ようやく登場するのが当時、デビュー曲「マルタの祈り」が大ヒットしていた歌手


”マルタ・クビショヴァ”


その人です。


彼女もまた、自由を夢見る1人の少女でした。

ラジオから流れる自由の国の音楽、皆さん御存知の

「ヘイジュード」

を聞きながら、自ら歌い、自由化を訴えていました。


そんな中、チェコスロバキアの都市に何両もの戦車、軍用車両がなだれ込みます。


それを見た彼女は

「アメリカがチェコを解放しに来たのか」

そう思ったそうです。


しかし、それは彼女の願いとは真逆のものでした。

チェコで進みつつあったプラハの春に危機感を抱いたソ連軍率いるワルシャワ条約機構軍が武力での鎮圧に乗り出したのです。

当時の考えとして、一国の共産主義国家の崩壊は、他の共産主義国家に大きな影響を与えるから、武力を持ってこれを抑えなければならないというトンデモ思想がありました。


そう、プラハに咲いた自由の花の芽は、鋼鉄の車輪によって容赦無く踏み潰されてしまったのです。


そこで、市民は工場の地下に秘密のラジオ局を設けてソ連主導の共産化に反対する放送を流し、抵抗します。

その時、人々の耳に聞こえていたのは、マルタ・クビショヴァの歌声だったのです。


当時、世界ではビートルズのヘイジュードが流行っていました。

マルタもまた、西側の歌に魅了された一人でした。


そして、歌ったのです…もう一つのヘイジュードを

祖国の自由への願いを込めて、マルタ・クビショヴァが歌った想い……


1969年、プラハの春に際し、マルタがカヴァー、レコーディングされたこの曲は「祖国の自由」という意味を込められ、アルバムの最後に収録されました。

チェコ語に翻訳され、その歌詞に込められた本当の意味がチェコスロバキアの民にしかわからないように…

しかし、レコードが売り出される頃、ソ連軍の武力侵攻で「プラハの春」は挫折、レコードは全て廃棄され、侵攻軍は容赦無く地下のラジオ局を閉鎖し、ドゥプチェクを引きずりおろすと、ソ連の影響を受けた共産党政権を再度設立させ、チェコスロバキアから自由を奪いました。


彼らは、民衆に二つの選択肢を与えます。

共産党に従うか

永遠に国を捨てるか


マルタは、どちらも選びませんでした。

戦い続けることを選んだのです。


共産党政権は恐れていました。

自由を叫ぶマルタの歌を


だから、民衆へ改革を訴えるマルタ・クビショヴァから、歌を歌う自由すら奪い、小劇場で共産党賛歌を歌わせ続けるという役務を押し付けます。

なんという鬼畜!

自由を求める彼女を殺めるでもなく、投獄するでもなく、自由とは真逆の共産党賛歌を歌わせ続けたのです。


その時の彼女の心とは一体どのような心境にあったのか、私などには想像もつきません。

それでも、いつか訪れる自由を信じて、彼女はじっと約20年間もの間耐え続けました。

強い女です。


その間、マルタのヘイジュードは、レコードが裏取引され、自由を望む人々に歌い続けられていました。

マルタと同じく自由を夢見て……


そして、その時は訪れます。

ソ連崩壊の足音……ペレストロイカが!


ソビエト連邦共産党による一党独裁が60年間続き、国家として停滞したソ連は、時の書記長ミハイル・ゴルバチョフにより、再構築を意味する”ペレストロイカ”を掲げ、民主化政策を余儀なくされました。

その波は、他の共産主義国家に波及します。

もちろん、チェコスロバキアにもです。


チェコスロバキアに共産主義化を押し付けたソ連本国の崩壊により、国内において、再び民主化を求める声が大きくなり始めます。

これを抑えようと共産党政権は秘密警察を動員、市民を抑圧しようと試みますが、時、既に遅し。

1989.11.16に学生らが起こした抗議デモは、様々な条件がパズルのピースのように重なり、次第に膨れ上がります。

やがて、プラハでは80万人とも言われる程にデモが、民衆の声が大きくなり、一滴の血も流さず共産党一党独裁政権に終止符を打ったのです。


喜びに沸きかえるヴァーツラフ広場

そこに20年ぶりに姿を現わすマルタ・クビショヴァ

彼女は歌う。

マルタの祈りを……


※歌詞割愛


広場に響く民衆の歌声、マルタの歌声

厳しい生活のためか、少しやつれている彼女、それでも力強く自由を歌いあげたのです。


そして、さらに抗議デモに参加した学生達に大学に呼ばれたマルタは、歌をリクエストされます。


そう、彼女が自由を夢見て歌った”もう一つのヘイジュード”を……


でも、彼女は長い間、監視下に置かれ、歌を奪われてしまったがためにーー


「長い間歌っていないから、歌詞に自信がないの」


そう詫びを入れました。

すると、学生らは、


「俺たちが教える、一緒に歌うよ!何度も歌って知っているから!」


マルタが歌ってから20年以上たった歌

それが、時を超えて、再度チェコに響き渡ります。

自由を得た民衆とともにーー


※歌詞割愛


いつの時代も翻弄されるのは、力無き人々です。

下らないイデオロギーに左右され、大切な物を奪われていく。


マルタはそれに抗いました。


では、マルタは力ある人でしょうか?

デモを起こした民衆は、力ある人でしょうか?


否、みんな同じ、力無き人々です。

そして、時の政権も、いくら暴力を振りかざそうと、力無き人々の前に破れる力無き存在であります。


歴史は動く。

力無き私達のちょっとした行動で……

個人個人に存在意義なんかある訳がない。

そんな事考えるだけ時間の無駄と言えるでしょう。


だって、私達の行先にある選択肢は、思っている以上に無数にあるのだから……



事実は小説よりも奇なり


そんじょそこらの小説よりも、涙がちょちょぎれる本当の話、チェコのジャンヌダルクーーマルタ・クビショヴァの戦いの記録でありました。

うおぉーーッ!

マルタァーーーッ!。・゜・(ノД`)・゜・。


ヒッグ、エッグ……

涙が止まらねぇよ、オイ


と言うことで、要望あれば連載して、他の英雄の感動秘話等を羅列していきたいと思います。


p.s 幾つかご指摘を受けましたので、歌詞を割愛させていただきましたm(_ _)mアドバイスアリガトウ!

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